090 「豹変」
一話1000字前後の短編連作です。
毎週火曜日更新中!
一つ前に特別編16「あけましておめでとうございます。2年目」があります。未読の方はお気を付けを。
お手伝いさんの腕に喰らいついたオオカミの牙は、彼の肌をやすやすと突き破り、肉をえぐり取らんと顎に渾身の力が込められる。
強靭な歯と顎で、骨すらも噛み砕いて欠片も残さずに平らげるオオカミに一瞬の隙でも作ってしまえば命取り。
そしていま、まさにその瞬間がやってきた。オオカミにとって絶好のチャンスが。
「があぁあっ!?」
腕、腿、脛、脹脛、脇腹、二の腕、肩。
群がるように次から次へと襲い掛かる無数の牙。さらに鋭い爪は服をズタズタに引き裂き、裂傷による血飛沫が舞い上がる。
強風に乗って拡散される赤い体液によって、彼の周囲だけが赤黒く染まっていく。
オオカミの猛追はとどまることを知らず、ついにはお手伝いさんを完全に取り囲んでオオカミの塊と成り果てた。
(死んだか? 悲鳴すら上げなくなったな)
とにかく噛み付き続け、獲物が力尽きるまで絶対に離さないという習性を持つのがこの山のオオカミ。
つまり〝死んだ〟と判断されない限り、このオオカミの塊は崩れない。
だというのに、一向にオオカミはその牙を抜こうとはしなかった。
(いったいどうなってやがる? 石でも投げてみるか)
師匠は足元に転がっていた石を適当に拾い上げ、軽く放り投げてみる。
そして師匠は驚くべき光景を見た。
ゆるやかな放物線を描いてオオカミの塊へ飛んで行った石は、ぶつかる前に跡形もなく形が崩れ、一瞬のうちに砂となり果てたのだ。
当然オオカミに当たることはなく、様子を見るという師匠の試みはまさかの失敗。
(何が起こったんだ?)
錬金術士の第一人者であり、戦闘のスペシャリストでもある師匠ですら、先の現象の説明がつかない。投げた石が一瞬で塵となるなんて、聞いたことも見たこともない。
固い生唾を飲み下した時、さらにあり得ない現象が続く。
お手伝いさんの周りに固まっていた全てのオオカミが、師匠の投げた石と同じようにして風に飛ばされていった。
断末魔を上げることなく、一切の抵抗も許さず、血を滴らせることもなく、彼はオオカミを霧状になるまで切り刻んだのだ。
どうやって?
そんなのは決まっている。
(糸でバラバラにしたってのか。いつやったのかも分からないくらいの一瞬で、あれだけ細かく?)
どう考えても人間業じゃない。悪魔の仕業と言われてもまだ信じられないほどだ。
生まれて初めて、恐怖という感情をその身に感じた師匠は、いよいよお手伝いさんの正体、隠された過去に確信がついた。
(やっぱりな……! あのクソ野郎は……殺し屋だ!)
普段の柔和な笑顔など元から存在しなかったように、お手伝いさんの表情は——
狂気で歪んでいた。
次回第91話「〝復讐屋〟ヴィオ」
お楽しみに!




