第21話・恐怖の禍根
アホウドリって鳥がいる。
奴らは天敵のいない環境で過ごした為、人を恐れない。
簡単に捕獲出来る無警戒の鳥だったことから
『アホの鳥』って名前になったらしい。
そして捕まえまくっていたら、絶滅寸前になっていた。
アホな話だ。
恐怖ってのは、生き残る上で重要だ。
『逃げる』って選択肢が出来る。恐れ知らず?命知らず?
そんなものは異常者だ。生物として破綻してる。
なので僕は、めちゃくちゃ正常です。
*
「やば……怖すぎ……」
肝試しの廃病院、二階への階段前。その上は完全な闇。
「マリアン、ゆっくりでいいっすよ……」
「離れないでね……!ねえ、離れないでね……!」
ヒメガミさんを気遣いながら、一歩一歩、階段を登る。
怖いし、行きたくない、肝なんて試さなくても脆弱です。
それでもネオンさんが観察している。
今は進むしかない。
広めの踊り場を切り返し、二階に到着した。
右手には広いエントランスルーム、左手には奥が見えない廊下が続いている。
目指すのは、次の階段。その始まりが六歩程右手にあった。
「大丈夫っすか、行きますよ……」
ヒメガミさんは芯から震え、もう声も出さなかった。
廊下に、二歩、足を踏み出した。
──その時だった。
きり……きり、きり……
背中に柔らかいものが、ぴたりと何かがくっついてきた。ヒメガミさんだ。腕を掴むのをやめ、背中に張りついている。
「なに……!なにあれ……!!」
その声は、完全に怯えていた。空気が震えるような気配。
僕は廊下の左に振り返った。長い廊下のど真ん中に、車椅子。来た瞬間には無かった車椅子。それがひとりでに動きながら、ゆっくりと近寄ってきていた。
やばいやばいやばいやばい!!
僕の理性は一瞬で吹き飛んだ。
体が反射的に異常行動をしていた。
「後ろに!」
背中のヒメガミさんを車椅子から遠ざけるように、自分を盾にするように立っていた。
「いやあ!!」
ヒメガミさんが、その場にしゃがみ込む。
ズボンの裾だけつかみ、丸くなり、肩を震わせ始めた。動かなくてはいけないと、叫んだ。
「ヒメガミさん、戻りましょう!なにか、やばい!!」
「いやあ!むり!!むり!!」
彼女は既に恐怖に押しつぶされていた。
「立って!ヒメガミさん!」
「むり!!むり!!」
車椅子は、ジリジリと、着実にこちらへ迫ってくる。
「僕だって逃げたいのに……クソ!!」
【プロジェクト、絶対条件2】
マリアンは怖い時、抱きしめて欲しい。
恐怖が正常に機能するのは『逃げる』がセットの時だけだ。
彼女の恐怖は壊れてる。今は正常に戻すしかない。
僕は、歯を食いしばって動いた。
「マリアン!!」
しゃがみ込むヒメガミさんに、覆いかぶさるように抱きついた。
胸の鼓動と体温を、彼女の背中に直接伝えるように。
腕の中で、小さな小さな震えを感じた。
か弱くて、今にも崩れてしまいそうな、怯えのかたまり。それを、力強く包み込んだ。
「大丈夫っすよ!僕がついてる!ヒメガミさん落ち着いて、立って、逃げるんだ!」
「ねえ!私、怖いの、怖くて…!」
──その瞬間だった。
ガシャーン!!
車椅子が突如、真横に吹っ飛び、廊下の壁に叩きつけられた。
「えっ……」
驚いて体を起こす。そこで、僕の時間が止まった。
そこに立っていたのは、出発順で2番目だった男。
目つきの鋭い小柄なやつ、クロノだった。
理解が追いつかない。
「クロノ……さん、どうしてここに……助けに……?」
固まった僕の顔を見て、クロノの目尻が愉悦に歪む。
「はっははは!最っ高!お前最高だよ!!」
信じられないテンションで笑っている。何が起きているのか、まだ理解できない。
「は?最高……なに?」
クロノはスマホで何かを見ている。そこからヒメガミさんの『いやー!』という叫び声が漏れてくる。
「いいの撮れたわあ!廃墟で泣き叫ぶヒメガミに、覆い被さるストーカー!」
「……あ?」
僕の頭のどこかで、なにかが切れる音がした。
「なに、まだ分かんないの?ハメられたんだよお前!この動画を拡散されたくなければ、口止め料が必要って話!!」
クロノはゆがみきった目つきの悪さで、スマホの画面をこちらに向ける。
本人の言ってる通りの映像がそこにあった。
クロノはそのクソチビ体格を活かし、しゃがんで車椅子を押しながら近づいてきた。
僕達を驚かす為に、ヒメガミさんに抱きつく僕を撮影するために……
つまり、あの異音も全部……演出?
「ネオンさーん、バッチリですよー! コイツ最高過ぎてさあ!!」
クロノが階段下に向けて声をあげた。
「は? ネオンさん……?」
コツ……コツ……階段の下から足音が聞こえる。懐中電灯の灯りが揺れている。
この事態になった時点で、さすがに分かる。
クロノの単独犯じゃない。
コツ……コツ……パリッ、ガラスを踏む音が聴こえる。階段下の踊り場に人影が現れる。
順番を決めたのも、ヒメガミさんと一緒に行けと言ったのも
抱きついて守れと指示したのも……
「わりーな、ヒサヅカ」
階段を10段ほど降りたその先に、司馬祢音が姿を現した。
「いい夢見れたか? 夢は醒めたか? ちょっと現実の話をしような。」
「やめろ……」
ネオンは冷たい笑いをこちらに向けた。
「全部、私のプロジェクトだったわけ、お前さ、最高だったよ。」
ああ……『最低』だよ……
ウィィイイイン!!
再び上階の遠くから、不快な掃除機で吸い込むのような音が響いた。
「何言ってるんすか、ネオンさん、冗談っすよね、ドッキリとか……」
「悪いな、ガチだよ。」
ああ、ダメだ、僕の脳を呪いの音が駆け巡る……『最低』
それが常に僕の恐怖の中心にある。
出過ぎた真似は怪我の元。英雄が報われるとは限らない。
僕が最も忌み嫌っていた者……
それは、他人の恨みに無頓着、人に恨まれるという
恐怖を忘れた異常者共だ。
あの小学二年の7月に、恐怖が始まり、現実が終わった。僕はあの夏、いじめられていた友達を助ける為に戦った。
友達の名前は……わすれた。覚えてない。
相手は3人いて、僕はそのうちの一人を殴った。殴った奴の名前も覚えちゃいない。
イジメの標的は僕にすり替わり、トイレに連れ込まれ、沢山殴られた。
丁度漢字を覚えて自分の名前なら難しい漢字も書いたりする時期だ。『塚』が上手く書けなかった。
「お前の名前!久塚 凄巳ってさあ…!クズ!カス!ゴミ!って読めんだよなぁ!だったらクソも付けたらどうだ!!」
僕は便器に突き落とされた。イジメの主犯格。コイツは覚えてる。
シゲル君だ。
苗字なんて覚えてない。喧嘩が強くて頭も回る、典型的な異常者だった。
それでも僕には誇りがあった。僕は友達をイジメから助けた。力は無いけど、出来ることをした。
そう思って、教室に戻ると、助けた友達に言われた。
『 最 低 』
そうだ、女の子だ。女の子の声だった。もう、なんで友達になったのかも覚えていない。僕の中で彼女も異常者になった。あの日を境に、僕は全てから逃げ続けた。出過ぎた真似は怪我の元だから。
でも今日は逃げなかった。僕は帰らなかった、だからこうなった。帰らなかった僕が悪い。
ネオンさんは強引だったが、天使さんじゃない、瞬間移動もして来ないし、剣も持ってない。僕は逃げる事もできたけど、何かを求めて踏み出した。だからここに居る。
悪いのは僕自身の選択だ。
「はあ……もう帰って良いっすか。」
「はあ?ダメに決まってるだろ、どうすんだよこの動画!」
廊下のクソチビ異常者がスマホをこちらに向けてくる。
「暴力のない、ビジネスライクな話をしような、解決に向けてさ」
階段下の踊り場で異常女がなんか言ってる。
僕の胸の中では……ヒメガミさんの身体だけが小刻みに、芯からの震えを持って正常反応を示していた。