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明くる朝、俺は夜明けとともに目覚めた。といっても、俺の体にそこまで正確なセンサーがあるわけではない。この時間にセットされている起床アラームのおかげだ。布一枚隔てて伝わってくる、硬くささくれだった木床の冷たさにはそろそろ馴れつつある。ゲームのような世界のくせに不思議なもので、身体中の筋肉が凝り固まっている。俺は立ち上がって大きく伸びをした。身体のあちこちに、血流が少しずつ復活する疼くような感覚が起こる。俺は同じ時刻にアラームをセットしているはずのハラルドに声をかけた。すぐにいらえがある。
「おはよう、ソーウィル。眠れたかい?」
「もういい加減適応してきてる。そもそも居候の身として床で寝ることに文句は言えないだろう」
俺がいわゆるマジレスというのを返すと、ハラルドは苦笑した。
「ジャンケンに勝てないことの言い訳にも聞こえるけどね。それより朝ごはんを食べに行こう、お互い料理スキルなんて取ってないし」
それを聞いて、俺の腹が、ぐー、と鳴った。
「ハラルド、この世界はなんでこんなにゲームに関係無い余計なものがあるんだよ」
俺がきまりの悪さを隠すように憮然として言った言葉にハラルドが笑う。
「ははは、僕も腹ペコだよ。早く行こう」
俺たちはすぐにボロ家から出た。寝るときも普段の装備から武具防具を解除しただけの服装の上、顔を洗う必要は特に無い。本当にこの世界はどこまでが現実に即していてどこからがゲームなのか判断に困る。
向かう先は、異常に巨大で複雑なハトルグリームスの、芸術街の中にある小さなパブだ。ハトルグリームスに来てから、ハラルドに教えてもらった店の中で、最も奇抜なメニューと味の良さとさらに値段の安さを誇る、知る人ぞ知る名店だ。欠点はそれでも店が小さいが故に、満員になることもしばしばであること、そしてもう一つ。
俺たちは好き勝手曲がりくねり枝分かれしアップダウンするハトルグリームスの長い路地をのんびり歩いた。正確には、のんびり歩くのはいつもハラルドの方で、俺は割と歩くのは速い方である。だが奴があんまり気持ち良さそうに歩くので、俺もなんとなくゆっくり歩くようになったのだ。そんなわけで、目的地へはそれなりの時間がかかった。市内には、中型飛行ユニットによる無料の区間移動サービス《エリアル=ロード》の駅があり、商業街~芸術街間などそれぞれの区域単位での移動は主にそれに乗るのが一般的なのだが、それでもこの街の中を移動するのが煩雑なのに変わりは無い。プレイヤー最初の街エルベルムと比較しても、あの街は確かに広いものの、こちらにはさらに城が街である以上高低差という三次元的広がりが加味されている。
エリアル=ロードの前近代的な機体の中で、エンジンとプロペラが駆動する振動を感じながら、俺はハラルドに言った。
「今日は、もう狩場を変えようと思うんだ」
「そう? もう一日デルフ低山で効率の違いを試してみるのも悪くないと思うけど」
「結局オーガフォックスから手に入る骨片で作る防具じゃ、スピードを殺さずにはいられないだろ? それになんだかんだであのモンスター、湧きが良くないしな」
「とすると……このあたりで有望なフィールドは、《フィオス丘陵》かい?」
フィオス丘陵とは、ハトルグリームスの南東に広がる赤茶けた丘陵地だ。起伏に富み、場所によっては四つ足獣系Mobが大量にポップする。
「ああ、もうだいぶ前からあそこにしようと思ってたんだ。この世界は、レベル差による取得経験値の補正がかからないからな。今よりレベルの低い相手でも数狩れる方がいい」
ハラルドはふむ、と頷いた。そうして最近物騒だから、日が沈むまでには戻ってくるんだよ、と言った。
俺たちはエリアル=ロードを降りてきらびやかな芸術街の大通りからすぐに裏道へと入った。通りを歩く途中で、くうくう、という高い鳴き声が聞こえる。どこの町でも大概そうなのだが、芸術街の民家や居酒屋の裏には猫でも犬でもない小さな動物が歩いたり、鳴き声を上げたり、あるいはさらに小さな動物を追いかけたりしている。どこの町でも、とはいうが、ハトルグリームスの商業街はうるさすぎ、工場街は汚すぎで、よくわからない生き物たちは芸術街にしか生息していない。あの生き物はなんというのか、俺はそのうちハラルドに訊いてみようと思っている。
煉瓦の敷かれた狭い道を二十数回も曲がり、俺たちはたどり着いた。ぱっと見では周りの建物と大差は無い。ほどほどに小綺麗な構えに、温かみを感じる書体で看板に店の名前が書かれている。
《居酒屋――「混沌の大鍋」》
俺はしみじみ、ハラルドに毎度の感想を漏らす。
「この店、大丈夫なのかな……絶対、この名前だけで見込める客が三割減ってるよ……」
「味は確かなんだからかまわないさ」
肩をすくめてそう言うと、ハラルドは西部劇に出てくるような木製の扉を開けた。
「いらっしゃい」
からん、と気持ちの良いベルの音がして、その響きにかぶるようにして、カウンターの向こうからハリのあるアルトが俺たちを出迎える。丸テーブルが二つ、椅子はカウンターのも合わせてせいぜい二十に満たないだろう。調度品はそれぞれが綺麗に磨かれていながらも、懐かしい感じが狭い店内に程良く馴染んでいる。奥の厨房から漂う、デミグラスソースのような芳醇な匂いに、俺はひくひくと鼻を動かした。
「ドラグースがいい素材もってきてくれたからねー。《今日のオススメ》は《発火のシチュー》よ」
「メリダ……そのネーミングを何とかしよう」
苦笑いしながらハラルドが告げた言葉に、メリダという名の若い女マスターは鼻をフンと鳴らして言い捨てる。
「名前に偏見を持って肝心の実物にチャレンジしない客なんて、こっちから願い下げよ」
「味はいいんだけどねえ……それで商売成立してるのが恐ろしいよ。じゃあとりあえず、そのメニューで」
「ソーウィル君もそれでいいかい?」
俺は最初から日替わりのオススメメニューを食うつもりで来ていたので、それでお願いします、と答えた。
エヴォルヴァースの料理はそれなりに簡略化されているが、それでも作り手による味の差というものは歴然としている。ほどなくして、ごとっという重い音と共に、白米を添えて出されたふつふつと湯気をあげる赤いシチューは、飢える俺たちの胃袋を容赦なく刺激した。
いただきます、と言うのももどかしく俺はスプーンを握りしめてシチューに突撃した。となりではハラルドが優雅な手つきで、しかしやはり待ちきれないようにスプーンを取っている。俺は大口を開けてスプーンにざっくりと盛った最初の一口を頬張り、全力で噴きかけた。
――これは………………なんという辛さだ!
洪水のように広がる灼熱感と旨味に目を白黒させる。ころころと切られた名前の判らない肉や野菜はみな柔らかく煮込まれていて、そこから一様ならざる味が複雑な模様のタペストリーを形成しているかのようだ。
「う、うまい……」
「あたしの料理スキルはもう限界振り切ってるようなもんだからねー。長い努力と研究の証よ。ハラルドも気に入ってくれたみたいね?」
見れば奴は神妙な顔で手を休めることなく皿をつつき続けている。さすがメリダ、と言おうとしたのか、フガモゴと不鮮明な音が漏れた。
「あはは! 今は食べることに専念しな、賛辞は後でいくらでも受け付けるからさ」
それから俺たちは時折、甘さとスパイシーさが同居する、不思議な味わいがするライトグリーンの酒を飲みながら、一心にカレーより辛い真っ赤なシチューを喰い続けた。