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あの……天使さん、もう帰っていいっすか? ‐天使に主役を指名されたけど、戦いたくないので帰ります‐  作者: 清水さささ
第7章・潜入編

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第251話・90分間の無限の密室。15

『帰る』と言って、駆け出した。


 僕の為に手を汚してくれるとまで言ったノリコの闘志も押さえ込んだ。

 撃たれたタチバナさんも、コンテナの影に隠れる仲間たちもその場に置きざりにして、僕は睨み合いの膠着から抜け出した。


 サザナさんの交渉一本という綱渡りの上を走っていた。


 コンテナの影から飛び出して、燃え盛る列車の正面に近づこうとした僕に、軍の兵士の一人が気がついた。


「止まれ、貴様……っ!!」


 ガチャリと機関銃の銃口が僕に向いた瞬間、僕は思わず体が硬直した。

「うわぁ……っ、ヒッ!!」


 情けない、素の反応だった。


 だが逆に、その必死さが好転を見せた。

 兵士はすぐに機関銃の銃口を自身の肩へと当てるように引いた。


「民間人か……!!」


 僕は、その隙を逃さなかった。


 さっきタチバナさんが撃たれた時に、軍隊がざわめいていたのを見ていた。この人は民間人への誤射を気にしている。


 僕は列車の先頭を指さして、大声をあげた。

「ツヨシが……ツヨシが列車の中に居るんです……!!」


 言うなり、兵士を無視して走り出していた。

 僕にはサザナさんやリランさんのような、うまい嘘なんて使えない。正直に必死に、誤認を狙って言った一言だった。


 何度も何度も見せられた、タイムリープ能力による「認知差の力」。僕が今手にしている武器はそれだった。兵士からすれば、燃え盛る列車から友人を助けようとしている民間人に見えることだろう。


「おい待て、そっちは危険だ……!!」


 兵士の男は僕を大声で止めにかかったが、今の僕は「背中を撃たれない」。その事実が確認出来るだけで十分だった。


 僕は列車の最前車両、駅員のツヨシのいた操縦席の、アルミ缶のように潰れた残骸の前へと立った。


 今も上からは火災による熱が肌を撫で、パチパチと火の弾ける音がテンポよく聞こえ続けている。列車は全体が金属製なので、燃えているのは主に客席のシートのようだった。


 僕は恐る恐る、操縦席のあった場所を覗いた。


 ノリコの拳による一撃で真ん中から大きくへこんで、金属がビニール袋のように溶けて固まっている。


 操縦席は、ほとんどその原型を残していなかったが、部屋の隅だけに鉄板が折れ曲がりによって、僅かに空間が生まれていた。


その僅かな隙間の下から血が流れ出し、折り重なる鉄板の下の隙間に、男性の靴がはみ出しているのが見えた。


 僕はその光景を見ただけで、ツヨシが生きていると確信を持った。

 僕は降り落ちる火の粉を手で祓いながら、鉄板の壁を叩いて声を上げた。

「ツヨシ……!! いるんすか、ツヨシ、そこに……!!」


「う……ぅも……」


 くぐもるような、切れそうな息を漏らしながら、男の足がわずかに動いた。


「やっぱり生きてる……時間、巻き戻してない……」


 僕は熱を帯びた鉄板に手をかけて引っ張った。

 だがギシギシと言うだけで、硬質な外装は人間の力で開くような硬さではない。


 僕の背中へとデフィーナが登って来て、告げた。


「どきなさい。殺すならシスターズネイルが隙間から入り込んで切り刻むわ」


「殺すんじゃないんすよ、話がしたいんすよっ!!」


「話すって、なにを……」


 デフィーナが言いかけたその時だった。僕たちの背後に兵士の一人がやって来て、操縦席の下から僕たちに向かって銃を構えた。


「降りろっ!危ないと言ってるだろ!救助なら我々がするから早くさがれ……!!」


 それに対して、デフィーナは振り向いて、袖を変形させたナイフを構える。


タイムリミット、一触即発の空気だ。


「やるわよ……っ!!」


デフィーナの目は兵士の首筋をしっかりと睨みつけていた。

僕はナイフ化し始めていたデフィーナの袖を強く引っ張った。


「ダメだって、言ってんでしょ!その人も僕らを……助けに来てるですからぁ!!」


 言っても無駄だ。


このままでは兵士とデフィーナが衝突してしまう。焦燥感に駆られた僕は、大声で叫びながら、ツヨシが入った狭い空間の、鉄板の切れ目へと右腕を無理やりに突っ込んだ。


腕が鉄板の隙間に沈むと、金属片が腕を引っ掻いた。


 ……痛い。


 鋭い鉄板が僕の皮膚を引きちぎり、肉へとグチグチと侵食してきて激痛が走る。


 僕の肘から大量の血液が糸のように流れ出すと、デフィーナが驚いて僕の腕を掴んで引き止めた。


「ちょっと何してんのよ、本当に!右腕もノリコになるわよっ!!」


 僕の顔は痛みに歪み、涙が感情とは別にボロボロと溢れ出していた。

だが、それでも僕は止めなかった。デフィーナにも構わなかった。


「今ここで……! やるしか無いんすよっ!!」


 右手の指先に、駅員のスーツの僅かな感触が触れた。

 届きそうなのに、届かない。

 僕の腕が出血多量で痺れを起こし始めると、クジラの遠吠えのような金属音が、駅のホームに響き渡った。


「列車が倒れるぞ……!!」


 どこからか聞こえてくる、軍人たちの叫び声。


「おい、離れろ……!!」

 僕を見に来た、若くて真面目そうな兵士の声が。遠ざかりながらの最期の忠告を入れた。。


「いい加減にしなさいよねっ!!」

 僕の頬に口が着きそうな程の近距離で、デフィーナが高い声を張り上げて、僕の腕を思い切り掴んで引き抜こうとする。


縦になっていた列車は「グォーン」という悲しみの音を奏でながら、駅のホームに向かって倒れ始めた。

 僕がいる操縦席の床も跳ね上がり、体が吹き飛ばされそうになる。


デフィーナが僕の胸に抱きついて、社内の手すりだった鉄棒にしがみつく。

足が滑って落下しそうになる、最期の瞬間。


 僕は叫んだ。


「僕のドグマはここにある。届け声……!! ツヨシ、僕はお前を……帰らせる!!」


 僕の手のひらに、野球ボール大の白球……ドグマが生成された。

 今までギリギリで届かなかった僕の指は、ドグマを通してツヨシの胸板の弾力を感じ取っていた。


 間もなく、列車は完全に横転。


巨大な車体がコンクリートの ホームを叩き割り、激しい破壊音を立てて、炎が水飛沫のように跳ね上がった。



 ────熱い。


 僕は今、熱に包まれている。


 鉄の匂い。砕けた鉄が熱せられた、ケミカルな異臭が僕の鼻腔を痛く刺激していた。


 だが、静かだ。


 さっきまでの轟音と兵士達の声が、まるで蓋をしたように静まり返っていた。


 痛みは無かった。

 裂けたはずの右腕も痛くないし、体のどこも痛みなんて感じない。


 気づけば僕は、違う景色の中にいた。


 先程までの駅のホームは、倉庫の屋内だった。だが今いるのは、白い壁が並ぶ綺麗な街並みの一角だった。

 その白い壁の前に僕は立っていた。

 屋内ではないはずなのに、見上げればその上には天井がある。


 防壕国家都市だ。


 僕が知らない都市の天井を、僕はどうやら見上げていた。

 視線を天井から正面の白い民家の屋根へ、そして壁へと落とす。

 すると、白石混じりのアスファルトで固められた地面の上に、人の死体が転がっていた。


 人数は三名。

 全員小柄な女の子で、二人は目立った外傷が見当たらなかったが、一人は腹部が大きく裂けて、滲む血液がアスファルトを赤黒く染め上げていた。


「これって……」


 小さく呟いた瞬間に、右手側に車が停まっているのが視界に入った。左のライトは割れて車両がへこみ、ボンネットがひしゃげて浮いている。


 壁に激突する事故を起こした車のようだ。

 白い壁には大きな亀裂と、イチゴを叩きつけたような赤い炸裂跡が、克明に残っていた。


 その亀裂の脇に、ツヨシが座り込んでいた。

 格好は駅員のままだ。


 頭に両手で爪を立てるように抱え込み、小さく丸まって震えながら、目の前の子供の死体を凝視している。


「俺が悪いんだ、俺が悪いんだ……俺が、俺が……」


 僕はその姿を見て、息を呑んだ。


「これって、ツヨシが起こしたっていう、事故の記憶っすか……」


 一言質問して、自分の左目が無いことに気がついた。

 精神空間――ツヨシとの感覚の共有。重たい感情の濁流が直接流れ込んできて、僕は頭痛を覚えた。


 ツヨシは目の下に爪を深く食い込ませる。


「赤いスカートの子がレミィだ。将来の夢はシスターで、好きな食べ物は栗まんじゅう……」


 言われて死体を再度見る。

 一番損壊の酷い子のスカートが、真っ赤なフリルにリボンをつけていた。


「裁判の傍聴席でさ……母親が泣いて、俺に死刑をって、むしろ殺させろって、叫んでいたんだ」


 ツヨシは健康そうに戻った顔で、目の下に赤い跡をつけながら、血走った目で僕を見あげた。


「俺は人に、本気で死んで欲しいって、正面切って言われたの……初めてだったんだよ。声も出せないでいると、冷たい目だ、何も感じていない冷酷だって……何も言えなかったよ」


 僕は、どう返せば良いのか分からなかった。


「……でも、酒で記憶……無かったんすよね……」


「ああ……無かった。飲み会でビールを一気飲みさせられて、今日は車で寝ていきますよって、日本酒を手にして……次の記憶で俺は殺人者になっていた……」


 子供たちの死体は記憶の中の映像だ。

 今更僕に何かできる訳ではない。

 僕はツヨシが帰るために話をしに来たはずなのに、その解決策なんて何も考えていなかった。


「……でも、その……飲み会の記憶あるなら、そこまで戻れないんすか? 巻き戻し能力で……」


「無理だ。俺の能力……メモリアルバトンは嫌な出来事を取り消すためのものなのに、その原点がこのシーンだから、ここより先へは戻れない」


 ツヨシは額に爪を立てた。


「ノリコって凄い人に殴られ続けて……ここまでは戻ってきたんだ。でも、この場所に着陸する度胸が無かった……」


 震える目で救いを求めるように見上げてくる。

 その必死な瞳を見つめるのが怖くなり、僕は思わず視線を逸らした。


「恨まれるのって……辛いっすもんね……」


 その言葉を発した瞬間、僕の記憶の底から、ある感情がドロドロと湧き上がる。

 僕が戦わなかったせいで死んだ、最初の支持者アルハ。無名のあの子が僕に向けた、憎悪に染まった赤い瞳だ。


 その記憶の残滓だけで、冷や汗が噴き出し、喉の奥がカラカラに乾く。


 僕が押し黙っていると、ツヨシは立ち上がり、ふらふらと僕の前に歩み出た。


「俺の能力は、自分の気持ちが限界になると、記憶した景色まで戻れるものなんだが……死ぬ瞬間、意識が切れる瞬間には、勝手に発動するんだ」


 僕はその唐突な説明に戸惑い、頬を指でかきながら、上ずった声を出した。


「ああ……そういう感じっすよね……いや、待って、なんでそんなこと……」


 僕の動揺を遮るように、ツヨシは僕の手をとった。


「スゴミ君だよね。君さ……俺を殺してくれないかな」


 僕は反射的に、その手を振り払った。


「こ、殺すっすか……!? なんでそんなこと、急に言うんすか……!!」


「俺はレミィの母親の言ってた通り、死ぬべきだと思う。でも、能力があるから自分じゃ死ねない……」


 ツヨシは、僕の右手に収まっていた野球ボール大の白球に手を重ねてくる。


「俺の巻き戻しに対抗出来る、君のその力なら……俺を本当に終わらせる事も、出来るんじゃないかって、何となく……そう思ったんだよ」


 ツヨシは、僕の右手のドグマに自らの心臓の位置を押し当てた。

 重なる胸の奥から、ツヨシの早鐘のような心臓の鼓動が、僕の手のひらに直接伝わってくる。


 それと同時に、脳裏に確信が降りてきた。

 ――ああ、ここでやれば、本当にツヨシを殺せる。


 感覚を共有しているため、その認識は彼にも筒抜けのようだった。


「そうか……出来るんだね。だったら君か、ノリコさんでもいい。僕に最後の罰を与えてくれ……」


 ツヨシは全てを諦めたように、静かに腕を広げた。


「きっとこれは、君たちにしか出来ない。運命なんだと……思う」


 早まる彼の鼓動が、僕の鼓動までもを早めていった。ノリコが何回も何回も無慈悲に殺し続けたこの男を、僕は純粋に、純粋に……純粋に。


 ただ僕はコイツを……


「あの……嫌っすけど、大丈夫っすか」


 僕は純粋に、殺人をしたくなかった。

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