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あの……天使さん、もう帰っていいっすか? ‐天使に主役を指名されたけど、戦いたくないので帰ります‐  作者: 清水さささ
第7章・潜入編

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第252話・90分間の無限の密室。16

「嫌……? いやって、どうして……」


 男の顔は、理解できないものと相対した時の困惑に染まっていた。

 自分を殺して欲しいという彼の必死な申し出を、僕はあっさりと断った。


「どうしてって、言われても……人殺しとか、したくないっていうか……」


 駅員の男、ツヨシと向き合った僕の左手側には、彼が轢き殺したという三名の少女の遺体が、今も生々しく転がっている。その惨状を目の当たりにしながらも、僕の口から出たのはそんな、拍子抜けするような拒絶だった。


「それを、俺に言うのか……君たちが俺を、ここまで連れて来たと言うのに……」

 ツヨシは自分が轢いてしまった子供たちの遺体へと目をやって、その目を苦しげに細めた。

「俺を終わらせられるのは、君だけだ。そうじゃないか。だって、だから俺たちはここで出会ったんだよ。俺は、そう思うんだよ……」


 そして、縋り付くような視線を再び僕へと振り向ける。


「ノリコさん、あの天使みたいな、おっかない人……! あの人なら俺を殺してくれるんじゃないのか? 君はあの子に、頼む事は出来ないのか!?」


 僕は思わず、自分の左目の穴に手を被せた。

 感覚の共有で精神空間に来ているので、僕の左目は今、失われた状態になっている。

 そこにはノリコの意識も居ないし、何の気配もしない。


 僕はそのまま流れるように、頭に付けたゴーグルへと手を運んだ。

 ノリコのゴーグルは、彼女の意志が一番表に出てきやすい場所だ。

 最初、彼女が僕の表層に出て来たのも、このゴーグルからだった。


「それが……さっき交代してから、全然反応無いんすよね。ノリコちゃん」


「どうしてだ……俺はやっと、覚悟を決めたというのに……」

 肩を落として落胆し始めるツヨシ。彼はそのまま語り始めた。

「死を望まれたんだ。死んで償えるなら、俺はそうするよ……この能力だって、欲しくて貰ったわけじゃない。ただ持たされて、使っていただけだ……」


 それに対して、僕も右手に握ったドグマを自身の胸元に引き寄せて見つめた。

「そんなの、僕だって能力なんて欲しくて貰ったわけじゃないっていうか……。なんか勝手に巻き込まれてて、帰りたいのに帰れないだけなんすよね……」


 うつむく僕に対して、ツヨシは頭に手をやった。

「帰りたいって、いつ頃のことなんだ? 俺の能力は俺が事故を起こした一年前までなら、景色を共有してくれれば……きっと戻ることができる」


「それは……二週間くらい前っすかね……」


 言いかけた、その時だった。


 僕たちが立っていたツヨシの事故現場の景色は歪み始め、まるで水面に落ちたインクのように景色だけが変わっていった。

 僕とツヨシが周囲の異変に戸惑っていると、景色はすぐに落ち着き、見覚えのある狭い部屋の中の空間へと移動していた。


 白い壁、白い天井に、UFO型のシーリングライト。

 シングルベッドと勉強机だけのワンルームで、棚には美少女フィギュアが所狭しと飾られている。

 その瞬間、僕の目は驚きに大きく見開かれた。


「ここ、僕の部屋じゃないっすか……!! イメージしたから、再現されたんすか!?」


 ツヨシは部屋中を見渡しながら、フィギュア棚へと歩み寄った。


「ここが戻りたい場所だっていうなら、俺の能力で戻ってみないか……? きっとノリコさんが死ぬ前だろうから、全部元通りになるはずだ!!」


 僕はその提案に、思わず息を呑んでいた。

 確かにここは、僕が目指す最終地点なんだと思う。


 いつもの日常。


 学校を休んで、フィギュアを眺めて、ベッドで横になり、ソシャゲをし続ける。

 始まったばかりだった、僕の楽園的高校生活。

 中途半端に登校することもなく、誰とも会わず、安全で、変わらない。


 僕が目指した最高の場所こそが、まさにこの景色だった。


「帰れるなら……帰りたいっすけど……」


 ふと、フィギュア棚を見つめた。

 僕の大好きなマジカルエンジェルの美少女たち。そのセンターに飾られているのはセイントハート……こと、僕が天使さんと呼んでいる存在だ。

 棚の横に貼られたポスターも、セイントハートがメインで華やかに描かれている。


 ツヨシは、僕のフィギュア棚を見て、その中の一つを手に取った。

 それはノリコが変身する元ネタとなっている魔法少女、ヒーローハートのフィギュアだった。


 ツヨシはそれを角度を変えて見つめながら呟く。

「これ、俺を殺し続けた、あの……ノリコさんのやつじゃ……」


 それを見て、僕は怒鳴り声を上げてツヨシへと近寄った。

「ちょっと!! フィギュアを素手で触らないでくださいよ!! 脂が付いちゃうじゃないっすか……!!」


 僕の怒りは、一瞬にして頂点に達した。

 慌ててティッシュをむしり取り、ツヨシの手からフィギュアを奪い取る。傷一つ付けぬよう慎重に磨き上げ、角度を細かく変えながら、その完璧な造形に異常がないかを確認した。


 ツヨシはたじろいで一歩引き、呆れたような声を漏らす。

「な、なんだよ、悪かった……。けどさ、ここってイメージの世界なんだろ? 現実じゃないのに、そんな、大袈裟な……」


「大袈裟じゃないっすよ。アンタには分からないでしょうけど、これは僕の、何よりも大切な……っ」


 言いかけた言葉が、喉の奥で凍りついた。

 ヒーローハートの赤いスカート。その裾に躍るフリルのデザインが、不意に、あの事故現場で見た「子供の死体」――レミィと呼ばれていた肉塊が纏っていた服と重なり、脳裏に焼き付いて離れなくなった。


 息を飲んだ瞬間、異変が起きた。


 フィギュアを包んでいたティッシュが、熱を帯びて濡れ始めた。ねっとりと肌に張り付く不快な感触。見れば、真っ白な紙の裏側から、どくどくと脈打つような音を立てて「赤」が滲み出している。


 手のひらから溢れ出した赤い液体は、糸を引くように静かに床へこぼれ落ち、フローリングにどす黒い血溜まりを広げていく。


「なんだ、これ……!!」


 僕はフィギュアを強く掴み、必死に新しいティッシュを引き抜いては、裏側に詰め込んだ。

 だが、意味などない。純白の束は、次から次へと無残な赤い塊に変貌していくだけだった。


 その時、部屋のどこからともなく、幼い少女の声が響き渡った。


『どうしてスゴミ君は、私を助けてくれなかったの?』


 その声に、僕よりも先にツヨシが過剰に反応した。

「な……っ、誰だ、どこから聞こえてくる……!?」


 僕は狂ったようにティッシュを抜き取り続けていた。

「なんで、なんで止まらないんだよっ! なんで……っ!」


 心の深淵から、どろりとした黒い感情が溢れ出してくる。

 冷静さも、思考も、判断力も。まともな人間としての矜持を、内側から何かが食い荒らしていく。


「何なんだよこれ、どこから出てるんすか……どこから……!!」


 僕は半狂乱でフィギュアをひっくり返し、液体の出所を探した。

 めくれたスカートの奥に水色の下着が見える。見慣れたはずのその光景を、この精神の窮地にあってさえ一瞬視認してしまう自分に吐き気がした。


 部屋を震わせる声は止まらない。


『どうしてスゴミ君は、私をイジメるの?』


 血を抑えようと血眼になる僕を見て、ツヨシは恐怖に顔を引き攣らせ、自らの顔に指を立てた。

「なんだ、それ……事故死……!? 事故死体なのか……!? 誰だ、レミィさんか……? それとも、ノリコさんか!?」


「知らないっすよっ! ヒーローハートは魔法少女で……! 関係ないっすよ、事故もノリコちゃんも……っ!!」


 僕はフィギュアの背中を凝視した。

 台座用の支柱を差し込むための穴。そして、天使の羽を取り付けるための、肩甲骨付近にある二つの穴。


 その三つの空洞から、血がとめどなく溢れ出していた。

 まるで、背中にボルトを三本打ち込まれて絶命した、あの時のノリコを再現するかのように。


「うわぁぁああ!!」


 僕はその穴を、血まみれのティッシュで強引に塞いだ。

 水分を吸い尽くしたティッシュはもはや何も吸い込まず、僕の手のひらを真っ赤に染め上げるだけだ。


「僕じゃない、僕が悪かったんじゃ……だって、敵はプロで、これは物語で……シグマが……っ!」


 錯乱し、支離滅裂な言い訳を口の中で繰り返す。

 そんな僕の鼓膜を、赤黒い少女の声が突き刺した。


『スゴミ君……君って、最低なんだね』


 僕のトラウマの最も深い場所に根を張っている、呪いの言葉。

「最低」。

 その呟きが引き金となったかのように、部屋の白い壁一面に、無数の赤い血管のような筋が走り、脈打ちながら僕たちを取り囲んだ。


 ツヨシが僕の腕を強引に掴み、叫ぶ。

「なんかヤバい、もう戻ろう……っ! 俺のメモリアルバトンで、君の記憶に……安全な場所へ……! 取り返しのつかないことが起きる前に……っ!!」


 僕は立ち上がり、ツヨシの顔面に詰め寄って怒鳴りつけた。

「戻る……!? 無理っすよ!! あんた、そうやって結局、自分の罪から逃げてるだけじゃないっすか!!」


「何言ってるんだ、それは俺が死ねないから、君たちに……っ」


「違うだろお前っ!! 僕に責任をなすりつけんなよ! あんたはただ、事故現場に着地するのが怖くてビビってるだけじゃないっすか!! 罪を認めるってのは、死ぬのが正解じゃないんすよ!!」


 僕の気迫に押され、ツヨシは息を止めたまま後ずさった。その体が、背後のフィギュア棚に激突する。

 棚は大きく揺れ、最前列に飾られていた特大の「セイントハート」が、無残にも床へ叩きつけられた。


 セイントハートは血の海を転がり、玄関の方へと赤い尾を引きながら転がっていく。


 それを見た瞬間、僕は全てを忘れて飛び出していた。


「天使さん……!!」


 壁の赤い筋はさらに色濃くなり、部屋全体が生き物のように鼓動を始めている。

 前のめりになった僕の腕を、ツヨシがなおも掴んでいた。


「もう、どこでもいい、とにかく戻ろう……! 心核能力――メモリアルバトン……!!」


 ツヨシの絶叫と共に、視界が歪み、空間そのものがねじ曲がっていく。

 戻される。だが、どこへ?

 列車の待機列か、ツヨシの事故現場か、あるいは、僕の本当の部屋なのか。


 ノリコの気配は、どこにもない。


 僕の左手には、手首がない。


 左目は空洞だ。


 ノリコ抜きで巻き戻れば、僕の記憶すら消し去られてしまうのだろうか。


 思考が火花を散らすように駆け巡ったが、結局、僕の意識の芯に残ったのは、たった一つの執念だった。


「ちょっと……! 何、天使さん落としてんすか!! これ、一番大事なヤツなんですからね!!」


 僕は、自分を拘束するツヨシの腕を力任せに振りほどこうとした。歪み、流動を始めた空間の中で、ツヨシが大きくバランスを崩す。彼は倒れ込みながら咄嗟にフィギュア棚を掴み、その衝撃で棚が派手に揺れた。


 一瞬で肝が冷えた。国宝級の壺を目の前で叩き割られるのを見るような、絶望的な予感が背筋を走る。


「おいっー! 落ちるって!!」


 僕の悲鳴と同時に、棚の端から一つの人形が放物線を描いて落下した。

 それはボロボロに使い古された、ギリシャ神話風の戦士のソフビ人形――『アトラス』だった。

 思い出の品として残してはあるが、すでに傷だらけで、細いパーツも折れて紛失している。もはやただの「筋肉だるま」に成り果てたソフビだ。


 それを見た瞬間、僕は心底から安堵の息を漏らした。


「ふぅ、アトラスなら良いんすよ……」


 僕がそう呟いた瞬間、ツヨシの『メモリアルバトン』による空間の歪みは臨界点に達した。身体の全細胞が、強引に過去へと引き戻されていく感覚が全身を貫く。


 たしかに、時間が巻き戻っている。


 だが、一体どこへ向かっているんだ。


 巻き戻しの速度はあまりに速く、世界は色彩の奔流となって通り過ぎていく。

 一瞬見えたのは、深い森と高い空。サザナさんの逃亡屋敷の記憶だろうか。

 次に見えたのは、蜂の巣のように無機質なコンクリートが連なる天井。ここはブリディエット公国だ。僕がこの異世界で、最初に足を踏み入れた場所。


 わずか数秒に圧縮されたリプレイ。それはたしかに、僕がこれまで歩んできた道のりを精緻に逆走していた。


「もしかして……本当に、帰れるのか……?」


 淡い期待が脳裏をよぎった瞬間、視界は唐突に純白に染まり、僕は何も存在しない虚無の空間にぽつんと一人、立ち尽くしていた。


「え……っ、どういうこと? 巻き戻しは……?」


 完全に巻き戻されたはずだった。

 なのに、どうしてか右手の中にある「べっとりとした液体の感触」だけが、いつまでも消えずに残っている。


 這い寄るような違和感に突き動かされ、僕は自分の右手へと視線を落とした。


 そこには……


 さっき棚から投げ出されたはずの、あの「天使さん」のフィギュアが、逃がさないと言わんばかりに固く握りしめられていた。

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