第三幕 第十場
テント設営を終え、食事をすませるころには、あたりは真っ暗になっていた。おれはひとりでたき火を囲い、ビデオカメラを手にすると、白石ヒカリとの思い出の動画ファイルを再生する。
思い出を振り返るにつれ、懐かしい気持ちになると同時に、切なくもなる。そして白石に浮気されていた、という事実がさらに複雑な感情を抱かせた。
そんなふうにビデオカメラの映像を観つづけていると、ふいにまぶしい光がおれの顔に差し、思わず目を細めてしまう。おれは手で顔を隠しながら、光源へと目を向ける。するとそこには懐中電灯を手にしたアリスらしき人物の姿があった。アリスは少し離れた場所にあるトイレから、こちらに向かって歩いてくる。
「アリス!」おれは叫んだ。「まぶしいからやめてくれ」
こちらの声が届いたのか、光が弱まる。どうやら懐中電灯の明るさを調節したようだ。
「これはごめんなさい、黒川さん」アリスはテントにつくなり、そう言った。「でもそんなにまぶしかったの?」
「それはキャンプ用の懐中電灯だから、ふつうのやつよりも強力なんだよ」
「そうだったの。知らなかった」
アリスは懐中電灯の明かりを消すと、たき火のそばにあった簡易椅子に腰をおろした。そしてたき火に手をかざす。おれは自然と、ビデオカメラの液晶ディスプレイ画面からアリスへと目を向ける。
「どうしたの、よそ見なんかして」こちらの視線に気づいたのか、アリスが言った。「ちゃんと映像で、彼女との思い出を振り返ってよね。そうすることで、より夢を見やすくなるから」
「ああ、わかってる」おれは視線をもどした。
「それにしても冷えるわね」
「まだ五月の半ばだからね。夜はさむいよ」
おれはビデオカメラを一旦停止すると、たき火の上に吊るしておいたティーポットを手にとる。そしてコップにお茶を入れると、それをアリスに差し出した。
「ありがとう」アリスはそう言ってコップを受けとると、さっそくそれを口にする。「ふつうのお茶のはずなのに、キャンプで飲むとこうまでおいしく感じるのね」
「それがキャンプの魅力だよ」
「キャンプの魅力か」アリスは夜空を見あげる。「光がないと、こんなにも星が輝いて見えるなんて知らなかった。まるで宝石みたい」
「そうだね」おれも夜空を見あげた。「都会の光がない自然の暗闇のなかだと、星はとても輝いて見えるよ」
アリスはしばし星空を見つめたのち、あたりに視線を走らせた。おれはその様子を見守る。
「それにしても、ほんとうに暗いわね」アリスが言った。「それにキャンプに来ている人も少ないから、とても静かだわ」
「これからだよ。夏が来ればもっと人が増えてくる」
「そうなんだ。あっ、そうだ」アリスはそう言うと、こちらに視線を向ける。「ねえ、そのビデオカメラ貸してよ」
「えっ、いいけど」
おれはアリスにビデオカメラを差し出した。アリスはそれを受け取り、いじりはじめた。だがその操作する指がまごついている。
「アリス、ビデオカメラで何をするつもりなんだ?」
「夜景を観察でもしようと思ってね。ところで黒川さん、これってどうやったら暗視モードにできるの?」
そう言われ、おれは操作方法を説明する。するとアリスは教えられたとおりに操作し、ビデオカメラを暗視モードへと切り替えた。すると画面は真っ白になる。
「あれ、どうなっている?」アリスがあたふたしはじめる。「もしかして、わたし壊しちゃった?」
「落ち着きなよ、アリス」おれは思わず笑ってしまう。「ほらすぐ目の前にたき火があるんだ。まぶしくて何も見えなくなるさ」
アリスはビデオカメラをたき火から闇へと向ける。「あっ、ほんとだ。これならちゃんと見える」
しばしのあいだ、アリスはビデオカメラで夜景を見ていた。おれはその姿を見守りながらたき火にまきをくべると、はぜる音が静かに夜に響いた。
「ねえ、アリス訊いてもいいかな?」
「何かしら?」アリスはビデオカメラに顔を向けたまま言う。
「アリスって恋人いるの?」
「言ったはずよ、黒川さん」アリスはビデオカメラからこちらへと視線を向ける。「わたしのことはアリスという名前以外、何も教えないと」
「あっ、ごめん。そういう意味じゃないんだ」おれは慌てて訂正する。「ただひとりの女性として、訊きたいことがあったんだよ」
「つまりは相談事?」
「そうなるね」おれはうなずいた。
「それで何が訊きたいの」
「どうして彼女に浮気されたのかなって、ずっと気になっていた。女性が浮気をするときって、どんなときなの?」
アリスはむっとした表情になる。「まるでわたしが浮気をしてきた、みたいに言わないでよね」
「ごめん、そんなつもりじゃないんだ」
「わかってるわよ、そのくらい。冗談よ」アリスはいたずらっぽい笑みを浮かべる。「女性が浮気をするときでしょう。単純に考えれば、相手に魅力がなくなった、もしくは飽きた。そうでなければ、ほかにいい男ができた、と考えるべきね。話に聞くにあなたの恋人って強欲そうだから、理由は後者じゃないのかしら」
「そっか、そうなると……どっちが本命だったのかな?」
「いまさらそんなこと考えても、答えはでないでしょう」
「たしかにそうだけど、でも知りたいんだ。おれとあいつ、どっちのことがより好きだったのかを」そう言って、おれは新たなまきをくべる。「もしアリスに意中の人がふたりいたとして、どちらかを選ばなくちゃならないとしたら、何を基準に選ぶの?」
「愚問ね」アリスはビデオカメラの液晶画面を閉じた。「どちらも選ばないわ。わたしには人を好きになったり、愛したりする資格なんてないから」
「えっ?」
アリスは立ちあがると、こちらにビデオカメラを差し出した。おれは先ほどの答えの意味がわからないまま、それを受けとる。
「わたしはもう疲れたから先に眠るけど」アリスが言った。「あなたはそのビデオカメラで、恋人との思い出をちゃんと振り返っておくのよ。彼女に強い関心を抱けば抱くほど、その夢を見る可能性は高くなる」
「わかっているよ」
「それとキャンプ地の独特の空気感、それを感じて自分がキャンプしていることを強く意識しておいて。あとはとなりに眠るわたしの存在を感じとり、恋人といっしょに眠っていると錯覚すればいい。だから眠るときには、できるだけわたしの寝袋の近くに寄り添っておいて。そうすれば呼吸音や体温を感じられるはずよ」アリスはそこでことばを切ると声を強める。「ただし、寝ているわたしに何かちょっかいでもしたら、もう協力はしないからね。いいわね」
「わかっているよアリス。ここまで協力してくれているのに、その恩を仇で返すようなまねはしないよ」
「そうだといいんだけど。それじゃあ、おやすみ」
アリスはそう言うと、テントの中へとはいっていく。ひとり残されたおれは、ビデオカメラの映像ファイルを再生し、白石との思い出を振り返る。
やがて眠くなる頃、おれはたき火を消してテントの中へとはいる。そしてアリスのとなりに寄り添うと、そっと目を閉じた。




