16.僕らしさ
視点:一之瀬夏
フラッシュが絶え間なく僕に降り注ぐ。腰に手をあてて重心を変えてみせると、カメラマンの佐田さんが口笛を吹いた。
「いいよ、そのまま顎を上げて煽る感じで」
レンズから視線を外し、僕は言われたとおりに表情を作る。次にレンズに目を向ければフラッシュが続き、佐田さんは満足そうにカメラから顔を離した。前髪を留めるために使っている緑のカチューシャが個性的で、でもなぜか似合う明るい佐田さんが他のスタッフと画像を確認した後、Vサインを送ってくる。
「OK!スタイリストさん、衣装変えていいっすよ」
「了解です。次の衣装に着替え終わったらモモちゃん、ヘアよろしくね」
「はーい、ワックスの準備出来てまーす」
様々な言葉が行き交う中を僕は無心で歩く。とは言ってもスタッフさんへの挨拶は忘れないし、笑顔も忘れない。でも心は空虚に等しい。
モデルの仕事は好きだ。幼い頃から続けているし、これからも続けていきたいと思っている。毎日飽きなくて学ぶことばかりで、日々成長できる最高の職業だ。けれど──
鏡の前の椅子に腰掛けて深い息をつく。ヘアスタイリストさんから「疲れた?後少しだから頑張ろうね」と声をかけられた。僕は曖昧に笑って返事をする。もう夜も遅い。大学の講義が終わってから移動して撮影だから当然だろう。
今度はヘアスタイリストさんに気づかれないようにこっそりとため息をついた。
モデルの仕事は好きだ。けれど僕は、カメラの前に立つと心を閉じ込めてしまう癖がある。自分じゃない誰かを演じて、“自分”という存在をどこかに置いてきたような虚しさを覚える。だから雑誌やポスターに映っている自分を見ると違和感が生じる。僕は感情を表に出すことが苦手なのだ。
調子を切り替えようと、髪をセットしてもらっている間、携帯を私物のカバンから出すと個人フォルダにメールが届いていることに気づいた。そしてその相手が分かった途端、僕は無意識に微笑んだ。俯いていたので後ろのヘアスタイリストさんには見えていなかったらしく、特に何も言われなかった。
「セット終わりましたー。佐田さんに準備できたか聞いてくるのでここで待機していて下さいねー」
のんびりした口調で化粧室から出て行ったヘアスタイリストさんを見送り、僕はメールの中身を確認する。
〈こんばんは。今日圭と話してて、最近忙しいみたいだと聞いたので。まだ仕事中かな?遅くまでお疲れ様、あんまり無理して体壊すなよ。風邪に気をつけて(・ω・)ノシ〉
空っぽだった心が温かいもので満たされていく。すぐにメールを返信し、何度も何度も彼女から来たメールを読み返す。最後の顔文字の可愛らしさに癒された。
さっきまでとは違う息をつくと、
「それ、彼女からのメール?」
「まだ彼女じゃないです……って、えぇっ!?」
驚いて振り返る。そこにいたのは、にやにやと面白そうに覗き込んでいるマネージャーの永守さんだった。グレーの細身のパンツスーツに銀縁の眼鏡をかけて髪を1つにまとめ、普通のOLと変わらないスタイルの彼女だが、数多くの有名モデルや俳優を育ててきた敏腕マネージャーとして芸能界で有名である。その敏腕マネージャーの本性は、
「まだ、ってことは今後彼女になる可能性があるってこと?ひゅー、夏のくせにやるじゃない。どんな子?同じ大学の子?どこで知り合ったの?可愛い?」
ただの恋愛話が好きなオバサン。ついでにいうと面倒臭い。
「いちいち詮索しないで下さい。仮に僕が彼女を作ろうとしても、どうせ反対するんでしょう。マスコミに叩かれるような目立つことはしませんから安心して下さい」
「どうして?別に反対しないわよ。というか早く彼女作りなさいよ。社長も『恋人でもできれば夏も艶が増すんだろうけどな』ってぼやくくらいなんだから」
「………そんなんで人気が落ちても知りませんよ」
「ふっ。そんなんで人気が落ちるような子に育ててないわよ。もし夏に熱愛が発覚したとして、うちに損になるようなことは万に一つも無い。一般人が相手だったらお祝いの言葉が来るほどよ。これは自信をもって言えるわ。事務所が作成したアンケートで“今最も注目していることは?”の回答1位は“一之瀬夏に彼女はいるのか”だったし、ファンの間でも夏の彼女像について語り合うスレまで立ってるの。彼女像の詳細、知りたい?」
「いいです。皆さんのご想像にお任せします」
断ったというのに永守さんはファイルから大量の資料を取り出し、読み上げ始める。この人はいつもそうだ。人の話を全く聞かない。
「そうねぇ、共通として挙げられているのは“性格が良い、媚びない、明るくて優しい子”ね。ファンの中には細かい所まで想像してくれてる子達もいて、結論的に出来上がったのが、はいコレ」
机の上に資料の束が置かれ、僕は気が進まないながらも目を落とす。ネットからそのままコピーしてきたようで、本当に細かく設定されていて感心する。最後の一枚に次のように結論が示されていた。
〈要するに今までの要素をまとめると
外見:黒髪のベリーショートカット、色白で小柄(155センチ位)、Cカップでわりと細め、目はぱっちりとしていて少し猫目
性格:明るい、元気、悪いことは見過ごせない、真っ直ぐ、言動が男子っぽい、紳士的、好きな人の前だと可愛い
趣味:映画鑑賞、読書
特技:スポーツ
補足:よく男に間違われる
以上。これでいい?〉
僕は黙った。黙るしかなかった。後ろで「どうどう?夏のタイプ?」なんて茶化してくる永守さんの相手をする余裕もなかった。これはどう考えても彼女を表しているとしか思えない。いや、Cカップなのかどうかは知らないけれど。でも趣味も特技も、補足まで合っている。凄いを通り越して怖い。
「……僕って、こんな風に見られているんですか?」
「何、自分とは違うって?ガッカリした?」
「いえ、むしろ逆というか。……僕は今まで、素の自分を出しているつもりはなかったんです。でも周りから見ると、自分では僕らしくないと考えていたのが本当の僕として見られていて、なんていうか、上手く言えないんですけど──」
「自分とは違う誰かを演じていたはずが、自分でも知らないうちに“一之瀬夏”自身を出していたと分かってビックリした?確かに、最近の夏は変わったよね」
「変わった?僕が?」
問いかけるように呟くと、永守さんは腕時計を確認して佐田さんの撮影の準備が完了した頃だろうと言った。携帯を鞄に仕舞おうとし、メールを受信した知らせに、その相手に、僕は反射的に動いた。
件名は〈Re:大福と〉でスクロールすると、〈わざわざどういたしまして。疲れてる一之瀬君の励みになるかは分からないけど、今日未亜達とお昼食べた時に撮ったやつ↓また太ったよ〉の下に彼女が真ん丸に肥えた白い猫を抱えて笑っている画像が添付されていた。
「へぇ、佐伯真チャンっていうの。あらやだ。なにちょっと、この猫太り過ぎじゃない?ん?この子、なんか──」
「スタッフさんを待たせては迷惑になりますから行きましょうか」
許可もなく他人の携帯を覗き見するのはやめて欲しい。永守さんの視線から外すように携帯を待ち受け画面に戻し、鞄の中へ入れてスタジオに足を向けると、名前を呼ばれた。
「変わったわよ、夏。まだ改良の余地はあるけど、夏らしさが出てきてる。彼女──真ちゃんのおかげね。今いい表情してるわよ」
「はぁ、そうですか?」
「おやおや自覚なしですか?まあいいわ。その調子で行ってらっしゃい」
その後の撮影でも佐田さんに「なんかイイことあった?口角上がりっぱなしじゃん」と太鼓判を押され、予定よりも早く2時間前に終わったのだった。




