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第11話・壁際の横隊陣形。

HAHAHAハッハッハ―――!!』


 赤いマントのバナナ王が、テカテカの黒ボディをアピールしている。


 ベッドで僕を押さえつけて密着しながらナイフを刺してくるアルハに対して、僕の妄想は死と欲情の二重螺旋に支配されいた。限界の精神の中、僕はアルハのナイフを掴む腕に僕の気持ちの全てを込めていた。



「こんな可愛い腕で……僕の事を殺すんですかっ!!」


「はあ? 言ってる意味が分からないけど」



 その時だった、ベッド脇のフィギュア棚が揺れて、何かが飛んできた。それは落ちたんじゃない。まっすぐにアルハの後頭部を狙って、ミサイルの様に飛んできていた。


 バシッ


「いった…!」



 その衝撃にアルハが一瞬ひるんだ。


 飛んできたのはソフビ人形だった。ギリシャ神話の戦士を思わせる造形。黄金の兜、分厚い胸板に、黄金の盾、翼のような赤いマントの堂々たる姿のオモチャだった。


 それはアルハの頭に命中したあと、何事も無かったように自然に部屋の隅へ転がっていった。アルハは頭を押さえながら顔を上げる。



「は……? 人形?」


 アルハが人形に目をやっているその間、僕は首から血を流しながらも、体を起こしていた。両手はナイフを握るアルハの腕をしっかりと掴み、そのまま腕をアルハの頭上へと押し返していく。


 アルハは困惑と怯えの混じった顔をしていた。体をのけ反らせて僕に向けて胸を張り、バランスを崩したアルハは、後ずさってベッドから降りて立ち上がった。


「あ、あなた、どうして……!?」


「知らないっすよ! アンタが突然力抜いたんでしょうが!」


「でも、あの人形って……」


「だから知らないって言ってんすよ! アンタが暴れるから、落ちてきたんじゃないっすか!」


「違うわよ!」



 一歩、また一歩と、まるでぎこちない社交ダンスのコマ送りで、そのままアルハの腕を頭の上に持ち上げ、反対の壁へと押していく。視界の隅にさっき転がった戦士の人形を見つけた。



「アトラス人形……」


「アトラス……?」



 それは僕にとって大切なソフビ人形だった。5歳の誕生日に貰ってからずっと遊んでおり、塗装が剥げて傷だらけだった。遊んだ内容は覚えていない。でも自分のフィギュア趣味の原型とも言える、守る正義を象徴した使い古された英雄だった。



「そうっすよ!! 正義の戦士アトラスだ! あれが落ちてきたってことは、アンタみたいな殺人鬼が裁かれるって、そういうことじゃないんすかね!!」



 ドン!


 アルハの腕を壁へと押し付けた、アルハの顔は僕の胸元辺りから屈辱のような目で睨みあげ、腕を暴れさせて脱出しようとしていたが、さっきの重機のような力は無くなり、とても弱々しい女子の筋力を感じていた。


 アルハは吠えるように僕を罵った。


「このクズ……ドグマも持ってないくせに……!」


「うるさいんすよ! 太ももぐいぐい押し付けてきてさ! こっちはもうバナナパニックでウホウホ状態なんすよ!!」


 一瞬アルハが理解不能を示して黙り込み、その後、僕のスボンに視線を落として目を細め、歯を食いしばって吐き捨てた。


「はあ!? アホなの!? こ、この変態!!」


「アンタが言うな……!! つってんすよ!!」


 アルハは左腕をギチギチと動かす、その殺意は微塵も衰えていないのを感じる。なにせ刃は常に僕に向けられているし、腕を動かそうと暴れる方向が、レールでも敷かれているように一定に、明確に僕の首を目指していた。


 アルハは腕を小刻みに暴れさせながら、けだるそうにしゃべる。



「なに? いつまで触ってる気? 放しなさいよ」

「じゃあそのナイフ、先に捨ててくださいっすよ!」


「なんで?」

「だって刺そうとするでしょ!!」


「クズのクセに未練がましわね、アンタが生きててなんになるのよ」

「そんなの、あなたが決めることじゃないですよね!!」



 どこまでも殺意の衰えないアルハに、僕は困惑を感じていた。僕は彼女を見捨てて逃げた、恨まれるのは分かる、でも今の彼女は傷一つない綺麗な身体だ。何が事実だったのかすら分からない。


 アルハは腕を動かすのを一旦やめた、きっと跡になるくらい握っている。彼女の腕を掴む僕の手のひらは汗が滲み、熱くなっていた。


「……あの、いい加減にしてくれる? これ腕が痛いんだけど」

「こっちはもっと痛かったんですが!!」


「まったく、男のくせにピーピーうるさいわね」


 そう言って全身を使って腕を動かそうとしてきた。アルハの頭が僕の胸に埋まり、強めの力が入ったが、僕は腕を離さなかった。彼女は僕の胸から顔を上げ、苦くゆがんだ顔をしたまま続ける。


「分かったわ、殺すのは一旦やめるから、まず放してもらえる?」

「それなら、ナイフ捨ててからっす」


「なんで」

「信じるわけないでしょ! 馬鹿なんすか!」


 依然としてナイフを掴むアルハの手から力が抜ける気配はない、その力の込め方が離した瞬間喉を切られる事を証明していた。アルハはため息をつき、落ち着いて次の言葉へとうつった。



「じゃあこうしましょう、今後なにがあっても絶対に逃げないって誓って。それなら、あなたの始末も見送るし、ナイフも捨てるわよ」


 アルハからの新提案だった、何かが動きつつある、しかし僕は譲らない。



「アンタ、状況わかってないんすか?」


「……はあ?」


「…はあ? じゃないっすよ! 聞くわけないでしょ、そんな約束! あんなイカレ超人天使が来たら、逃げるに決まってるじゃないっすか!!」



 それを言った瞬間、アルハの全身から、ふっと力が抜けた。さっきまでい硬かった怒りの表情が崩れ、代わりに浮かんだのは、完全に呆れきった顔。



「また逃げる気なの? 有り得なくない? 恥ずかしくないの?」



 本当は悔しかった。でも……


「あんたも逃げたら良かったじゃないですか! なに立ち向かってるんすか! 天使さんは瞬間移動するんですよ! 全然攻撃当たってなかったじゃないっすか!」


「それはあなたが……」


「僕がいても変わりませんから! アレと戦う意味が分からないって言ってんすよ!!」



 僕は喧嘩すらしたことがない、誰かを本気で殴ったのも、殴られたのも、学校に行っていた小学二年の夏が最後だった。



 沈黙のあとにアルハが口を開く。


「私は物語に従って戦うようになってんのよ、私が聞いてんのは、ドグマを掴んだ男であるあなたが、死にかけの女子を置いてまた逃げるのかって、それを聞いてんのよ」


 押さえつけてるのは自分なのに、心は逆に逃げ場が無くて押しつぶされそうだった。脳裏に明るく可愛い声が蘇る。それは天使の優しくもハツラツとした耳心地のいい声。


 ───「不思議だねー! 天使さんはスゴミ君がえらんだ道を信じているよ!!」


 拳に力が入る。最高に可愛い笑顔で、無様に逃げる僕を褒め称えた天使さん。悔しかったのか、でも確かに理不尽な選択だったと思ってる。自分に言い聞かせるように理論を絞り出す。



「だって、そもそも君は他人でしょ!? 初対面の関係も分からない他人でしたよ!!」


「他人だったら、守らないの?」


「当然でしょ!! そりゃあ仮に彼女が相手とかだったら、守ると思いますけど?」




 条件付きの虚勢を張った。それなら理屈は通る。

 しかしアルハはそのハリボテの理屈すら即答で侵入してくる。




「じゃあ、彼女でいいけど」


「へぇ、アルハさんが僕の彼女にね……って、なんでそうなるんすか!?」


「彼女だったら守るって言ったじゃないの」

「いやいやいや! 例え話でしょ!? バカなんすか!」


「私はアンタが逃げなければ、後はどうでもいいのよ」


「なんなんすか、ほんとにもう……」




 何を言ったら諦めるんだコイツは。物語があるから天使さんと戦う? それで僕に逃げるなって? 僕が帰っても部屋まで追ってきて殺そうとしてきて……? やってられない、付き合いきれない、何が物語だ、勝手にやってろ、もっと強い男を探しにいけ。


 もうアルハになんて思われようが知った事か、帰ってくれ、帰ってくれとヤケクソだった、だから僕は投げやりに挑発した。



「もしアルハさんが本当に彼女になるっていうならね! 胸でも晒してチューしてくださいっすよ!! チュー!!」



 そのバカバカしい挑発をかました瞬間、アルハの頭髪が逆立ち、顔が一気に赤くなり、表情が引きつって歯茎を見せた。



「はあ!? なにそれ!! 本気で言ってんの!?」


「あ、今のは......その……」


 明らかに言い過ぎた、アルハになんて思われようが構わないが、自分でも若干引いていた、言葉が出せなくなって視線を逸らしていた。



「……気持ち悪いわね」


 アルハはそう呟いて、左手で赤いネクタイを軽くゆるめ、制服のシャツに指をかけ、胸元からボタンごと引きちぎった。


 パチンッ


 ボタンが弾けて僕の腹に命中し、僕は視線をアルハに戻す、言葉も出せず呆気に取られていると、目をそらしながら、悔しさを噛み殺すような顔で、チラリと開いて柔らかく盛り上がった素肌を見せる。その胸に紺のレースの端がチラリと見えた。


 そう思った次の瞬間…


「 最 低 」


 そう言い放ち、左手で僕の胸元を引っ張り下ろすと、背伸びして顔をぐいと近づけ、ぎゅっと唇を重ねた。



「んんっ!?」



 くだらない挑発をしたら、アルハから飛んできたのは正面からのキスという正面突破のカウンター。


 状況への困惑以上に僕の心を埋めつくしたのは……


 幸福感だった。



 アルハの唇、柔らかくしっとりして、とろけるような感覚だ。プリンの海に全裸で飛び込んだような、ありえないやわらかさと、電撃のような快楽が全身の神経回路を焼き焦がし、細胞のひとつひとつが咆哮した。


 その心の大歓声は、まるで中世の戦陣、槍を構えたファランクスの横隊陣形だった。臨戦態勢で槍を掲げ、吠えたける戦士たちのように、全身の毛穴がプツプツと立ち上がる。


 チッ


 唇が離れた、粘つく糸が、唇と唇を一瞬だけつなぎとめる。その余韻に唇が痙攣したようにアルハとの繋がりだけを求めていた。




 理屈なんていらない、僕の心は一撃で轟沈した。




 アルハが口元をぬぐいながら、目つきは鋭いままで睨んだ。


「これで、逃げないで、私を守るんでしょ?」



「ふぁい、逃げないでひゅ……」


 完全敗北を喫した僕の脳みそは、壊れて、爆ぜて、融解して、穴の空いた卵黄のようにしぼんでいった。

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