第十一話 アクセス権
(うーん……)
スマホをたぐり寄せる。時刻は午前十時半。昼過ぎまで寝る予定だったのに。頭まで布団を被って、しばらく抵抗を試みる。が、身体の中のエラーは、放っておいても消えない。
(これは病院に行かないとだめなやつだな)
ひとり暮らしが長いせいか、このあたりの決断は早くなった。倒れても、病院まで運んでくれる人はいないのだ。
今日は一月四日。一番近い内科は、幸い今日が仕事始め。
いつだったか、大きな病院の休日外来に行った時、看護師さんに怒られたことがある。
「ひとりでここまで来られるなら、元気じゃないですか。救急は重篤な患者さんのために開いているんですよ」
おひとり様には、救急へのアクセス権はなかったようだ。
けだるい身体で、簡単に身支度を整え、病院まで徒歩五分。何とか午前中の受付に滑り込んだ。「熱が出そう」と伝えると、「念のため」と言って別室に通された。
昨日オフィス当直明けで、久々の五連休を前に浮かれていたのは間違いない。早朝のバス停のベンチに、うっすらと積もった真新しい雪を見た瞬間、嬉しくなって、即席の雪だるまを作ってしまった。
(でも風邪とかインフルとか、潜伏期間があるはず。やっぱり電車かな)
スマホの画面を、ぼんやり眺める。同僚達のリアルタイムのやりとりが、流れていく。エラーは世界中で常に起きている。人もマシンも同じ。
スマホの通知音をオンにする。
ひとりきりの部屋で、小さな通知音が遠慮がちに響く。その音を聞いていると、安心する。私がこの世界にアクセスできている証拠だから。
ネットは、私の生命線だ。
だから私は、エンジニアになった。この世界を守るために。
強くたくましいヒーローのように、目立つわけじゃないけれど。
普通の人達が気づかないところで、私達はこの世界の「当たり前」を支えている。
そう思う時、私の孤独は、少し癒される。
診察後、「すぐに飲んでください」と言われ、錠剤をひとつ飲んだ。インフルエンザではなかったことに安堵していたら、看護師さんから不意打ちのひと言が飛んできた。
「ご家族の方はお車に?」
「いえ。ひとりなので」
「あら……。タクシー、呼びますか?」
「いえ。近くなので、大丈夫です」
(そう、大丈夫。ひとりでいることは、悪いことじゃない。ひとりでもちゃんと生きているんだから、大丈夫)
帰り道、自分を励ましながら歩く。
(……ん?)
目が覚めたら、玄関を入ったところで寝ていた。コートのポケットの中でスマホの通知音がかすかに鳴っている。
マンションのエレベータを上がって、ドアを開けて、靴を脱いで、スリッパを履いたところまでは記憶がある。
(うわ、こんなところで強制終了は危険すぎるって)
重い身体を起こして壁にもたれ、スマホを取り出す。時刻は午後三時半。二時間ほど寝ていたらしい。とりあえず、意識ははっきりしている。やはり急に熱が上がったのだろう。頭を打たなくて良かった。
スマホの充電が少なくなっている。
私もちょっとお腹がすいていると気付く。
寝たら少し回復したようだ。アニメの女の子のように。彼女には頼もしい兄がいるが、私にはいない。だから、こんなふうに倒れても、誰にも気づかれない。
(でももう慣れているから!)
……嘘です。
強がりを言いました。
本当は、頼れる人がいたら良いなと思う。
でもそれは、ないものねだりというものだ。分かっている。
短いため息と一緒に、小さな未練も吐き出して、立ち上がる。
手洗いとうがいを済ませて、とりあえず水を飲み、冷蔵庫の中を眺める。
五連休に備えて、昨日たくさん買い込んでおいたので、満杯だ。ちょっと贅沢な気分。
(さて、私のお腹は今何バラなんだ?)
孤独なグルメを気取って、つぶやいてみる。
パックに入ったままの卵と目が合う。
(よし! 卵かけご飯だ。栄養的にも最強のコンビだしね!)
レトルトのご飯をレンジでチンしている間に、卵を準備。コンと打ち付けて、パカッと開く。つややかな黄身と白身が器の中でとろんと揺れる。醤油を少し垂らして、箸でシャカシャカする。
温かいご飯と卵をよく絡めて、デプロイ完了。
(くうぅ、染みるー。卵かけごはんを発明した人、あなたは天才です)
良い感じに食欲が出てきた。冷凍しておいたお惣菜を温める。
(ひとり暮らしでも、こんな生活ができるのは、たくさんの人のおかげ)
私にも、この社会へのアクセス権がある。
実際に会ったこともない人達。
でも、繋がっている。
(年末、あのコールセンターもいつもの人がひとりだったな)
百年前の人達は、こんな未来が来ると予想しただろうか。
百年後にも、「おひとり様」はいるのかな?
さて、しっかり栄養もチャージできたところで、もう一回寝よう。
寝ている間に、私の身体のエンジニアたちがメンテナンスしてくれるだろう。働く細胞たちの画が思い浮かぶ。
皆がそれぞれ自分の仕事をして、世界は回っている。
お休み、世界。
また、明日。
スマホの通知音がひとつ鳴った。
世界からの返事のように。




