第3話・掴んだモノは、何?
理想を超える彼女の白い笑顔が、『一緒に行こうね』と誘ってくれている。
戯言を叶えるように現れた、明るく可愛い天使さん。世界の終焉を告げるように空を黒く染めるピラミッド。
僕は現実に不満は無い。
帰れば邪魔者の居ない、冷房の効いたワンルーム。スマホひとつで知識も通販もあって、ゲームをすれば顔の知らない仲間が居る。棚を埋める美少女フィギュアの変わらぬ笑顔、魔法少女のグッズとポスター。
それが自分が造った世界、自分の聖域。
それでも僕は現実を嫌い、部屋から出ないで極力妄想の中で生きてきた。今日は現地限定のフィギュアが欲しくて出てきただけだ。
天使さんと出会う、数分前……
7月上旬、午後4時。
夏の日差しが肌を焼き、薄いTシャツの背に汗が滲んで、ベッタリと張り付いていた。
「暑い……早く、帰りたい……」
とぼとぼとアスファルトを歩きながら、フィギュアの入った紙袋をぶら下げる。右手にはコンクリートの要塞のような高校の校舎があって。敷地と道路の間には、身長程の擁壁ブロックがズラリと並び、その上の緑のフェンスが、学校の中と外を断ち切っている。
そのフェンスの向こう側からは、野球部の練習音と、女子達の声が聞こえてきていた。
「ウチがスプリンクラーだぁ!行っくよー!!」
「ちょっと!やめてー!濡れるじゃん!!」
「バカじゃないのー!あはははは!」
ブロックの上から響く、高く楽しげな声に、つい視線が反応して、首を伸ばした。
「何してるんだろ……水に濡れた女子とか……いいよね」
ブロックは目線より上だった、何も見えない。立ち止まると、止まった分だけ日差しが脳天に照りつける。
「あ〜あ、現実はくだらない」
スゴミは校舎とは逆の空を見つめた。
「ある日、空から女の子が降ってきて、最強の力で世界を滅ぼせれば良いのに。」
本当に思った訳じゃない、ただ現実への劣等感が、それとなく口に出ただけだった。戯言を言ってる間にも、髪に光が照りつけて、熱が溜まっていく。
「ああ、太陽もうっとおしいな、無駄にギラギラしちゃってさあ!」
太陽に右手を伸ばし、顔に影を落とした。。
「この光が熱いんだよ、握りつぶせたら、太陽に投げ返してやるのに……!」
暑さのせいか苛立ちか、くだらない独り言を言った。
その時……
カシャン。
フェンスの揺れる音がして、右手を上げたまま、視線だけフェンス側に向けた。
その瞬間、ほんの一瞬だけ、瞳を見た。それと共に…
『 最 低 』
聞こえないハズの音で鼓膜が震え、スゴミの心臓を握り潰すような悪寒が走る。
白毛に覆われた血濡れの呪詛のような瞳と目が合った。
全身が拒絶反応を起こし、振り向こうとして、右手を降ろそうとし、拳を握ろうとした。
―――その時だった。
今度は正面、上げた右手の指の隙間が激しく光りはじめる。
七色の光線が指と指の間で暴れまわり、手が火を噴くように熱くなった。
「熱っ!なに、なんすか!?」
痛みに耐えながら手を戻すと、子供の頭骨ほどの大きさの白い球体が、ピッタリと張り付いていた。
「……なにこれ、骨?」
たしかに存在するのに重さを一切感じない。疑問を持ちつつも、さっきの視線が気になって、フェンスをもう一度見上げてみるが、赤い瞳は居なくなっていた。
「怪奇現象……?」
相変わらず、フェンスの奥からは再び女子たちと、セミの声。
カキーン!
校庭のさらに奥から、野球部の練習の音が聞こえた、その瞬間、手のひらに重みが加わった。手を見直すと赤い縫い目の入った野球ボールが、しっかりと握られていた。
「あれ?野球ボールだったっけ……たまたま飛んできたのを、たまたま掴んでた?」
無理やりに理由をつけて納得するしかなかった。
フェンスの近くで球拾いをしてる女子が見える。野球部のマネージャーだろうか。フワフワの髪で体操服、白い腕に、白い足……
女子を見てから、野球ボールに目を落とした。
ちょっとした現実逃避、妄想が始まる。
もしも最強の野球の才能があったなら、4番エースで部活の英雄になったりして、あんな女子が寄ってきてくれるんだろうか。
浅ましい妄想だった。
女子の姿が大きく動いて見えたのち、グラウンドの奥へと駆けていく。それを見て声を上げていた。
「あのー!ボール落ちてましたー!!」
校庭に向かって去り行く女子を呼びかけるようにだった。
拾ったボールなど、黙っていても、そのまま投げればいい話。
でも……気づいて欲しかった。
現実なんて、とうの昔に捨てたハズの自分が、何かを求めてる気がして、つい一歩前に出てしまった。
校庭からの反応は無い。何かを期待した自分が惨めに思えて肩が重くなる。
「これだから、現実は嫌いなんすよ……」
手にしたボールを投げようと構えた。
その時、グラウンドの奥から、巻かれた水を跳ねる小さな駆け足の音が聞こえた。
さっきの女子が戻って来てくれた。パッチリとした目に、バッチリと長いまつ毛。
ロール髪がバネのように弾み、その横で体操着に押し込まれた胸も揺れている。
「ありがとうございますぅー!」
アイドルのようなキラキラの笑顔を向けてくれた。その輝きに鼓動が高鳴りはじめる。目が泳ぎ、次の言葉が出てこない。
女子が近寄ると、体操服が濡れているのが分かった。濡れて肌に張り付いた部分が透けて、淡い肌色を浮かび上がらせている。うっすらと胸の下方の赤いレースの形も透けていた。
「濡れ透け女子が寄ってきた……! もしかして僕の現実、始まっちゃってます!?」
気持ちは浮き足立っていたが、スゴミにとってはあまりの刺激。直視は出来なかった。
ただ黙って、ボールを投げるポーズをやめ、右手を裏返して直接手渡す形を取っていた。そして擁壁ブロックの手前に歩き出す。手渡しの方がこの女子を近くで見られる。スゴミの思考は浅く軽薄だったが、実際の所ただそれだけだった。
『一時のイベント』だと、『すぐに終わる事』だと……
この時はそう、思い込んでいた。