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猫王子  作者: そよ
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後編

 翌日、大臣たちはすっかり結婚式の準備を整えていました。

 そこに乙女がこれまた麗しい七色のドレスを着て、立派な馬車に乗ってやってまいりました。


 王は小姓の帰りを今か今かとまっておりましたが、城の一番高い塔から覗いても小姓の姿は見えませんでした。

 仕方なく左大臣を呼び、結婚式はもう少し待つように言いました。

 左大臣は「あれほど乙女を妃に迎えることを喜んでいたのに陛下はいったいどうされたのだろう」と不可解に思いましたが口には出さず、財務大臣のところへ結婚式の中止を伝えに行きました。


 左大臣から話を聞いた財務大臣はがっかりしました。

 あの乙女の魔法があれば毎日債務の支払いに追われ、夜も眠れず、ないカネを数える日々から解放されるだろうに。


「まったく陛下は何を考えているのだろう! 左大臣も陛下の言葉を素直に聞いている場合ではないだろうに!」


 するといつの間に背後に来ていたのか、鈴を転がすような声で乙女が言いました。


「では、あなたが王様になられたらよろしい。私は誰の妃でも構いませんわ」


 財務大臣はどきりとしました。

 しかし、またその言葉の恐ろしさとは裏腹に甘美な誘惑が大臣の心を酔わし、うっとりとしていたところに左大臣がやってきて彼を正気付けようとしましたが、財務大臣は怒って左大臣を近くにあった壺で滅多打ちにしました。


 そこに運悪く、何も知らない王がやって来ました。

 左大臣は血まみれの体で這って王の足元に取りすがりましたがそこでこと切れてしまいました。

 王は左大臣の無残な姿と血まみれの壺を持った鬼の形相の財務大臣に仰天して逃げ出しました。


 財務大臣は乙女が魔法で取り出した輝くような立派な服に着替えると、乙女とともに馬車に乗り、道々花を敷き、集まってきた国民たちに魔法の酒を振る舞いました。

 国民は大喜びで馬車のあとを追いかけ、国中の者が城に集まり、魔法で出された食べ物を食べ、酒を飲み、踊り狂いました。


 何しろ乙女の魔法は尽きることを知らず、祝宴はいつまでもいつまでも続き、人々は仕事も忘れて夢のような日々を過ごしました。

 その一方で耕すもののいなくなった畑は荒れ果て、回す者のいなくなった糸車にはクモが巣を張り、粉ひき小屋の屋根は傾いでいきました。




 さて、ほのかに明るい月の夜、血に濡れた姿で草原をさまよっていた王は何かに誘われるようにふらふらとあの美しくも恐ろしい命を吸う川の方へと足を向けましたところ、城へ向かう途中の猫王子に出合いました。

 王の姿を認めた猫王子はギャッと全身の毛を逆立て、王の元へ駆けてまいりました。


「なんとおいたわしや! これはどうしたことです!? 川へ入ってはいけませんよ! あれは≪死の国≫へ繋がっているのですからね。川底を覗いていると死んだ者の姿が見えてくることもありますが、それは幻に過ぎません。入ったら二度と戻ってはこられませんよ!」


 王は猫王子の声に気を取り戻し、疲れた声で言いました。


「やあ、猫王子殿。どうしたもこうしたも、乙女が財務大臣の気を狂わせてしまったのだよ。小姓もまだ戻らぬし、どうしたものやら……」


 猫王子はなんとお可哀想にと涙を流しました。

 我がことのように嘆く猫王子に王は幾分慰められて、猫王子に聞いてみたかったことを聞きました。


「猫王子殿、実はわしはおまえを助けたことを覚えておらんのだよ。なにゆえおまえはそれほどわしを慕ってくれるのだ?」


 猫王子は答えました。


「おや、そうでしたか。あれはまだ私が小さく恐れを知らなかった時分のことです。調子よく登った木の上で降りられなくなっていた私を陛下は優しく手にとり、地面へ下ろしてくださいました」


 王は笑いました。


「そんなことか! なに、そんなことなら恩に感じることもないのに。まことに猫王子殿は義理堅いお方じゃのぉ」

「そんなことではありませぬ。小さき者にも心をくばって下さる方はなかなかおられませぬ」


 それから猫王子は改まって言いました。


「王よ、ぜひとも私と≪猫の国≫へいらっしゃいまし」

「≪猫の国≫へ?」


 王が問い返すと猫王子は「はい」と言って滔々と語り出しました。


「≪星の国≫にはもう王はおらず、民の生活を憂うひともなければ、国民には兄弟姉妹を想う心もございません。悲しいことです。あなたの小姓は戻っては来ますまい。なぜといえば、小姓は≪影の国の魔女≫のところへ行く前に彼の妹と弟のところへ行きました。小姓は乙女にもらった果物をふたりに与え、自分の帰りを待っているように言いました。果物を食べた病の床の妹はその夢のような甘さにうっとりしながら頷きましたが、弟は兄が見たことのない立派な服を着ているのに気付きました。弟は兄が自分たちとこの貧しい国を捨てて、遠くへ行ってしまうと考えたのです。さてもここに誤解という悲劇が生じました」


「激しい怒りに駆られた弟は甘い果実の汁がついたナイフで小姓に切りつけました。小さなナイフでしたが首を刺されてはひとたまりもありませぬ。妹が兄の遺骸に取りついて泣いている間に弟は果物を持って逃げてしまいました。妹は泣き疲れて死んでしまいました。小姓の家に行ったなら兄と妹が並んで死んでいるのを見つけたでしょうが、乙女の魔法に浮かれた人々は城に押しかけて連日連夜のどんちゃん騒ぎ。病の妹を抱えた隣人を見舞うことはしませんでした」


 王は驚き、悲しみました。


「なんと哀れなことよ! わしが小姓に使いを頼んだばっかりに小姓とその妹の命が失われてしまった。たしかに小姓は我が身を差し出すとは言ったが、神はまたふたつの命をお取りになったのか……。しかし、なぜおまえはそんなに詳しく知っているのだね?」


 まるで見てきたかのようだと王が尋ねますと猫王子は頷きました。


「ええ、もちろん、見てきたのでございます。私たち猫族には人間には見えぬものが見えるのでございます。死者と話すこともできますればこそ、陛下、私はまたこうしてあなたとお話しているのでございます」


 猫王子の金の瞳が悲し気に向けられ、王は動揺しました。


「なにを言っているのだ猫王子殿……。そういえばさっき≪星の国≫にはもう王はいないとおまえは言ったね。ははぁ、そうであったか。そうであったか。わしは左大臣ともども死んでしまったのだね。財務大臣に殺されて?」


 猫王子は頷きました。


「財務大臣は乙女と彼女の魔法を手に入れました。いっときは夢のような日々を過ごすでしょう。しかし、乙女はじきに死に、国はまた貧しくなるでしょう。愚かな人間のすることですから何度も同じ過ちを繰り返すのです。私たち猫族ならこのような浅ましさで身を滅ぼすことなどありません。なんと言っても私たちには雨をしのぐ庇と静かな眠りとでこの世は十分なのですから」


「≪影の国の魔女≫なら≪星の国≫を救う手立てを持っているかもしれませんが、もう他者に助言を乞う賢さを持った者も国のために使いに走る者もおりません。なに、≪星の国≫のような国はそれこそ星の数ほどございます。ひとつくらいなくなったとて気にすることはありません。ささ、陛下! 私と≪猫の国≫へ参りましょう!」


 こうして王は猫王子と≪猫の国≫へ行きました。




 ≪猫の国≫はまことに愉快なところでした。

 猫たちはお日様に当たって日がな一日ぼぉっとしたり、バッタを追いかけて走り回ったり、池の中のカエルにちょっかいを出したり、お腹がすいたらネズミやトカゲを獲ったりして暮らしていました。


 王は猫王子としばらくそんな日々を過ごしていましたが、国への思いは日に日に募り、とうとう猫王子に別れを告げました。

 猫王子は引き留めました。


「≪星の国≫の乙女は死にました。財務大臣も国民たちも土地家屋を捨てて散り散りに逃げました。今更帰ってどうなるものでもありません。私とこのまま≪猫の国≫で暮らしましょう」


 そう言って猫王子はエノコログサを楽し気に振ってみせましたが、王は首を横に振りました。


「それでも猫王子殿、わしは≪星の国≫を愛しく思うのだよ。この≪猫の国≫はまるで夢のようだし、それでいて≪星の国≫にはもう誰もおらず土地は荒れ果てているだろうけど、わしはやはり帰りたいと思うのだ。自分のために行動を起こせるのは自分しかいないのだからね」


 猫王子は大変残念がりながら王に小箱を差し出しました。


「これをお持ちください。きっとあなたのお役に立ちましょう」




 ≪猫の国≫からの帰り道、王は道端に男の子が倒れているのを見つけました。

 駆け寄って起こしてやれば、何やら見覚えのある顔です。


 それは小姓の弟でした。

 兄を殺し、病の姉を置き去りにしてここまで逃げてきたものの、果物は尽き、怒りと後悔とひもじさでいっぱいの体はもう一歩も動けぬと、ここで最後のときを待っていました。


 疲れ切った小姓の弟に王は水を与えようとしました。

 するとそのとき、箱の中から声がしました。


『そやつは親に代わって育ててくれた兄を殺した者だぞ。今、水をやって生かしたところでまた裏切るのではあるまいか』


 王は考えました。


「しかし、飢えた民を捨ておくことはできん。愚かと思うかもしれんがわしは王なのだからこうするほかにない」


 王は小姓の弟に水を与えました。

 小姓の弟は泣きながら言いました。


「オラはここで兄が常世から迎えに来るのを待っとったです。兄はきっとオラを恨んでいるに違いないと思っとったですから。しかし、兄は王様を連れて来てくれました。オラはこれから心を入れ替えて、兄の分まで王様にお仕えします」


 それで王はこの弟を新しい小姓として従えて城に戻りました。

 城での生活に戻りますと王はまた神殿へ行って日課であったお供えとお祈りを始めました。

 すっかり埃の被った祭壇を掃き清めているとまた箱の中から声がしました。


『何故おまえはそのような愚にもつかぬことをするのだ。供え感謝をしても神はおまえの息子の命をふたつも取ったではないか。どれほど祈ろうと神はおまえに息子を返しはしないし、誰ひとりとして幸せにすることはないのだ』


 王は考えました。


「しかし、わしはここで死んだ王妃と王子たちのために祈っておりたいのだ。またわしがここへ戻ってこられたこと、まだここに≪星の国≫があって、たった一人でも養うべき民がいるのを感謝したいのだ」


 数日すると城に右大臣の息子がやって来ました。

 右大臣は王子を死なせたことを心から悔い、王子が死んだ次の日に城を出て、国の端のそのまた端で息子とふたりで身を小さくして暮らしておりました。


「父はずっと陛下に申し訳ない、申し訳ないと言って死んでいきました。もしまた陛下のお役に立てるならいの一番に駆けつけるのだと言っておりました。陛下がお戻りになったと風のたよりに受け取り、跡取り息子である私が参りました」


 王は大変喜びました。


「よく来た右大臣の息子よ。まだこれほどに忠義な者がこの国に残っておろうとは。おまえを大臣に取り立てよう」


 するとまた箱の声が言いました。


『ああ、まったくなんという木偶の坊! 大事な世継ぎを目の前で死なせるような者の息子を大臣に取り立てるなど笑止千万! 無能な働き者ほど厄介なものはないのだぞ!』


 さすがに王もこの言葉には深く考えさせられました。


「しかし、わしにはもう跡取りはおらぬし、この国には富と呼べるものは何もない。そこに忠義な臣下がひとりでもいてくれるのは仕合せなことではないか」


 右大臣の息子は新しい右大臣として王の下で精を出して働きました。

 やがて殺された左大臣の妻も戻って来ていっしょに働き始めました。

 この未亡人は草原のあの美しい川の底に亡き夫の姿を何日も何日も眺めておりましたが、意を決して城に戻ったのでありました。


 こうして王と小姓と右大臣と左大臣の妻とで毎日毎日働きました。

 何もない貧しい国でしたので彼らの仕事と言えばもっぱら土を耕し、鶏やヤギを育てることでした。

 箱の声はキンキンと叫ぶような声で言いました。


『嘆かわしい! 王が笏の代わりに鍬を持ち、玉座の代わりに藁の山に腰かけるなど! こんな者が王と言えるだろうか!?』


 王は畑を耕しながら考えました。


「うむ、そうだろうか……。わしはもう王とは言えぬだろうか……。いや、国のために臣下とともに働らくのは今までと同じことじゃよ。国を想い、国のために一番に働くのが王というものではないか。箱の中の君よ、思い出させてくれてありがとう。ハッハッハ」


 こうして≪星の国≫はまた少しずつ緑を取り戻していきました。

 ときおりやって来る旅人や流れ者がそのまま居着いて、ひとりまたひとりと国民が増えていきました。


 ある日、猫王子が城を訪ねて参りました。

 王は猫王子に城の周りの畑や新しく造った粉ひき小屋などを見せ、あの小箱はとても役に立っていると言って感謝を述べました。

 それから、箱の中にはいったい何が入っているのかと尋ねました。


 猫王子は嬉しそうな顔で言いました。


「実はあの箱には何も入っていないのでございます。これらはみな、あなた様ご自身の力です。これからも恙なく幸せでありますように」


 そう言って猫王子は消えてしまいました。

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