第四章 『それぞれの想い』②
八月一日、午前八時。霞が関の研究施設二階、剣道場。
板張りの真ん中に立ち、ひと振りの竹刀を右肩に担いだ清次郎が黒崎に確認した。
「本当にいいのけ?」
「折角連れてきた六人の中のひとりが、こんなところで使い物にならなくなってもいいのか?」という意味だ。
黒崎は、同じく竹刀を手にする恭也を指差して答えた。
「あぁ、構わんばい。こいつ、頭は悪かばってん、体だけは丈夫にできとるけん、防具なしでも何も遠慮はいらん」
「ちょっと、酷くなかや? 仮にも俺はあんたの生徒ばい」
黒崎の言葉に恭也が苦笑する。
だが、すぐに真顔に戻ると彼は、今度はそれを清次郎に向けて言った。
「ばってん、遠慮がいらんというとは本当たい。俺は、おっさんと本気の勝負ばしたかとやけん」
「……本気、か。分がった、分がった。仕方ねぇな。向こう見ずな挑戦者に現実を教えるのも、オラたち武道家の務めだじゃ。まんず、気合い入れてかかってこい!」
清次郎が大きく竹刀を振る。
ビュンという空気を切る音が響き、それは、道場の隅で見守る他の四人の耳にも届いた。
事情を知らずについてきただけの千鶴が、隣のレオに小声で尋ねた。
「めっちゃヤバそうな雰囲気やけど、何があったん?」
「僕もよく分からないよ。でも、様子を見るに、どうやら、竹田君の願いが叶ったみたいだね」
「恭ちゃんの、願い?」
「そう。この施設にきてから竹田君は、山川君と勝負がしたいっていつも言っていただろう?」
「うん。言うてた、言うてた。言葉覚えたてのオウムみたいに、それ繰り返してたわ」
「澪さんから監視されていない今が、そのチャンスということだろうね」
「さっすが、レオ君、なるほどなぁ……って、そう言えば、確かに朝食の時から澪さん見てへんけど、どうして?」
「僕たち、これからどこかに連れて行かれるみたいなんだ。その準備があるからって……」
「え? そんなん聞いてへんで。レオ君にだけ教えて、澪さんずるいわ」
頬を膨らませ、千鶴は愚痴った。
「それは早坂さんが聞かないからだよ。聞けば、普通に教えてくれるよ」
「本当? よかったぁ。ひょっとして、澪さんもレオ君のことを好きなんちゃうん? とか、もしそうやったら敵やなとか、色いろ勘繰ったわ」
千鶴は、「澪さんも」の“も”の部分を強調して言ってみたが、残念ながらレオは聞いていなかった。道場の中心にいる恭也と清次郎に気を取られていたのだ。
だが、それに気づくことなく、千鶴は喋り続けた。
「そういえば、レオ君、澪さんのことは“澪さん”って名前で呼ぶのに、ウチは“早坂さん”なん? ウチも“千鶴”って呼んで欲し……」
「始まるよ」
緊張した声でレオが呟く。
思わず千鶴も話を止めてそちらを注視した。
「一本勝負、……始め!」
試合開始を告げる黒崎の声が、道場内に響いた。
一般的に剣士は、相手の目に竹刀の切っ先を向ける正眼の構えを取る。
だが、恭也は、大きく振りかぶるような形の上段だ。この構えは、いわば攻めの形であり、正眼に比べて圧倒的に打ちこみへの動作が速い。
一方、清次郎は、片手半身の構え。文字どおり、竹刀を片手で持ち、斜めに構えているのだ。通常の剣道の試合では、まず見かけないと言ってもよい形である。
「こいつ、剣道を知らんとやなかや?」そう考え、恭也が一気に攻めようとする。
しかし、その意に反して、彼の体は動かなかった。隙がないのである。
双方微動だにしないまま、時は流れていった。
剣道の試合は、まさに一瞬だ。瞬きをしている間に勝負が決まる。
静の状態から先に動へと転じたのは、恭也だった。
「面!」
充実した気勢とともに、清次郎の頭部目がけて一気に竹刀を振り下ろす。
次の瞬間、
「一本!」
黒崎の右手が高々と上がった。
勝ち名乗りを受けたのは、清次郎だった。彼の前蹴りが、恭也の鳩尾を捉えたのである。
「き、汚……」
何とか言葉を発しようとするも、恭也は途中で倒れた。




