第二章 『召集令状』③
神奈川県の中ほどに位置する平塚市は、相模湾に面した人口約二十六万の都市である。湘南地区ではあるのだが、リゾート地としてのイメージは薄く、どちらかといえば、商業ないし工業都市といった感がある。そのため、海に近い割には、近隣の茅ヶ崎市や大磯町と比べてあまりぱっとしない。
しかし、そんな平塚市にも、神奈川県の夏の主役となる日が四日間だけある。
“湘南ひらつか七夕まつり”が開催される期間だ。
昭和二十年七月。大空襲により平塚市は、市街地の約七割が焼け野原となった。だが、僅か五年で復興を果たし、それを祝って復興祭りが開かれた。そして、翌年。昭和二十六年七月、更なる繁栄を願い開催されたのが“平塚七夕まつり”で、これが、現在の“湘南ひらつか七夕まつり”の始まりだ。第一回は、五日間で十万人程度の人出だったが、現在では、開催期間が四日と短くなったにも拘らず、実に、人口の十倍以上の約二百八十万人が祭り見物に平塚市を訪れるようになっている。
今日、七月七日は、祭りの最終日だった。
午後五時。メーン会場である湘南スターモールの人ごみの中に、山瀬亜依の姿はあった。
普段は、Tシャツにジーンズというラフな服装をしている彼女だが、今日は、ガーリーの定番ともいえるチェックシャツのワンピースを着ていた。隣にいる付き合い始めたばかりの彼氏を、思い切り意識した結果だ。
亜依にとっては、生まれて十四年目にして初めてできた彼氏。デート服に気合いが入るのは当然のことだったのである。
寄り添いながら二人は、十メートルを優に超える大きな竹飾りを見上げていた。
「綺麗だね」
そう亜依が言った。
そこで彼氏は、恋愛小説にありがちな台詞である、「君のほうが綺麗だよ」を返そうと思ったが、それはできなかった。亜依の視線が竹飾りから外れ、後方に向いたからだ。
仕方なく、彼氏は別の言葉を発した。
「どうかした?」
「ううん、何でもない。ただ、誰かに見られているような気がして」
「平気」と、亜依は手を振って見せたが、その表情は不安げなままだった。
「大丈夫だよ。何があっても、亜依は僕が守るから」
彼氏は、亜依を安心させようと手を取った。
「ありがとう」
嬉しそうに、亜依がその手を強く握り返す。
その時、
「山瀬亜依」
彼女は、突然名前を呼ばれた。
「え?」
亜依が声のしたほうを見る。そこには、黒スーツにサングラスの男が二人立っていた。
「山瀬亜依で、間違いないな?」
男のひとりが、ずいっと顔を近づけてそう尋ねた。
「え、えっと……」
その威圧感で、思わず彼女は頷いた。
すると、男は、今度は亜依の彼氏に目をやった。
「お前は、誰だ?」
「い、いや、あの、僕は……」
言葉を詰まらせる彼氏。
黒スーツの男は鋭く告げた。
「悪いことは言わない。帰れ」
「そ、それはできません。だって、僕は、亜依の……」
彼氏は何とか反論していたが、それを最後まで聞くことなく、男は低い声で繰り返した。
「帰れ」
「は、はい!」
そう大きく返事をした次の瞬間、彼氏は、実に素早く亜依の手を解くと回れ右をした。
そして、「え~? 亜依は僕が守るって言ってたのに……」と、唖然としている彼女を残し、そのまま走り去ってしまった。
独りになった亜依は、涙目で二人の男を見据えた。
「ちょっと、何なんですか? 貴方たちは」
「我々は、お前を連れてくるよう依頼を受けた者だ」
そう答えると、スーツの男は一枚の紙を亜依の目の前に突き出した。
「それ、何ですか?」
「召集令状だ」
「召集令状? それって、昔の“赤紙”でしょう? 戦争に行く人に郵送されたっていう……」
「そうだ」
「それが、どうして私に? 今は平成ですよ。そもそも、日本は戦争してないし、それ以前に、私、女だし……」
「それらの質問には答えられない。それと、両親の許可は既に取ってある。ゆえに、お前にこの召集を拒否する権限はない」
男たちは、通りに停めてある黒塗りのクラウンに亜依を乗せた。この界隈は、祭り期間中通行止めになっているのだが、この車に関してだけは別だったのである。
彼女を乗せた車は、国道一号線を東へと走り去って行った。
十七時十分。神奈川県平塚市にて山瀬亜依確保。




