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第三幕 第五場

 赤松コウキと別れてから数時間後、おれは黄瀬エミが住んでいるマンションの部屋の前にやってきていた。そしてインターフォンのスイッチを押そうとするも、赤間の警告が脳裏をよぎり躊躇してしまう。


 黄瀬が柔道をやっていたことは、大学時代に聞いていたので知っている。だが県大会にまで出場するほどの実力者だとは、知らなかった。いま考えると、黄瀬と再会したとき、簡単に腕をつかまれて拘束されたのも納得できる。


 だがしかし、こうして自宅へと呼び出したことから、何か危害を加える可能性を低いだろ。口封じのために自宅に呼び出して、そこで殺害なんて、そんな危険度の高いことはしないはずだ。ここはマンションなのだから、何か物音がすればあやしまれる。


 だいじょうぶだ、と自分に言い聞かせ、おれはインターフォンのスイッチを押した。しばらくすると足音が聞こえ、やがてそのドアが開いた。


「ごめんね」そう言って黄瀬が出てきた。「呼び出したりして」


「べつにかまわないよ。電話じゃ話せない大事な用なんだろ?」


「うん」黄瀬はうなずいた。「だからこうしてちゃんと会って話をしたかったの」そこでドアとのあいだに隙間を作る。「さあ、はいって黒川」


 おれは一瞬ためらってしまうも、覚悟を決めて黄瀬の部屋へと、足を踏み入れた。そして黄瀬の案内のもと居間へと来ると、床へと腰をおろした。


「ねえ黒川」黄瀬が言った。「このあいだのことなんだけど、黒川はまだ犯人探しをあきらめていないんだよね。だからあんな話をしたんだよね?」


「あたりまえだ」おれは強い口調で言う。「あきらめてたまるか」


 黄瀬は言いにくそうな表情になる。「こんなこと言うと、黒川は怒るかもしれないけど、あきらめたらだめなのかな。あとのことは警察にまかせて、もう忘れてもいいと思うの」


「それはできない」


「でも犯人探しをつづければ、黒川はまたひどい目に遭うかもしれないんだよ。わたしはもうこれ以上、あなたが傷つけられるよなことになってほしくないの」


「気遣う気持ちはうれしいが、それだけは無理だ」


「……そこまでする価値のある女性なのかな、白石って。あなたにとってそんなに大事な人だったの」


「何を言っているんだ黄瀬」おれは顔をしかめた。「白石は恋人だったんだぞ」


「うん、わかってる」黄瀬はそこで長々と間を置く。「でもね白石は赤松ともつき合っていたんだよ」


「へっ?」おれは虚をつかれ、素っ頓狂な声をあげてしまう。「それは……どういう意味だよ?」


「ことばどおりの意味よ。白石は浮気していた。あなたにだまって赤松ともつきあっていたのよ」


 そのことばの意味が、すぐには理解できなかった。だがだんだんとその意味が頭にしみこみ、やがてそれを理解する。


「……浮気していたのか?」おれは弱々しい声で言う。「あの赤松と白石が?」


 黄瀬はためらいがちにうなずいた。「亡くなった人のことを悪く言うのはいやなんだけど、あなたが危険を冒してまで、つくすような人じゃないと思うの白石は……」


 おれはあまりのショックから口がきけない。赤松が言っていた、いまだからこそ言える、おれも白石のことが好きだった、というセリフの意味がようやくわかった。あれは片思いという意味で言ったのではなかった。両思いという意味だったのだ。


「黒川がショックなのはわかる」黄瀬がやさしく言う。「でもね、事実なのよ。白石はあなたを裏切っていた。そんな彼女のために、あなたが必死になって犯人探しする必要ないよ。こんどこそほんとうに殺されたらどうするのよ。もっと自分を大事にしてよ。だって黒川は生きているんだよ。いつまでも死んだ人間に振りまわされる必要なんてないよ」


 おれは頭を抱えると、乾いた笑い声をもらした。黄瀬のことばが重くのしかかる。それと同時に気力がなえるのを感じた。


「……似たようなことを、金森先輩からも言われたよ」おれはなんとかことばを口にする。「やっぱりいとこ同士だから、考えることが似ているのかな」


「ヒデノリに会ったの?」


 おれは小さくうなずく。「このあいだ偶然、電車でね」


「そう……」黄瀬はあわれむような口調になる。「なら、わかるでしょう。黒川はもう白石のことを忘れて生きるべきだよ。わたしは黒川が苦しんでる姿を、もうこれ以上見たくないから。だからあきらめて」


「あきらめてか……」おれは顔をあげた。「どうして黄瀬はそこまでおれを気にかけてくれるんだ?」


「そんなのわかっているでしょう。わたしも黒川のことが好きなの。そのくらいわかってよね」


「……うすうす気づいていた。けど白石のことを思うと、どうしても気づかないふりをしていた」


「もう白石はいないんだよ」黄瀬はそこでことばを切ると、苦しげに顔をゆがめる。「正直に言うよ。わたしは黒川のことが好きだった。でも先に白石にとられちゃって、彼女に嫉妬していた。だから白石が赤松と浮気しているって知って恨んでいた。でもその事実を黒川に話せば、きっと傷つくだろうな、と思って話せなかった。だから白石が死んだとき、わたしはうれしいと本気で思ったの」


 黄瀬は涙を浮かべると、それをぬぐう。そんな姿を見て、おれは胸がうずくのを感じた。


「わたしって最低の女でしょう」黄瀬は苦笑いを浮かべる。「友達が死んでうれしい、と思っているんだよ。そしてね、黒川も襲われたけど生きている、と聞いたとき、これであなたの恋人になれるんだって思ってしまったの。だからわたしはあなたに会わせる顔がなかった。黒川がみんなに会わせる顔がなかったように、わたしもそうだったの」


「そうか……」おれは神妙な面持ちになる。「おまえもつらかったんだよな」


「そう、つらかったわ。あの事件以来、白石が死んでよろこぶ夢を見るようになったの。その夢を見るたびに、わたしはあなたに対して、申し訳ない気持ちでいっぱいになるの。ごめんなさいって」


「夢なんだし、あやまる必要はないよ」


「……やっぱり黒川はやさしいね。ありがとう。そう言ってもらえて、わたしはうれしい」黄瀬はそこでふたたび涙をぬぐう。「これから黒川はどうするの? 危険を冒してまで、まだ犯人探しをつづけるの?」


「正直、自分がどうしたいのか、わからなくなった。おれは白石のことを理解できてなかった。それがショックで気持ちの整理がつかない。だから一度、家に帰ってから、気持ちを落ち着けてから考えてみるよ」


 そう言って、おれは立ちあがる。すると黄瀬も立ちあがり、そしておれの腕をとった。


「もう帰っちゃうの。まだここにいたら。それにつらくてさみしかったら、泊まっていけば——」黄瀬はそこではっとすると、おれの腕をはなした。「ごめんなさい。恋人でもないのに彼女面しちゃって。やっぱりわたしって最低だ……」


「そんなことないさ」おれは首を横に振る。「やさしいと思うよ」


「ごめんね。きょうはもう帰って……」


「ああ、そうするよ。それじゃあ」

 おれは黄瀬にそう告げると、部屋をあとにした。

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