プロローグ
アウレリアーナ視点
夕暮れ時の調練場に一際大きい金属音が響き渡った。
宙に舞ったのは一本の剣。回りながら放物線を描いた剣は遠く離れた地面に突き刺さる。それを遠目に見ながら一人の騎士は相手の喉元に刃を突き付けていた。
目を見開く男は微かに喉を引きつらせると、絞り出すように告げる。
「参り、ました――殿下」
その声に騎士は無言で刃を下ろした。それを合図に駆け寄ってきた従者に剣を渡すと、兜を脱いだ。はらりと中からこぼれ出たのは金色の長い髪。朱色の唇から小さく吐息をこぼすと、真紅の瞳を細めて相手に向き直る。
「いい運動になりました。手合わせに感謝します」
澄んだ声に男は微かに息を詰まらせ、だが、慌てて頭を垂れて告げた。
「い、いえ、こちらこそ、ありがとうございました」
互いに一礼し、彼女は踵を返す。その向かう先にいるのは手合わせを見守っていた一人の壮年の騎士だ。にこにこと微笑んでいる騎士は手を叩いて告げる。
「さすがですね、アウレリアーナ殿下。見事な剣の腕前でございます」
その誉め言葉に女騎士――アウレリアーナは憮然としていた。腕を組みながらじとっとした目で目の前の騎士を睨む。
「世辞は無用よ。ヘロス将軍。正直なことを言いなさい」
「では、遠慮なく貴女の師匠として申し上げましょう」
ヘロスはにやりと笑みをこぼし、真っ直ぐな視線をアウレリアーナに向ける。
「あの程度の騎士に手間取っているとは、些か研鑽が足りないのではありませんか? アウレリアーナ。もっと付け入る隙はあったでしょう」
「……う」
「それと見え見えのフェイントに引っ掛かり過ぎです。精進しなさい」
ヘロスの指摘にアウレリアーナは思わず言葉を詰まらせ、やがて深いため息と共に頷いた。
「……そうね。お師匠様の言う通りだわ。私も未熟ね」
「王女殿下としては、異例の強さだと思いますがね」
ヘロスはそう言いながら視線を他の騎士に向ける。そちらではアウレリアーナを見てひそひそと話している様子が見える。あまりいいことを喋ってはいなさそうだ。
恐らく陰口――負けたことを僻み、彼女のことを貶して満足しているのだ。
逆を言えば、そう思われるほど彼女の剣の腕は立つのだ。
だが、彼女は満足していないように自分の掌を見つめて小さく吐息をつく。
「まだまだよ。もっと美しく気高い剣を目指したいの」
「ふむ……とはいえ、こればかりは経験が物を言いますからね。私がもっと貴女と手合わせできれば良いのですが――」
「仕方ないわよ、私は王族、貴方は将軍。互いに忙しいわ」
多忙を極める二人の時間が取れるのは月に一度、あればいいほどだ。今日はそんな貴重な時間の一つである。アウレリアーナはため息をつき、憂鬱そうに言葉をこぼす。
「貴方や貴方の部下以外にも、私と立ち合ってくれる相手がいればいいのだけど」
それが難しいことはアウレリアーナ自身が実感していた。
その理由は彼女が王族であること。稽古とはいえ、万が一、彼女に怪我を負わせてしまえば責任を追及される。不問にされたとしてもその後、いろいろな意味で騎士として生きづらくなるだろう。
さらに理由を付け加えるならば、未熟ながらも彼女の剣の腕前はかなりのものだ。先ほど立ち合ったヘロス将軍直属の部下が押し負けるほどである。
「近衛騎士がもう少し使い物になればよいのですが……」
「ダメよ、あの男たちは。精鋭の紅鷹部隊はともかくとして、それ以外は家の力で近衛騎士に入っただけで、実力が全くない」
「苛烈な言い方ですね……否定はしませんが」
「近衛でも地方でもいいから、骨のある騎士はいないかしら……」
「難しいですね。王族である貴女に遠慮しない、かつ剣の腕に長けている――そんな都合のいい騎士など、一人、も……」
苦笑をこぼしていたヘロスだったが、何か引っかかったように顎に手を当てた。言葉が消えたことに気づき、アウレリアーナは師匠の顔を覗き込む。
「……どうしたのかしら? お師匠様」
その言葉に顔を上げたヘロスは真剣な顔つきをしていた。彼は静かな口調で告げる。
「……貴女のお眼鏡に合う騎士が、一人、いるかもしれません」
「え……本当に?」
「ええ、地方にいる騎士で未だ無名ですが――元々は東方の剣士、侍です。少し縁があって私が騎士団に推挙したんですよ。そうですね、三年前のことですが」
少し懐かしむように目を細めながら、ヘロスは視線を東の方へと向けた。
「最近、忙しくて最近会えていませんが――彼ならば、もしかしたら」
「そんなに強いの?」
「ええ、それはもう。御前試合に出場すれば確実に上位に食い込めるでしょう」
はっきりと断言したヘロスに、アウレリアーナは思わず目を見開いた。
ヘロスは騎士団の中でも一、二を争う実力の持ち主であり、近衛騎士団の剣術指南役も請け負っている。甘えた評価は一切しない人だ。
(そんな彼が手放しに褒める騎士が、地方に埋もれている……?)
「……というか、その言い分だと御前試合には一切出ていないみたいね」
騎士団では年に一度、御前試合が催されている。王国各地に配備された騎士団の各軍で予選が行われ、そこを勝ち抜いた騎士たちが陛下の御前でその武技を競い合う大会だ。腕が立つなら当然、出場しているはずだが――。
「出世にはあまり興味がないらしく、辞退しているようですね……全く勿体ないことですが」
ヘロスはそう言いながら、地面に落ちている枝を拾い上げた。そして、それで地面に文字を書き始める――東方に伝わる古代文字、漢字だ。
中臣静馬。その名を見つめていると、ヘロスはゆっくりと言う。
「名字はナカトミ、名前がシズマ――大陸風に言うと、シズマ・ナカトミですね」
「シズマ・ナカトミ……」
アウレリアーナはその名を舌で転がすようにつぶやく。ヘロスは心から楽しそうな口調で続ける。
「ただ出世に興味がない、ということは貴女にも気兼ねをしないでしょう。少なくとも剣術に関しては、彼は遠慮を知りません。きっと研鑽を積んでさらに剣の腕を伸ばしていることでしょう」
「……お師匠様、聞いてもいいかしら」
「はいはい、なんでしょうか?」
「私とその彼――どちらかが強いと思う?」
「さて、実際に戦ってみないことには分かりませんが」
ヘロスは勿体つけるようにとぼけた口調で言いながら。
その目を光らせ、はっきりとした声で断言した。
「恐らくですが、静馬くんの方が強いでしょうね」
その言葉に、アウレリアーナは目を細める。それを見てヘロスは小さく苦笑する。
「……会いたいですか? アウレリアーナ」
「ええ。お願いできるかしら。ヘロス将軍」
「殿下の頼みであれば、断れませんね。何か口実を作ります」
ヘロスは恭しく一礼する。それを見ながらアウレリアーナは東の空に視線を向ける。
(楽しみね……シズマ・ナカトミ、貴方に会える日が)
その真紅の瞳は闘志で爛々と輝きを放っていた。




