第四幕 第三場
おれは黄瀬エミを追って雑居ビルの外に出ると、その姿を求めてあちらこちらに視線を走らせた。そしてその姿を見つけると、急いで駆け寄る。
「おい黄瀬、待ってくれ」
おれが呼び止めるも、黄瀬は振り返らないまま、足早に進みつづける。なのでおれは後ろからその腕をつかんだ。すると黄瀬は立ち止まってくれた。
「なんの用なの黒川?」黄瀬は振り向かずに言う。
「頼むから話を聞いてくれ」
おれがそう言うと、黄瀬はゆっくりと振り返る。その表情はきびしく、目にはうっすらと涙が浮かんでいた。その姿を見て、おれは動揺を覚えてしまう。
「……話ってなに?」黄瀬はいまにも泣き出しそうな声で言った。
これはまずい、と思った。ここで話をつづければ、道の真ん中で泣き出してしまいそうだ。そうなれば、いろいろと面倒だ。
「とりあえず、場所を変えて話をしよう」
おれは黄瀬の手を引いて、近くの公園へと向かう。そしてそこにあるベンチに黄瀬をすわらせると、そのとなりに腰掛けた。
「さっきのは誤解なんだ。おれとアリスは黄瀬が考えているような関係じゃないんだ」
「……アリスって呼び捨てにしているんだ」そう言った黄瀬の声は落ち着きをとりもどしていた。「やっぱりそういう関係なんだ」
「いや、ちがう。これはその……」おれはそこで気を取り直すかのように咳払いする。「アリス先生とは、そういう関係みたいなものではない。だから勘ちがいしないでくれ」
「だったらなんであそこにいたの?」
「それはその……」
おれは口を濁してしまう。事件解決のために、アリスに協力してもらっていたなど、容疑者のひとりである黄瀬に言えるはずもなく、もしそんなことをすれば、アリスに実害が及ぶかもしれない。それは避けなければいけないことだ。だからほんとうのことは話せない。ならどうやってこの場を乗り切るべきだろうか……。
「悪夢について、アリス先生に相談していたんだ」おれは声の調子を落とした。「おれがトラウマになっている、白石が殺される夢を、何度も見るようになってしまったからね」
「なるほどそうだったの。それはわかった。それでどうしてああなるわけ?」
「それはそのだな……」
おれはまたしても窮地に追い込まれた。アリスの過去の話を聞いて、ああなったとは説明しづらい。それはアリスのプライバシーにかかわることだし、それにその恋人が自殺したことなんて、黄瀬には話せない……えっ?
黄瀬と金森先輩はいとこ同士。なら金森ヒデノリの弟であるタクヤなる人物を知っているはずだ。その人物と交際していたアリスのもとへ、どうして黄瀬は訪ねてきたんだ。
「なら逆に聞かせてくれよ」おれは言った。「どうして黄瀬はあの店にやってきたんだ?」
黄瀬は眉を吊りあげた。「話をごまかす気なの?」
「ちがうそうじゃない。ただその前に確認したいことがあるんだ。だから訊いているんだよ」
「そんなのあなたといっしょよ」黄瀬は口を尖らせた。「わたしも白石が亡くなって、それについての夢を見ると話したでしょう」
「ああ、たしかそうだったな。けど理由はそれだけなのか?」
「それはどういう意味?」黄瀬は首をかしげる。「それが理由だけでは、おかしいってことなの?」
「いや、べつにおかしくはないが」おれは眉根を寄せる。「もしかしてアリス先生のことを知らないのか?」
「そのくらい知っているわよ。夢占い師だってことでしょう。だから相談している。そうじゃなきゃ、あの店に来ないわよ」
もしかして黄瀬は、いとこのタクヤがつき合っていた相手が、アリスなのだと、知らないのかもしれない。
「なあ黄瀬、このあいだおれが金森先輩とあった話をしたよな」
「ええ、したけど」黄瀬は困惑しつつもうなずく。「それがどうかしたの?」
「そのときに言われたんだ、おまえの気持ちはよくわかる、と。おれにも親しい人をある日突然に亡くす経験をしたからな、とも言われたよ。それってだれのことかわかるか?」
「たぶんヒデノリの弟、タクヤのことだと思う」黄瀬は表情を曇らせた。「一年ぐらい前に自殺しちゃったから……」
「おまえはそいつと仲はよかったのか?」
「ええ、まあ子供のころはよく遊んだりしたから、仲はよかったわよ。けど大きくなるとしだいに疎遠になったわね。会うのは正月の親戚の集まりくらいになった。けどヒデノリとは大学でいっしょになったし、サークルも同じだから、また遊ぶようになったわ。だけどタクヤはちがうから……」
「それじゃあ、どうしてそのタクヤが自殺してしまったのか、その理由は知らないのか?」
黄瀬は眉根にしわを作る。「一応失恋によるショックからの自殺とは聞いているけど、くわしいことまでは知らない」
「だったらそいつがつき合っていた相手のことも知らないのか?」
「知らないけど……」黄瀬は眉間にさらに深いしわを作る。「ねえ黒川、さっきからわたしに、いったいなんの話をさせるのよ。まったく関係ない話をさせてごまかす気なの」
「いや、そうじゃないけど……、ただ知りたかっただけなんだ」
「言い訳するなら、もっとましな嘘はつけなかったの」
「言い訳なんてとんでもない。おれはただその……」
おれはふたたび口ごもり、あとにつづくことばが言えなくなってしまった。その姿を見た黄瀬が大仰にため息をついた。
「……もしかしてわたしのせい」黄瀬がか弱い声で言う。「わたしのせいでああなったの?」
「えっ、何が?」
「わたしが白石の浮気をばらしたから、黒川は白石のことを忘れて、アリス先生とああいう関係になったんでしょう」
「それはちがうよ」おれは強く否定する。「それだけはぜったいにない。事件が解決されないまま、おれが白石のことを忘れるなんてことはありえない」
「浮気されていたのに?」
「それでもおれは白石のためにも、事件を解決したいと強く思っている。それに彼女のやり残した夢も叶えたいと思っている」
「レッドローズのことね。おぼえていたんだ。全然口にしないから、忘れているんだと思っていたのに……」黄瀬はそこで声をきびしくさせる。「でもそんな夢を叶えて何になるの? 白石はもういないんだよ。死んだのよ」
「そんなのわかっている!」おれは思わず声を大にする。「だけど、そうしないと、おれの気持ちがすまないんだよ」
「ほんと……お人好しね」黄瀬は冷淡な口調になった。「それなら、わかったわ。もうあなたの好きにしたらいいわよ。事件も恋もあなたの好きなようにね。わたしも好きにするから」
黄瀬はベンチから立ちあがると、背を向けて歩き出す。
「おい黄瀬」おれも立ちあがり、あとを追う。「待ってくれ」
「来ないで黒川!」黄瀬は叫んだ。「そうやってだれにでも、やさしくしようとしないでよ。そういう態度がわたしみたいな馬鹿な女を勘ちがいさせるから。もうわたしのことは忘れて。白石のことは忘れられなくても、わたしのことは忘れられるでしょう」
そう告げると、黄瀬は走り出してその場から立ち去った。
おれは追いかけることもできず、罪悪感にさいなまれならが、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。




