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5.団長

 



「レイ!腹から声が出ていないぞ!もう一回だ!それと、腹筋30回追加!」

「はい!」


 いつもの演劇の稽古時、そんなギルの怒鳴り声が響いた。

 何人もいる劇団員の中、レイだけが名前を呼ばれる。

 だが、それも仕方のないことだ。この中で一番レイが上手く出来ていないのだから。

 経験が浅いなんて言い訳は舞台に立ったら通用しないなんてことは分かっている。

 ギルに負けないほどの大声でレイは返事をした。


 川辺でレイが倒れたあの日からも、ギルのスパルタ稽古は続いていた。

 レイが女だからとはいわず、倒れたからともいわず、容赦のない指導をする。

 でも、それはレイのためだ。生半可な指導ではいつまで経っても上達出来ない。

 だから、そんなギルの指導はレイにとっても望むところだった。

 そうしてくれるように、レイがギルに頼み込んだという理由もあったのだけれど………




 あの後、再び意識が闇の中へと戻っていったレイチェルであったが、半刻ほどで目を覚ました。

 その時にはもうすっかり体調も良くなっていて、頭もすっきりしていた。


 団長はどうしているだろうか……


 そう思いながらレイチェルはごろりと寝返りを打った。


「………!!」


 隣に顔を向けたレイチェルは、思わず叫び声を上げそうになった。

 だって、至近距離にギルの寝顔があったから。

 あろうことか、ギルはレイチェルの隣で眠っていたのだから。

 レイチェルは後ずさるようにギルから距離をとって起き上がった。

 その気配に気が付いたのだろうか、続いてギルも目を覚ました。


「………ん。やっぱり、外での昼寝は気持ちが良いな。レイ、もう大丈夫みたいだな」

「は、はい……」


 伸びをして髪に葉っぱをつけながら少し寝ぼけたような顔で笑いかけるギルに、レイチェルは戸惑いながら返事をした。

 この人はこんな人だったか?

 レイは、実は目の前にいる人物が顔の作りが似ているだけの別人なんじゃないかと、わりと本気で思わずにはいられなかった。

 レイの知っているギルは、滅多に笑わず自分にも他人にも厳格で、少しの隙もないような軍人のような男だったから。

 こんな気のよさそうな笑顔で、木の下で昼寝をして、ちょっと抜けたような行動をしそうな人ではなかったから。


「どうした?やっぱり、まだ寝たりないか?」

「いえ……団長がいつもとあまりに違っていて、驚いてしまって」


 ギルに問われて歯切れの悪い返事をしたレイチェルに対して、ギルはまだ本調子ではないのかもしれないと思ったのだろう。

 ギルは心配したようにレイに手を伸ばしかけた。

 そんなギルにレイは混乱していて、ほとんど考えずに本当に思ったことを言ってしまっていた。

 レイチェルの言葉を聞いたギルは伸ばしかけていた手を止め、あー、と声を漏らしながら自分の頭を掻いた。


「まあ、そうだよな。いきなりこんな態度取られても、そりゃ混乱するよな。でも、これが俺の本症なんだ。お前には“団長”の顔見せても見せなくても平気そうだったから、気が緩んじまった」


 そう言って、にかっと歯を見せて笑うギルに、レイチェルはますます混乱した。


「この劇団は、俺とゴードンとハミルトンの3人で立ち上げたんだ。最初の頃は3人で馬鹿やって、それでも演劇に情熱をこれでもかってくらい注いで。楽しかったなあ。それから、だんだんと劇団員も増えていって、まとめ役が必要だよなってことで、俺の“団長”が出来たんだ」


 ゴードンは、レイチェルが最初に劇団にやって来た時に酔っ払って絡んできた大柄の人物で、ハミルトンはレイチェルはあまり話したことはなかったが、背が高く細身で優男風の脚本家だ。

 劇団員は皆一様に仲が良いが、その3人が特に仲が良いといった様子を見せていたわけではなかったので、レイチェルは多少なりとも驚いた。


 ギルは本当は今のような性格ではなく、厳格な“団長”という役を演じているようであった。

 でも、まとめ役が必要だったからといって、自分を偽ってまで自分とは違う役を演じなくても良かったんじゃないのかとレイチェルは思った。

 そのことを言うと、ギルはふっと笑った。


「俺はさ、本当の自分があまり好きじゃないんだ。すぐに熱くなって周りが見られなくなるし、サボり癖もあるし。それに、洗濯も下手だしな。自分じゃない、別の誰かになりたかったんだ。だから“団長”でいる時も、全然苦じゃないんだぜ。理想の自分になれているっていうか。キャラじゃないから、洗濯もしなくて良くなったしな」


 ギルはそう言って冗談っぽく笑った。

 自分ではない別の誰かになりたい。

 それはレイチェルもずっと思って来たことで、そうなれると思ってこの劇団に入った。

 完璧だと思っていた“団長”がそんな風に思っていたなんて。

 でも、それは劇の中での役の話ではない。

 日常、演じ続けている役。

 それは、どうなんだろうか。


 ギルは“団長”を演じることは苦ではないと言った。

 でも、だったら何故、レイチェルに本当の姿を見せたのだろうか。

 ギルは本当の自分を好きではないと言う。

 それでも、きっと本当の自分を誰かに認められたいのかもしれない。

 レイチェルも同じように思っていたから、それが分かるような気がした。


「……はい。団長は洗濯なんて全然しなさそうですもんね」

「だろ!」


 だが、レイチェルは思ったことを口には出さなかった。

 それを言うには、まだ本当のギルのことをあまりに知らなかったから。

 だから、これからもっと彼のことを知ってから、その時に改めて思ったことを伝えようと心に決めた。


「団長」

「ん?なんだ?」

「私が倒れたからって、これからの稽古を甘くしたりしないで下さいね。そこは演劇の鬼の“団長”なんですから」

「お前なあ……俺にだって慈悲の心はあるんだぜ。倒れるまでやらせるなんて、心が痛むだろ」

「倒れたのは稽古のせいじゃなくて、夜なべして衣装を作ったりしていたからで、それももう終わりますし……」

「聞いてないぞ。ああ、シェリルの奴が頼んだんだな。はあ、本当にお前は頑張りすぎだ。稽古するなら、他の仕事を増やしすぎずに無理をしないと約束しろ」

「分かりました。じゃあ、団長も約束して下さい。今まで通りのスパルタ稽古、それと、私の前ではいつでも気を緩ませてくれて良いですからね」

「はは。なんだそれ………でも、分かった、約束するよ」


 ギルの言った約束は、稽古のことだけか、それとも気を緩ませることにも掛かっているのか分からない曖昧な言い方だった。

 でも、レイチェルには視線を川の流れに移したギルの横顔が、どっちも約束したと言ってくれているような気がした。




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