第一章 『“神”との取り引き』⑥
手紙を封筒に戻しながら、黒崎は韮沢総理に尋ねた。
「このジャックやらクイーンやらって、何ですか?」
「そうか、君は誰よりも深く『MC』と関わりがありながら、彼らの顔さえ見たことがないんだったな。ジャックやクイーンは、彼らが自分たちで決めたお互いの呼び名だ。元々、彼らには名前がなかったからな。施設内で唯一の遊具であったトランプの絵札からそう名づけたのだろう」
「それで、差出人のクイーンは、女ですか?」
「あぁ、そうだ。因みに、君の『MC』はエース。『MC』のリーダー的な存在だ」
「……エース」
何かに思いを馳せ天井を見上げた黒崎に、吉川長官が言った。
「彼らが指定した八月十五日までには、まだ時間がある。そこで我々は、『MC』を説得するための作戦を立てた」
「説得する作戦? じゃあ、『MC』の問いに答えてやるつもりはなかとですか?」
「当然だ。話せば、一般の国民が彼らの存在を知ってしまうことになる」
そう吉川長官が突き放すと、そこに小山田大臣が、
「これは、既に決まったことです」
と告げた。
「既に決まったこと」この言葉を、人の上に立つ者は、「権力のない者が、反論しても無駄だ」という意味でよく使用する。
「……」
権力のない黒崎は、黙って引き下がるしかなかった。
「それともうひとつ、既に決まったことがある」
吉川長官は、一冊のファイルを手に、黒崎の傍へと歩み寄った。
「何ですか? これは」
手渡されたファイルを受け取りながら、黒崎は聞いた。
「今回の作戦に参加する者たち六名のリストだ。内一人は、君に身近な人物だ。君はその者たちの指揮官となり、事に当たってもらう。つまり、直接動くのはその六名で、あくまでも君は間接的に、ということだ」
席へと戻る吉川長官に代わり、韮沢総理がそう答えた。
パラパラとファイルを捲る黒崎。だが、すぐに、彼の手はその動きを止めた。
「こ、これは、……いかん! 絶対に駄目です! だって、こいつら全員……」
首に青筋を立てて抗議する黒崎の弁を、韮沢総理は冷静に遮った。
「“目には目を、歯には歯を”と言うだろう? “子供には子供を”だよ」
「い、いや、全然意味が違うし、第一、理に適っとらんです。子供が『MC』に太刀打ちできるわけがなかでしょう。『MC』には、俺が会います」
騒ぎ立てる黒崎を、韮沢総理は面倒臭そうに見つめた。それから、席に着いたばかりの吉川長官の肩をポンと叩いた。
「自分が話さなければならないのだ」そう気づいた吉川長官は、口を開いた。
「黒崎君。確かに、君は、然したる社会的地位もない地方公務員だ。しかし、それでも大人が動くとなると、多少なりとも周囲に影響が出てしまうものなんだよ。万一、死なれでもしたら、それは尚更だろう?」
「子供なら、死んでもよかっちことですか?」
「いや、そうじゃない。大人に比べれば社会的な影響は少ない、と言っているんだ。それに、我々にはすぐにでも『MC』を抹殺する用意があるし、最悪の場合、それを実行に移しても構わないと考えている。分かるだろう? 黒崎君。君は、我々の指示に従うしかないんだよ」
そんな吉川長官の説得に、溜め息にも似た深い呼吸をすると、黒崎は答えた。
「分かりました。今後、俺は自分ば捨てて、あんたらから言われたまんまに行動します」
その時、室内に呼び出し音が響いた。備えつけの内線電話の音だ。
吉川長官が電話に出た。
「はい、吉川、……あぁ、終わったよ。黒崎先生も、我々の作戦どおりに行動すると約束してくれた。……ん? あ、ちょっと待ってくれ」
吉川長官は受話器から耳を離すと、韮沢総理に何かを伝えた。
「構わんよ。すぐにきてもらいなさい」
総理はそう返答した。
再び受話器に向かった吉川長官は、電話の相手に伝えた。
「構わないとのことだ。すぐにくるように。……あぁ、分かった。では、のちほど」
会話が終わるのを待ち、黒崎は吉川長官に尋ねた。
「誰かくるとですか?」
「君を出迎えた黒いスーツの女性だ」
「あ、そういえば、そうやった。あとでくるっち言いよりました」
出迎えの女性との会話を、黒崎は、遥か昔のことのように思い出していた。