第30話
ユーラ視点
ユーラは疾駆した。
立ち上がる観衆の間をすり抜け、男の背後に忍び寄ってその手を捻り上げる。
「いででででっ!」
悲鳴を上げる手から零れ落ちたのは、小さな鏡の欠片だった。それが地面に落ちて砕けるのを見届ける間もなく、彼女は男の手を離して素早く駆ける。
立ち止まっている暇はない――鏡を持っている男たちはまだいるのだから。
(まさか、ここまでとは予想していなかった――!)
ユーラは観客たちの中をすり抜ける。その合間には警備の騎士が立っているが、周りに鏡を持った男たちがいても平然な顔をし、それを止めるようなことをしていない。
恐らく全て見逃すように指示をされているのだろう。
鏡を持っている男たちはあまりに多いにも関わらず――。
(とにかく、止めないと――っ!)
「行けっ、モレル! ぶち殺せ!」
「ここでお前が勝てば大穴だ!」
賭博札と鏡を握りしめる男たちが絶叫する。その懐に滑り込んだユーラは肘を鳩尾に叩き込んだ。崩れ倒れた男たちの手からこぼれた鏡を踏んで壊し、次に向かって駆ける。
響き渡る歓声と剣戟の音。それにユーラは一瞬だけ闘技場を見た。
そこではモレルが静馬に向かって猛然と打ちかかり始めたところだった。急に消極的になった静馬の動きを訝しんでいたが、好機と見て動き出したようだ。
それに対して静馬は何とか剣で受け、身体捌きで槍を回避している。
だが、その動きは彼らしくなく精細さを掻き、大振りな動きだ。牽制するような槍の突きも大袈裟な動きで避けている。恐らく視界が充分ではないのだ。
いくら剣の達人である静馬とはいえ、視界が欠ければ圧倒的に不利だ。
(早くどうにかしないと――っ!)
ユーラは近くにいた男の手にある鏡を奪い取ると、他の男の手に向かって投げ飛ばした。投げた鏡は男の手の鏡にぶつかり、砕け散る。
すぐにユーラは身を翻し、次の獲物を捉えようとして――目に入った光景に絶句した。鏡を手にした男は見えるだけでまだ十人以上いる。
それを一つ一つ叩き落としていくのは、あまりに時間が掛かり過ぎる。
それに一瞬、ユーラの心がぐらりと揺れて折れかけ――。
「――ィァァアアアアアァァァッ!」
瞬間、闘技場から凄まじい声が轟いた。
闘技場の歓声すら呑み込むほどの声。まるで獣が叫んだかのような咆吼に思わずユーラは振り返る。
声の主は、静馬だった。眦を裂いた彼は全身から気迫を漂わせ、相手を鋭く睨みつけている。その凄絶な表情と雄叫びにモレルは気圧され、観客席も静まり返っていた。
ユーラも息を呑んでいたが、すぐに我に返って駆け出す。
(――シズマさんは、諦めていない)
その事実に心が奮い立たせる。ユーラは再び観客たちの間をすり抜けるように駆け抜けていく。一つでも多くの鏡を砕くために。
(彼が諦めていないなら、私が諦めるわけにはいかないのだから――!)
そして、鏡を持つ男に向かって手を伸ばし――。
不意に横合いから伸びた手が、その男の胸倉を唐突に掴んでいた。
「が、ぁあ……っ!」
胸倉を掴まれた男が声にならない悲鳴を上げる。それにユーラは呆気に取られながら、それを掴み上げている男に視線を移す。
そこに立っていたのは、堂々たる体つきの偉丈夫だった。
その顔つきは髭に覆われており、あまりに厳めしい。だが、その身に纏っているのは騎士団の軍服であり、さらには将軍位を示す徽章までつけている。
面識はない。だが、ユーラは直感的に誰か分かった。
(第三軍を率いし将軍――サイラス・グノーシス将軍……!)
その騎士が一般人を吊るし上げている事実に、観客たちが悲鳴を上げる。
だが、グノーシス将軍は動じず、髭に覆われた顔を鬼神のように歪めて男を睨むと、男の手を掴んで握っていたものを確かめる。
「貴様――不愉快な物を持っているな……っ!」
「こ、れは……っ」
「こんな小細工で、神聖な試合を汚すな!」
グノーシス将軍の怒鳴り声が響き渡る。彼はそのまま辺りを睥睨すると、鏡を持った男たちは顔面を蒼白にし、手にした鏡をしまい始める。
その光景にユーラは思わず吐息をこぼし――響き渡った剣戟の音に我に返る。
(――っ、試合は……っ)
慌てて闘技場を振り返る。そこではモレルが再び攻勢に動く姿が目に入った。
それを剣で受ける静馬はもはや闘技場の端――後が全くない。
それに息を呑んで見守っていると、不意に隣から低い声が響いた。
「心配するな。あれしきの妨害で負けるような男ではないぞ」
ちら、と視線を向ければ、そこにはグノーシス将軍が立っている。先ほどの鬼神のような表情から一転し、不敵な表情で真っ直ぐに静馬を見つめ。
そして、語り掛けるように言葉を続ける。
「何せ、あいつは寝ても覚めても剣術バカ――だろう? ナカトミ」
その言葉に応えるように、闘技場に立つ静馬は下段から鋭く刃を切り上げた。
それは突き出されたモレルの槍を捉え、真下から跳ね上げる。それと同時に静馬は踏み込むと、流れるように刃を返して横薙ぎ一閃を放つ。
鋭い反撃にモレルはたまらず後退――それをはっきり見据えて静馬は正眼に構える。
彼の剣の精彩さが戻ってきていた。
◇
いつの間にか、邪魔な光は収まっていた。
まだ視界には残像が残っているものの、視界内にモレルの動きを捉えることができる。落ち着きながら静馬はゆっくりと一歩踏み出せば、モレルは一歩後ずさった。
何かに気圧されるように、彼の表情は強張っている。
だが、それを振り払うようにモレルは全身から気迫を放った。それを静馬は剣を正眼に構えたまま、気迫を放ち返す。気迫がぶつかると、モレルの槍先がぴくりと動いた。それでもまだ打ちかかろうとしない。どうやら、隙を見出せないようだ。
どれほど対峙が続いただろうか、モレルの顔に汗が浮かび始めていた。
対する静馬は自然体――そして、また一歩距離を詰めた瞬間、弾かれたようにモレルの目が見開いた。瞬間、彼が気迫を放ちながら強く踏み込む。
「シィイイイ――ッ!」
剣の間合いの外から放たれるモレルの鋭い突き。
その渾身の一撃に対し、静馬は冷静に刃を傾けながら突きに合わせていた。絶妙な角度で槍と刃がぶつかり合う。甲高い刃音を奏でながら、傾けた刃の上を滑るように槍の一撃が逸れる。
直後、静馬は踏み込みと同時に刃を返し、モレルに対して斬り掛かった。
モレルは真っ向から受け止めようとせず、大きく後退して間合いを維持――さすがに序盤の迂闊なミスを繰り返してはくれない。
そして、その間合いを保つようにモレルは鋭く槍を繰り出し続ける。巧みな槍捌きで静馬の隙を狙うように胴体だけでなく、足や首も狙う執拗な連撃。
その間合いへ静馬は真っ向から踏み込み、立ち向かっていく。
刃を合わせて捌き、身を逸らして躱す。踊るような足捌きと剣技が閃き、武器がぶつかり合うたびに火花を散らした。その中で静馬は槍を掠めるのも構わず、さらに踏み込む。
たまらず、モレルは後退しつつ、それでも槍を繰り出して間合いを保とうとする。
静馬が踏み込んで斬りかかろうとすれば、モレルは鋭く槍が閃いて弾きつつ、また攻勢に転じる。突き、薙ぎが一体となった見事な槍技だ。
攻守織り交ぜた槍技に、なかなかすぐに間合いを詰めることはできない。
だが、同時に静馬の構えを突き崩すことができなくなっていた。
(あれだけ、好きに攻め立ててくれていたのだからな――)
鏡の妨害を受けていたとき、静馬もただ防御に徹していたわけではない。
視界が利かなくともどういう攻めをしてくるか、どこに隙があるかは刃を交えていればなんとなく分かってくる。それを活かし、静馬はモレルの攻めを完全に防いでいた。
「――ィイッ!」
呼気と共に繰り出される突き。静馬はそれを見切り、刃で薙ぎ払って弾き飛ばす。モレルはその勢いのまま槍を回し、遠心力を載せて薙ぎ払いの一撃を放つ。それを静馬は刃を合わせ、逸らすように受け流す。
のみならずその力を得て、さらに踏み込む。相手の力を利用することによって、剣舞は加速していく。剣と槍の衝突も次第に数を増やし、澄んだ金属音と共に火花が散る。
モレルは体勢を立て直すために後退。静馬は逆に一歩踏み込む。
(無理に押し込む必要はない。手数を増やし、少しずつ押す――)
一歩。また一歩。繰り出される槍を的確に捌き、静馬は踏み込んでいく。その間合いが奪われていく現状に、モレルは表情に焦りを滲ませ。
「――ハアァッ!」
大きく踏み込んでモレルは槍を突き出す。その動きをはっきりと捉えていた静馬もまた踏み込みと同時に真下から剣を跳ね上げさせていた。突き出された槍の穂先に剣の切っ先が触れた瞬間、彼の手首が柔らかく回る。
直後、火花を散らしながら彼の刃が槍を絡め取るように軌道を真上に跳ね上げていた。静馬はそのまま、槍を跳ね上げた腕を上段構えに繋げながら踏み込む。
気づけば、モレルは槍を真上に突き出した体勢で。
静馬はその懐で剣を構えている体勢を作り出していた。
「――ッ!」
モレルは咄嗟に槍を引き戻しながら後退しようとする。だが、肉迫した距離から急には間合いを取ることはできない――そこはすでに、剣の間合いの中なのだから。
(――終わりだ)
瞬間、静馬の剣が振り抜かれた。




