第4話・僕と天使の物語
憧れの彼女が目の前にいた。
理想のタイプを凌駕する純白の天使さん。
彼女は目をパチパチさせながら、両手を揃えて僕を見つめている。
彼女は僕が何を言っても肯定してくれる。
しかし僕が帰ろうとすると、後からチョコチョコついてくる。
そのまま帰ろうとしたら、部屋まで来てしまう気がした。
「あーあ、天使さんはスゴミ君が玉を出してくれたら、いっぱい聖戦がしたいのになあ!」
まるでメトロノームのように身体を左右に揺らし始めた天使さん。
リボンのようにうねる白いツインテールと、ピッチリとした黒インナーに包まれた胸の動きがツボに入り、僕の体温が上がっていく。
「やっぱり危ない意味っすよね!? 僕たち初対面ですし、まだ早いっていうか!!」
彼女はその一言に固まった後、突き出した手を戻して人差し指をアゴに当てた。
「準備はバッチリなんだよ! 天使さんは、君だけの天使さんだからね!」
「なにこれドッキリっすか? 『 オタク君、誘惑してみた企画 』みたいなやつ!? もしかしてカメラマンとか居るんすか!?」
僕が首を回してキョロキョロしはじめると、天使さんも額に手を当てて一緒にキョロキョロと動きだしだした。
「何それ何それ! スゴミ君はなんていうか、不思議な人なんだね!!」
「不思議なの、あなたですから!」
「不思議だね! 楽しいね、楽しいねって、天使さんは笑っているよ!!」
彼女は笑って何度も瞬きをする。
まるで意思疎通が出来ない彼女が、次第に不気味にすら思えてきていた。
「あの……本当にあなた誰ですか? 聖戦ってのも具体的に言って貰えます?」
「うーんと、それはね、アルハちゃんが教えてくれる事になってるからね!!」
「誰だよ……」
また突然、知らない単語が出てきた。
『アルハ?』聞いたことも無い個人名。
僕は頭を抱えていた。
「アルハって誰っすか? 知らないっすよ、日本人? 企業……?」
天使さんは少し空を見て、口を小さくして考えていた。
しかしすぐに僕を見つめて説明をした。
「アルハちゃんはねぇ、とっても可愛いんだよ!」
……ダメだった。
説明のセンスが終わってる。
僕のストレスは限界に達していた。
もう物語の先なんてどうでもいい。
天使さんの事なんて知るか。
どうせ初対面の他人だ。
僕は強行突破をする決意をした。
「あの……天使さん。意味わからないんで、帰ります」
問答無用。
踵を返して振り返り、灼熱のアスファルトを蹴った。
景色からも目を逸らし、頭を落として腕を伸ばし、大股歩きで動き出した。
学校脇の一本道を、一歩、二歩と帰りの道へ。
すぐに視界が暗くなった。
顔面が柔らかい壁に包まれて体が止まる。
「壁!? 道路の真ん中で!?」
頭を起こすと、天使さんの赤い瞳が目の前にあった。
壁だと思ったものは天使さんの豊満な胸部だった。
「うわ! いつの間に!?」
瞬時に後ろを振り向いて天使さんのいた場所を確認。
さっきまで二メートルほど手前にいた天使さんが消えており、音もなく回り込んでいた。
「……瞬間移動!?」
それを見て天使さんから逃げる事は不可能だと直感した。
そもそも初登場時も、雷鳴と共に虚無から現れていた事を思い出した。
超常現象である彼女が、『物語を始める』と言い出したんだ。
帰れるワケがなかった。
視界を占有する丸くシャープに整った、僕が大好きなその笑顔。
僕の理想が目の前に迫り、汗に濡れて張り付いたシャツの不快感が、ゾクゾクと冷たいものに変わっていく。
僕は正面を指さした。
「帰れないじゃないっすか! そっち行きたいんすよ!」
「いいよ、おいで!!」
彼女は涼しげな笑顔のまま、僕の指先で両腕を広げた。
僕の身体を受け入れるようなそのポーズに、胸との接触の破壊的な柔らかさを思い出し、鼻と頬がソワソワとしてきた。
その胸に飛び込みたい。
抱きしめられて頭を撫でられたい。
そんな誘惑はチラついてくるが……
それでも今は、恐怖が勝る。
「すみません、マジで帰らせてください。応援するんじゃなかったんすか!!
「うん、天使さんの応援はね、100人分あるからね!」
天使さんはチアガールのように両の拳を交互に天に突き出して、踊り始めた。
ダメだ可愛すぎる。帰りたい。
僕は顔を赤くしながらもキレ始めていた。
「いやいや、道塞いで、邪魔してますよね!?」
「スゴミ君……!!」
そう言って僕の怒鳴りを被せて断ち切る。
今度は僕の手を両手で包み込み、持ち上げてきた。
きめ細かくスベスベの肌が外から触れる。
白くて小さい指、しっとり冷たく潤って柔らかい。
「スゴミ君の玉はどこにあるのかな!?」
「それ別に探す必要ないですよね!!」
「天使さんが一緒に探してあげるからね!! 探すための特別な場所があるからね、連れて行ってあげるね!」
「特別な場所で玉探し……!?」
手からじんわり感じる彼女の湿気に、ピンクな妄想が駆け巡る。
だが確実に一つ理解した。
「やっぱり帰らせる気ないんじゃないですか!!」
天使さんは僕の手をギュっと握って引っ張るので、僕は腰を落とした。
「帰っていいなら、道あけてくださいよ!! そもそも天使さんって名乗ってますけど、 それまさか本名じゃないですよね!? あなた誰なんすか!!」
天使さんは握った手を口元まで持っていき、真っ白な歯を見せて子供のように喜んだ。
「わああ、嬉しいなあ! スゴミ君は天使さんの事に興味があるんだね!」
「興味も何も、もっとそれ以前の話なんすよ! 話すなら説明が先なんすよ! いきなり出てきましたよね! どこから現れたんすか!!」
その問いかけをした瞬間、体感温度がガクッと下がった。
暑さを送り続けていた太陽光が遮られている。
真っ黒な濃い影が周囲の全てを包み込み、涼しい空間を作り出していた。
天使さんはニッコリと人差し指を天に向けた。
「天使さんはね、あそこから来たんだよ!」
指さした先に、空を埋める絶望が鎮座していた。
ピラミッド型の大陸のような構造物が空の果てまで続いている。
その重厚な表面には無数の亀裂が走り、その割れ目の中が緑色に光って、血流のように蠢いている。
「え……!? 冗談っすよね、なにこれ本当に……」
僕はさっき呟いた。
──ある日、空から女の子が降ってきて世界が滅べば良いのに。
明確に冗談で、半分投げやりですらある独り言だ。
そんな願いを叶えてくれるかの如く、理想の女の子である天使さんは空から降ってきた。
「僕の願いが……動いてる?」
宇宙人の侵略映画のラストシーンのような、世界滅亡のお手本のような非現実の漆黒が、太陽を覆い隠して、僕の網膜を容赦なく焼き焦がしていた。
「あれは……なんですか……」
「あれはスゴミ君の物語。 天使さんと一緒に始める、君だけの物語だよ!!
「僕だけの、物語……?」
顔を落として彼女の赤い瞳を見つめる。
潤んで、とろけそうな瞳。
言い逃れようのない空の超常現象。
僕の現実は、完全に終わった。
玉探し、聖戦、アルハちゃん。
天使さんは全てが意味不明。
しかし本気と言っていた。
僕は本格的に帰れなくなったのかもしれない。
それを知った上で、天使さんが協力を宣言しているのかも知れない。
そう考察するしかなかった。
さもなくばこのバグのような願いの採用が、世界を滅ぼしてしまい、僕のフィギュア棚まで焼き尽くすのだろうか。
そんな事は口に出来なかった。
願いなんて叶って欲しいくないから。
天使さんの手に包まれたままの、僕の手が震えている。
絶え間なく発生する唾液を飲み込んだ。
「僕が、天使さんと、一緒に……?」
繋いだ手には紙袋がぶら下がっている。
僕の理想の世界は『 魔法少女・マジカルエンジェル 』
愛と魔法とカワイイと、ちょっと色気がはみ出る世界。
「天使さん! 僕はマジカルエンジェルが好きなだけで、それで、帰りたいだけなんすよ!」
「うん。天使さんはね、分かってるから。天使さんと一緒に帰ろうね」
目を細めて僕を見つめ、頬を赤らめる天使さんの顔。
誰かに愛された事のない僕でも、それが愛情だと分かった。
愛情以外を感じさせないほどの純朴さがあった。
「僕と天使さんが、一緒に帰る……?」
天使さんは微笑んで顔を傾けた。
肯定を意味する微笑み。
僕は天使さんの手を握り返した。
終焉の日蝕の下で、僕の口もとがゆるんだ。
手をつなぎ合うほど距離の彼女に向かって、自ら一歩近寄った。
「帰って……いいんすか……」
その時だった。
「待ちなさい」
鋭い女子の声が、天使さんの背中の向こうから飛んできた。
黒髪に赤い瞳の女子高生が、そこにいた。




