第二十話-【第三幕:VIPルームの気まずい沈黙と、蜂蜜パンの魔法】(挿絵あり)
部屋にはミリーと、あのドワーフだけが残された。
沈黙が分厚い毛布のように重くのしかかり、息苦しささえ覚えさせる。
ミリーはソファの端に座り、なるべく緊張していないように見せようとしたが、その視線はどうしても相手の持つバスケットへとふらふら吸い寄せられてしまう。
そのバスケットはとても質素だった。
粗い籐で編まれ、上にはチェック柄の布がかけられている。
だが布の隙間から、ほんのりとした良い香りがミリーの鼻をくすぐった。
焼きたてのパンの香りに、蜂蜜の甘い匂いが混ざっている。
この息詰まるような静けさの中で、ミリーは心の中でつまらない小さなゲームを始めた。
バスケットの中身を当てるのだ。
パン?
お菓子?
それとも何かの道具?
ドワーフは皆、鍛造が得意なはずよね?
やがてドワーフは彼女の視線に気づいた。
自分のバスケットを見て、それからミリーを見て、何かを悟ったようだった。
彼の表情はふっと和らぎ、その素朴な優しさは、ミリーに故郷の鍛冶屋を思い出させた。
「これを見ているのかい?」
彼はバスケットを指さし、少し照れくさそうな声で言った。
ミリーの顔はさらに赤くなる。
「あ、違います……私、ただ……」
ドワーフは軽く笑い、バスケットの蓋を開けた。
途端に濃厚な香りが部屋いっぱいに広がる。
焼きたてのパン。
そこに蜂蜜とナッツの甘い匂いが重なっていた。
「これは母さんが焼いた、蜂蜜とクルミのパンなんだ」
彼はバスケットから黄金色のパンを一つ取り出し、ミリーに差し出した。
「道中の携帯食なんだけど。君も食べてみるかい?」
ミリーは恐縮しながらパンを受け取った。
まだ少し温かく、表面には砕いたクルミが散らされていて、見ただけでも美味しそうだった。
「ありがとう」
彼女はそっとかじる。
予想以上にふわふわとした食感。
蜂蜜の甘みとクルミの香ばしさが、完璧に調和していた。
「わあ、本当に美味しい!」
ミリーの顔に浮かんだ驚きの表情を見て、ドワーフも笑った。
その笑顔はとても純真で、まるで子供のようだった。
「俺はアーガスの友達じゃないんだ」
彼は少し誇らしげに言った。
「俺はあいつの兄貴さ」
ミリーは危うくパンを喉に詰まらせるところだった。
激しくむせ込み、涙が滲みそうになる。
ようやく落ち着きを取り戻すと、彼女は勢いよくソファから立ち上がり、深くお辞儀をした。
「ごめんなさい! 初めまして、お兄様! 私はミリー、アーガスの同級生です!」
ドワーフは彼女の反応に笑わされた。
「ミリー……ミリー……」
その名前を繰り返し、目に突然合点がいったような光を走らせる。
「あ! 君があの、いい子のミリーか!」
ミリーは戸惑って瞬きをした。
どういう意味かはよく分からない。
けれど、褒められているのなら……。
「はい、私がミリーです」
彼女ははにかみながら言い、それから正式に自己紹介した。
「ミリー・アドラーです。初めまして、よろしくお願いします」
トールは興奮して太ももを叩いた。
「アーガスが手紙で君のこと書いてたぞ! 母さんも、君はいい子だって言ってた!」
そう言うと彼も立ち上がり、正式に名乗った。
「俺はトール・アイアンソーン。アーガスの兄だ。会えて嬉しいよ」
「お母様の焼くパン、本当に素晴らしいですね」
ミリーはパンを味わいながら、心からそう褒めた。
「この蜂蜜の加減が絶妙です。甘すぎなくて、クルミもとても香ばしく焼けています」
トールの表情はいっそう明るくなった。
「はは、母さんに伝えておくよ! 母さんは自分の腕前を人に褒められるのが一番好きなんだ」
彼は少し言葉を切り、どこか緊張した様子で続けた。
「人間の街に来たのは初めてでさ。少し……どうしていいか分からなくて」
「大丈夫ですよ」
ミリーは優しく言った。
「パラディアの人はみんな親切です。それに、あなたはとても良い人に見えますよ」
トールは手をこすり合わせた。
「俺は商隊について来たんだ。俺のアイデアをアーガスに見せたくてね。母さんのパンは……そのついでだ。まさか、あんな大げさな場面に出くわすとは思ってなかったけどな」
トールは向かいの少女をこっそり観察していた。
柔らかな茶色の髪を、簡素なポニーテールにまとめている。
白いうなじが覗き、顔立ちは整っていて温和だった。
なかでも、その大きな瞳が印象的だった。
いつも真剣で、どこか純真な光を宿している。
彼女は両手で大切そうにパンを持ち、一口ずつ小さく食べていた。
その集中した姿は、まるで森で跳ね回る小リスのようで、守ってやりたくなるほど可愛らしい。
彼はバスケットを見て、ひとつ決心した。
「君はアーガスの友達だし、母さんも君はいい子だと言ってたから……」
バスケットの底から、折りたたまれた数枚の紙を取り出す。
「これ、見てみるかい?」




