14 蒼玉の姫君
部屋の中央には子供用のローテーブルが転がっていた。カーペットは敷かれていたが、崩れ落ちた壁やコンクリート片で戦場のような印象さえ受ける。
ひとしきり悩んだ後、宗像は悲惨な状況にある部屋の清掃を始めた。
最初は散らばる瓦礫を集め廊下へと運び出す。その後は箒で大まかに破片を集めてから掃除機をかけていく。
あの子はじっと布団をかぶったまま動かない。それでもやることはやろうと、おもちゃや絵本の埃をはらい整理してから仕上げの掃除機に移る。
一応見栄えはそれなりよくなってきた。元保育士のため片付けの手際が良い。
食事に関してはお子様ランチ風の盛り付けがされたプレートをテーブルに置いていくだけのようで、時間になるとまた急ぎ回収にくる。
空虚で人の心が感じられないこの空間に、こんな小さい子が閉じ込められているという事実に胸の傷がぱくりと割れた。
人的被害は出てはいないようだが、破壊された施設の壁やドアを見る限り時間の問題と思うのは仕方がないだろう。
血だまりに浮かぶブロックや引き裂かれた絵本。ぬいぐるみと臓物の区別さえつかない凄惨なお昼寝ルームの光景が目の奥に焼き付いてしまっている。
宗像は傷む胸の奥を意識しながらも、あの頃だったらどう対応したかを思い起こす。一場面ごとに呻きたくなるほどの怒りと悲しみがその身を突き破りそうになる。
だからなんとなく、その子に背を向けたままローテーブルの上で、あの時必死に練習していたキャラクターの絵を描き始めた。
自分の顔を苦しんでいる人に分け与える正義のヒーローだ。多くの人から愛される本物のヒーロー。
こんな風になりたい。我が身を削って誰かを助けられる人に。
そう思ったこともあった。
美羽ちゃんは決して発達障害でもな情緒障害でもなかった。お話しをしたり一緒に遊べて先生はうれしいよと伝えると、子供らしい甘え方を徐々にしてくれるようになった。
美羽ちゃんがリクエストするのは、いつもメロンパンをモチーフにしたかわいいキャラクターだ。
ヒーローより手間がかかるし、かわいく見せるのは大変だった。だがお礼にと描いてくれた宗像の自画像は、今でも宝物として胸の内に残っている。
本物は……あの日の血だまりの中で赤く染まってしまっていた。
そんなことを思い出しながら宗像はクレヨンで画用紙に必死に絵を描いていく。
心の叫びを、自身の精神を維持するための描画だったのかもしれない。
声に出さず胸中で嗚咽しながら、助けられなかった悔恨を己の心に刃で刻みながら。
「!?」
誰かが宗像の手に触れたのを感じる。
あの子が布団をかぶったまま、宗像の手に触れている。いやそっと壊さないよう、優しく戸惑いがちに撫でようとしてくれていた。
「ありがとう……優しくしてくれたから大丈夫、もう泣かないよ」
ぱさっと布団が落ちる。
銀糸よりも煌びやかな髪がふわりと靡き、人間離れしたかわいさの女の子が目の前に現れた。
大きく潤んだ瞳から涙が零れているが、宗像は知っている。この涙は悲しみから来たものに近いが、他者を心配し慈しむときに流れる種類のものであることを。
この世で最も美しいものの一つ、そう真由子が言っていた場面が通りすぎた。
「ごめんね、心配してくれたの?」
こくりとその子は頷いた。
「ありがとう」
もう一度その子は頷いた。ハンカチでそっと涙を拭ってあげると、くすぐったそうにしながら素直に目を閉じてくれる。
そして余っていた紙にクレヨンで絵を描き始めていく。自然と宗像も次の絵に移る。
並行遊びという同じことを隣で行っていく遊び方。
これがこの子にとって良い距離感であったようで、出来た絵をさっと差し出してくれる。
「ん?」
灰色と肌色で描かれているが自画像なのだろうか、よくよく観察するとヘアスタイルが違う。
今は長いだけの髪だが……そうか、ツインテールにしてほしいのか。
「ちょっと待っててね」
近くの備品倉庫にご機嫌取り用のグッズか何かがあるはずだと、引っ張り出してきたのがブラシとヘアゴム、リボンだ。
こう見えて多くの子たちのお団子にしてー! 三つ編み~! という要求をこなしてきた宗像にとってツインテールなど朝飯前なのだ。
「じゃあブラシでとかしてから、髪をこれにしてあげるね」
自分の意志が伝わったことにぱっと笑顔の花が咲いた。ああ、この子の父親はなんて幸せ者なのだろう。
蒼玉 の澄んだ瞳がキラキラと期待と喜びを抱き輝いている。
毎日が心配でたまらないだろうが、娘は目に入れても痛くないとは良く言ったものだ。宗像でさえそんな気になってくる。
引っ掛かって痛くないようにそっとブラシをかけながら、あまりにも見事な手触りの髪につい美容師気分が刺激され本気になった。
綺麗に分け目を作りつつツインテールを結びあげ、ピンクチェックのリボンで結びあげる。
手鏡を渡し、どう? と聞いてみると……
この子の満面の笑みが、周囲の空気を澄んだ清浄なものへと変えていく。
「お名前、教えてもらえる?」
「……レイカ」
「そっか、僕はむなかた、むなかた せいじ だ」
「せーじ!」
抱きついてくるレイカの力は同年代の子供と同じぐらいのものだ。むしろレイカはどうやって部屋を破壊したのか、理解に苦しむ。
その後はベッドのシーツを取り換えたり、併設されていたバスルームでお風呂を沸かし入る様に伝えると、ツインテールが名残惜しいらしく少し拗ねたりもした。
でもそのやりとり事態が、宗像の心に潤いを与え、傷口を抉った。
こうして一週間ほど霊異庁の封魔局へ通った後、猪鹿倉が相談したいことがあると連絡してきたのだ。
最初に訪れた時のことを考えれば、今の対応は手のひら返しもいい所だと思った。来るたびにお茶菓子のランクが上がっていくなど露骨すぎる。
どれだけ面の皮が厚いんだと呆れもしたが、猪鹿倉だけはひたすらに頭を下げてくれる。
「実はな、SR1が宗像に懐いてから破壊衝動もなくなり、力の制御も問題なく出来ているようなんだが、この環境と職員に対しては不信感が消えていないようなんだよ」
「SR1じゃない、レイカちゃんです。随分嫌われているようですね。おもちゃや食事を部屋に放り込んで逃げていく人を好きになれってほうが間違っている」
「まったくの正論だ。そこでな、お前あの子を引き取ってもらう訳にはいかんか?」
「――は?」
あまりにも唐突な申し出に、ひどく間抜けな声が出ていたように思う。
「実は霊結院からあの娘を霊異庁へ置くなというお告げが下されたらしくてな、公然とあの子を保護できなくなったんだ」
霊結院とは宗像も梛良から聞いてはいたが、実はその存在は小角から知らされていた。
須弥山とホツレが出現している地域との橋渡しをするための、特殊な寺院。
ごく一部の人にしか存在を知られていない、いわば須弥山からの伝言を受け取る受信のみの施設というべきだろう。
ということは、天上もレイカの存在を認識しているということになる。
仕組まれた? あちら側のたくらみ、天の意志? どちらにしてもあまり気分の良いものではない。
「それで独身でうだつのあがらない4等退魔師に押し付けると?」
「宗像よぉ、そう腐った言い方をするな。俺はお前を買ってるんだぜ、ということでなあの子の戸籍と出生証明書その他もろもろの必要書類はここにそろっている。月に何万か養育費をお前の口座に振り込んでやる手続きは整えたからさ」
「おい待て、こっちの意志は関係なしか!? 買ってるとか言うだけならタダだしな! その言葉を聞けば素直に返事するとか思ったのか」
「ああ思ったさ!」
「断る! 勝手に決めつけるな、霊異庁ってのはどうしてこう人格破綻者ばっかりなんだ! 帰るぞ、その書類や行政手続きは元に戻しておけ!」
怒りを抑えきれず出て行こうとする宗像に向けて、猪鹿倉が思いとどまるよう立ち塞がった。その目は決意と悲壮感に満ちている。
「待てよ、俺が決めた理由はな、お前があの子といるときに見せてる表情を見たからだ。ありゃあよぉ、二人一緒にいさせてやりてえってみんな思うぜ?」
「……勘違いだ」
「お前が引き取らなかった時にあの子がどこへ行くことになるか、知ってるのか?」
「知るわけないだろ! どこか子供に恵まれない優しい夫婦の元へ養子に行くのがいい!」
「残念だがそうはならん。SR1、レイカは米軍の研究所に引き渡される可能性が高い」
「おい、てめえらの血は何色だ!」
会議室の空気が震え、その場に居合わせた職員たちの脚が震え出す。
思わず胸倉を掴みかかり周囲の職員に取り押さえられそうになるが、反射的に投げ飛ばし無力化してしまった。
「その怒りはどこから来た? レイカちゃんの顔が浮かんだんだろ? これはな命令じゃなくお願いだ、まだ米軍には気づかれちゃいねえ、今なら間に合うんだよ」
たしかに米軍は対フォースドメイン、第四種特定生物群の研究は大幅に遅れており日本への寄りかかりがひどいと聞く。
「宗像と一緒にいるときのあの子の霊力数値は非常に安定化しているんだ、だからさ頼む! この通りだ! 支援金を増やす手続きは進めてるからよ! 」
猪鹿倉が土下座しながら泣いていた。
「俺だってよぉ、一人娘がいんだよ。だからさ、助けてやりてえんだよ、お前だったらなんとかできんじゃねえかってよぉ」
宗像はこうして猪鹿倉の泣き落としに負けたのだった。





