36 邪悪な城
霊異庁玄関ホールの空気は淀み、気温がかなり下がっている。
空調は機能しているようではあるが、霊能力に秀でるMDSメンバーにとってじっとり絡みつく冷気の正体を知らぬ者はいない。
受付台に浮かび上がるのは死骸鬼と呼ばれる大型の餓鬼だ。
膨らんだ腹はそのままで体格ががっちりとし、凶悪さが倍化している。
MDSを見つけた途端、鋭い爪で襲い掛かって来た。
意外にも先陣を切ったのは亜麻色だった。
「うおおおおおお!」
気合の入った雄たけびで梛良所長から託された破魔の力を宿す 鍔鳴りの太刀 を構え上段から切りつけた。
僅かに避けられたものの、切り落とされた左腕が床に落ちるより前に灰となって燃え尽き、その傷口から発火した死骸鬼はそのまま灰になってしまう。
良い太刀だ。
邪悪なモノ共に特化した破魔太刀であり、長く神域にあったという。
負けじと宗像も糺華から使ってくれと頼まれた鬼凛丸で死骸鬼二匹の胴を薙ぎ、一刀のもとに切り捨ててしまっている。鬼凛丸は転身状態でないと糺華が扱えないためであった。
切りこみ役が一人増えたことで宗像の負担が減った、というより新たなスタイルが確立できたように思う。
毎日宗像からきつい稽古をつけられた後、自主練を欠かさない亜麻色の根気と実戦で積み重ねた経験が粗削りながらも身を結び始めている。
こう胸の奥がくすぐったくなるような部下の成長を喜びたい思いと、危険な目に遭わせてしまっているという罪悪感が同時に湧いた。
物音と共に正面階段の陰から飛び出してきたのは、ごつごつとした甲羅のような殻に全身を覆われた岩甲鬼である。セイウチのような牙が血に濡れている。
2,5m以上の巨躯がリノリウムの床を踏み砕きながら宗像たちに襲い掛かる。
役鬼の特徴である感情の乗っていない不気味な目が鈍く光っていた。
「私向きの獲物ね!」
言うが早いか飛び出した糺華は、岩甲鬼の振り上げたこぶしと投げ付けられた鉢植えをあっさり避けると、低空から抉りこむようにパイルバンカーを奴の胸へと突き刺した。
ッグガアアアアア!
低音ベースが床に転がったような爆音を響かせながら岩甲鬼が吠える。
そして、掴みかかろうとした奴に隙を与えるはずもなく、糺華はトリガーを引きその場からの離脱速度を稼いだのだ。
ッゴッフッ!
あの頑強な装甲を抜いて内部へ達したMg弾核パイルにより、岩甲鬼の上半身が一瞬で膨れ上がり乾いた音を立てて内部から爆散した。
ガチャリと、機械的駆動音を発しながらパイルのリロードと排莢が行われる。
重く鈍い音を立てて転がる薬莢の音が、普段使い慣れているハンドガンのそれと大きく異なった。
「糺華も大丈夫そうね」
「うん、堅めの奴でも大丈夫。打ち抜いてやるから」
正面階段を駆け上り仙葉とパトリックのナビを受けながら移動していく。二人には林とダリス伍長が護衛役として張り付いてくれていた。
エレベーターはワイヤーを切断される可能性があったため階段で上階を目指すことになるが、以前に来たことのある霊異庁本庁舎がまるで異界のような空気を放つことへの違和感がねっとりと思考へ絡みつく。
一時は人類霊的拠点、人間の砦とまで言われた要としての省庁だった。ふてぶてしく傲慢でがめつかっただけにその思いは複雑だ。
ビルの東側階段を駆け上っていた時だ。
漂う瘴火玉や鬼火を祓いつつ5階に到達したとき、事態は大きく動いた。
6階より先の階段が何者かに破壊され、見上げる限り4フロアほどがぶち抜かれている。
むき出しになった鉄筋やコンクリート片が未だにパラパラと落ちてくる現状に、とてつもない存在がいると皆を緊張させるが、雪乃は軽口を叩くのだった。
「糺華が霊異庁気に入らないからぶち抜いたってことにしときましょ、そのほうが気分がいいわ」
「もうお姉ちゃん、私なら10フロアはぶち抜くよ」
普通であれば想像を絶する膂力に怖気づくところであろうが、MDSはタフだなと宗像自身も少し呆れ気味だ。
6階の西側階段に希望を託し向かおうとした時であった。
回り込んだオフィスエリアの廊下に妙な臭いが混じっていることに気付く。
「お父さん、瘴気の陰が濃いわ気を付けて」
雪乃が警戒を促したまでは良かった。
皆が慎重に進んでいたはずだったが、突如後方の防火扉が閉まり仕方なく前方へ進もうとしたものの正面も防火扉で塞がれて……
「す、すごい瘴気です!」
文がMP7を構えながら思わずあとずさりをするほど濃度だった。
< 隊長、光学観測によれば瘴気濃度は6000ppmを超えます! 一般人なら即死レベルの状態です、すぐにそこから避難してください! >
だが、ルートは閉ざされている。
しかも、瘴気以外の臭いがするのは何故だ?
「待ってくれ兄貴、この臭い……以前に地方空港で飛行機に憑りついたグレムリンを祓った時に嗅いだ臭い……そうだ、燃料漏れでジェット燃料がってやばいぞ!」
影海の声に皆が銃器のセーフティーを上げる。
「分析を急げ」
< やはりジェット燃料です 成分はっとこれ軍用のJP8ですよ! 印火点は37,8℃ 間違っても銃を撃ったりしないでください! >
「オフィス側の窓を割るってどうなの?」
夏恋の提案に皆がなるほどと思ったが、宗像は反対する。
「俺が逆の立場なら、窓にもたっぷりジェット燃料を塗りたくっておくだろうよ」
その一言に皆が黙り込んでしまう。
閉じ込められたことが決定した瞬間である。
「敵ながらうまい手だ」
「お父さん関心してる場合じゃないわ、正面の瘴気濃度が高まってる! このままじゃ瘴気で汚染されて私たちも!」
< 危ないです、瘴気ガスとジェット燃料の気化成分もあるためまずいです >
「とりあえずここの気温を下げて引火点に達しないようにしておくわ」
宗像が頷いたのと同時に雪乃が邪魔にならない床の隅や天井を凍らせていく。
すぐに気温が数度下がったようだが、手詰まり感を拭うには至っていない。
< 少しですが状況がわかりました。防火扉の向こう側に換気パネルがあるようです。ですが防火扉に辿り着けませんね、後方側も動かないようですし >
「気功発勁なら引火しないかもしれない」
< まってくださーい! プラーナのスパーク現象がガソリンに引火したという報告を見たことがありまーす! >
夏恋の水天術で押し流すかとも考えたが、電源ユニットやコンセントがショートする可能性がある。
雪乃の氷で防火扉をぶち抜くか、だがひしゃげた金属が激しくこすれたりすれば……
「僕が行きます!」
引き留める間もなく飛び出したのはなんと亜麻色だった。
「亜麻色!」
宗像が止めようとするも、迷うことなく飛び出した亜麻色の無謀な行動に皆が彼の名を叫ぶ。
「亜麻色くん! 戻ってえ!」
文の叫びすら亜麻色を止めることができなかった。
高すぎる濃度のため水分のようにさえ見える蠢く瘴気の中に亜麻色が躊躇せずに突っ込み消えていく。
「くっあの野郎、無茶しやがって!」
止められなかった思いが激しく胸をかき乱す。
そうだ、霊異庁の入庁試験に落ちてしょげてるところを見かけたのだったな。
そういばあいつの資質は、対瘴気耐性が尋常でなかったこと。
見向きもされない資質だったが、宗像はその才能に着目したのだ。
それからは精神技術共に未熟だった亜麻色も、剣術や退魔術の特訓を弱音も吐かずに続けている。
影海でさえあいつの才能は一般退魔師以下だが、伸びしろが異常だと評していた。その亜麻色を助けるべく影海が飛び込もうとするのを宗像が制止し、推しとどめる。
「待て影海! 亜麻色なら可能かもしれん」
その言葉を待っていたかのように天井から大きな機械音が聞こえ、地響きのように換気を開始したのだ。
「亜麻色!? やってくれたのか!?」
無事でいて欲しい、皆の思いはただそれだけあった。
だが亜麻色は現れない。下手に体を動かしハーネスが干渉し火花でも出たらと、皆が体を強張らせている中で状況が動く。
防火扉付近の瘴気がみるみる換気で排出されていく。
「亜麻色の奴やりやがったのか!?」
「隊長~ 換気順調、こっちは無事でーす!」
亜麻色らしい気の抜けた人の好さそうな声が耳に届き、 ほっともらした安堵のため息色が明るい。
数分待った後、一気に走り抜け瘴気地帯を突破する。
壁紙にに塗られたジェット燃料もないエリアまで来ると亜麻色が疲れた様子で壁に寄りかかり座っている。
「亜麻色くん!」
文が駆け寄るが、よっと手を上げて無事をアピールしている……
「ごほっごほっ! やっぱり呼吸そこそこ苦しいみたいっす。僕はここで待っていますから、先に行ってください」
投げやりでも、気負っているでもない。文に良い恰好を見せようとしているのでもなかった。
亜麻色は自分の持ち味である対瘴気耐性を活かし、皆の活路を開いたのだ。
やや先行した要素はあるが、プロとしての仕事をした。
成長したなと、胸が熱くなる。それに早く治療を受けさせてやりたい。表に出さないよう耐えているがかなり呼吸がきついのだと思う。
「文、瘴気祓いをし動けるようになったら亜麻色と脱出しろ。猪鹿倉の部隊やダリスに助けを求めるんだ」
文は躊躇することなく残ることを選んだ。
序盤での脱落という受け止めをしてくれなかったことに、文の強さが滲んでいると思った。
「後続部隊と連絡を取ってフォローできる体制を作ってみます。亜麻色君は私が守ってみせます」
文の決意に皆が背中を押された気がした。
既に仙葉たちが退魔中隊へ救出要請をしてくれている。
霊異庁本庁舎内にガシャドクロだけではなく、ジェット燃料と瘴気というトラップがあったという事態にかなり現場が混乱しているらしい。
雪乃によって氷漬けにされているのは、不気味な黒ずんだ骨であり防火扉付近に無造作に転がっていたようだ。
このような呪物をよくもまあ用意できたものだと、背筋が寒くなる。
この瘴気を貯めるまでにどれほどの人々が地獄の苦しみを味わってきたのだろう。





