最終話 玉結び
糺華の尊い犠牲によって、港湾地区の瘴気汚染は最小限の被害で済んだ。
だがその活躍を知る者は少ない。
主だったホツレが消滅し、地上には一応の理が戻ったと言えるかもしれない。
だが、MDSは未だ悲しみの霧を拭えずにいる。
宗像は死の淵を彷徨うほどの重傷であったがなんとか持ち直し、糺華が残していったヘアゴムをいつまでも眺めていた。
MDSは雪乃と影海が中心となって依頼に励み、出向になったダリス伍長と共に金銭的問題の解決に奮闘している。
特に雪乃は一時抜け殻になった宗像を支え続け、献身的に付き添い続けた。
米軍からその能力と頭脳に敬意を表されMIT留学への推薦状も出すとまで声をかけてもらえたが、あっさり拒否し宗像の側にいることを選んだ。
今でもセクハラまがいの発明品を作るパトリックを踏みつけては、気合の入った指揮力を発揮していた。
だが、みんなはつい、空席になっている糺華の席を見て埋めきれぬ空虚な寂しさに耐えている。
文は突如襲われる喪失感に落ち込み泣き明かしていた。親友だっただけに、そのショックはまた大きいのだろう。
そんな雰囲気の中、亜麻色は必要以上に空元気で皆を励ましている。
彼らは、少しずつ一歩を踏み出しつつあった。
MDS事務所前に止まっていた黒のセダンには釼康平と瑞萌の姿があった。
「あいつらは大丈夫そうじゃねえか」
「糺華ちゃん……」
「いつか聞こうと思ってたんだがよ、お前さんが糺華をそこまで大事にする理由って何なんだ?」
助手席を倒しながら瑞萌は呟くように語りだす。
「糺華ちゃんがまだ7歳頃かな、あの子ね私のことを、いい匂いがする優しいお姉さんって言ってくれたの」
「へぇ……」
「復讐に憑りつかれた私のことをそう言ってくれてね、一緒に遊ぼうって甘えてくれたの。それがね、そんな子供の純粋な行動が人を救うこともあるんだって。私は結女だけどまだ人の部分も残ってるって思わせてくれた」
「そりゃ守る理由には十分だ。楽しかったぞ瑞萌……あっちでもうまくやれよ、次はプロピアニストだ」
瑞萌の体が穏やかな優しい光の粒子に包まれている。
「もっともっと、あいつらを結んでやろうと思ってたけど、ドゥルジ・ナスが結ばれて一区切りついて、なんだそうういうことか。糺華ちゃんの大切な人たちをを守れて、満足しちゃったんだね私」
既に手は透け始め、やわらなか笑みが釼に向けられている。
「いいか、二度と俺のところに来るんじゃねえぞ、未来永劫会うことはないし、俺と出会っちゃだめだなんだ」
「康平の復讐はまだ続くんだね、あのね……次の子にも優しくしてあげてね、あなたはあの宗像さんと一緒。誰より優しくて傷つきやすい……今までありが……とう」
瑞萌のセーラー服が助手席にふわりと舞い落ちた。
「……瑞萌、君の来世が優しさと光と、笑顔に満ちたものであることを祈る」
目の当たりをこすった釼は、乱暴に車を発進させていく。
結女としてホツレ共と戦ってきた瑞萌が、ようやく理の環の中にある輪廻へと帰っていった。
◇
あれから3カ月、二月下旬の頃。
事後処理が一段落したことで、宗像は皆に少し考えたいことがあると一人で旅に出ていた。
なんとなく山沿いの道の駅に寄り、行きかう人々や親子連れの幸せな様子を眺めては自分が為した事の意味を考え続けている。
「糺華、俺はお前を利用しただけだったんじゃないのか、己の復讐のために」
” そんなことないよ! ”
と後ろから聞こえてきそうな気さえしてくる。
なんだろうこの地獄のような虚脱感は、この喪失感は。
糺華はこの世に瘴気が溢れぬよう、奴を地獄へ送るため共に堕ちたのだろう。
この世界の人々を救うため、我が身の痛みを顧みず恐れず、なんて娘だ。
いや、実の娘じゃないんだ。
だから、娘なんて言うのはおこがましかったのか。
結局俺は最初からずっと一人ぼっちだったってことなのかな。
もう真由子にも会えないんだ。愛しい人も、最愛の娘も……
何度拳銃をこめかみに当てたことだろう。
そのたびに聞こえてくる君の最後の、生きて、という言の葉。
支えてくれたもう一人の娘、雪乃がいなければとうに引き金を引いていただろう。
かろうじて踏みとどまる日々が続く。
黒眼を倒せば、みんなの魂を解放することだけを目的に生きてきた。
その先など考えていなかった。
考えることが禁忌であるような気がしていた。
気付くと、頬を伝う涙が零れている。
もう枯れたと思っていたのに、溢れ出る。
押さえきれない。
糺華と過ごした暖かく、優しい時間。
野菜の唄を一緒に歌ったお風呂タイム。
学芸会でお姫様をすると決まったとき、何度も何度も練習につきあったあの日。
気付くと嗚咽していた。
駐車場で一人泣く自分がどう見られているのかさえ意識することができずにいる。
「こんなにも、こんなにも俺はお前に助けられて、救われていたのに、なんで助けてやれないんだ。もっと好きなことを、おいしいものを食べさせてやりたかった、後悔に圧し潰されそうだ、いやいっそ圧し潰して殺してくれていい……」
何度も糺華の行先を追ったが、人智を超えた現象について手掛かりさえつかめていなかった。
車に寄りかかり、頬に染みる雪の華が痛い。
なんだろう、また錯覚なのだろう。
右手が何かに包まれている気がする。
あの時みたいに。
あの時――
初めて出会った日、過去に苦しむ俺の気持ちを汲み取り、涙してくれた糺華。
そっと右手を撫でてくれた時に見せた、あの世界一美しい涙。
「っ!?」
クマ耳のフードをかぶった女の子がそこには立っていた。
「痛くない? もう大丈夫だからね」
「!? あっ……!」
10歳ごろの姿になった糺華がぱさりとフードをとる。
長い銀髪の髪が雪風に揺れている。あの頃の思い出から抜け出したような糺華が、はにかみながらコートの裾を掴む。
「ただいまパパ。あのね、ヘアゴム取れちゃったの」
「そ、そうか、と、取れちゃったのか。お、お父さんな、得意なんだよ、お団子でも……、ツインテールでも……」
全力でぎゅっと抱き着く糺華と、声を上げ恥ずかし気もなく泣きながら宗像は膝をついて必死に抱きしめる。
しんしんと降る雪は、再会に涙する父と娘を優しく包む。
――世界はほんの少しだけ、優しくなったのかもしれない。
完
最後まで読んでくれて本当にありがとうございました。
宗像という男の生きざま、どう皆さんに写ったのでしょう。
気になったこと、ここは直せ、ひどい、良い部分があれば、感想などいただけると幸いです。
とても苦しみ抜いた作品だけに、完結に辿り着けて感無量の思いがあります。
どうか、皆さまと皆さまの大事な人たちがコロナに罹患せず無事に乗り切れますように祈りを込めて、物語りを終幕したく……





