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六 薬子の変

薬子の(くすこのへん)


「それでは今から監査任務を開始する」

「任務内容の確認をするよ、私たちは薬子の変を見届けるんだね」

「そう、そして最後に自害して、彼女がこの世を去るまで、既存の歴史と差異がないか確認出来れば今回はそれで良し」


そう言って牡宵は近くを飛びまわる黒い蝶に話しかけた。


「そうだね珠様」

「あってるよ!大丈夫!」


蝶の向こうから珠依の声がする。こちらの映像も見えているのだろうと、牡宵は軽く手を振った。手に留まった蝶からまた声がする。


「自害の予定日は三日以内とされているから、各自監査及び報告をお願い」

「「「「了解」」」」


そうして薬子の変の監査任務が始まった。

監査および任務は順調であった。簡潔にいえば、平城天皇が嵯峨天皇に敗北したのである。任務報告が必要となる『薬子の自害』はもうすぐそこであった。そして任務開始から二日目の夜の事だった。


「あそこにいるのが薬子のようだねぇ」


双眼鏡を手にしながら磐津が呟いた。それに習って牡宵も自身の双眼鏡で覗き見る。


とある寝殿造(しんでんづくり)の建物の最奥に彼女はいた。普段なら御簾は下げられていて姿を見ることは叶わない。しかし、今日は何故か御簾が上がっており、彼女を覗き見ることが出来たのだ。


陶器のような白い肌に、烏の濡れ羽色のように艶のある髪の毛。年増であるとはわかっているが、瑞々しい女の色気がある。その表情は今は鬱々としており、それが彼女の魅力を一層強く引き立たせているようにも見えた。


彼女の奥には几帳や帷子が置かれていた。誰かを待っているのだろうか、当たりを見回している。だが誰もやってくる気配はしない。

そんな時だ、ふわり、と薬子の周りが輝き出した。何事か、と思えば月の光が彼女を照らしていた。まるで竹取物語の姫のように神々しく彼女は輝く。薬子は月明かりの眩しさに目を細めながら、月に向かってほっそりとした手を伸ばした。


「牡宵、珠依です。こちらからも薬子の様子は見えてるんだけど、彼女は一体何をしてるの?」

「月明かりに手を伸ばしているように見えるけど……待て」

「何?」


牡宵は自分の目を疑った。薬子は最後には服毒自殺をするのだ。ならば手にするのは散薬か丸薬。それを飲み物にとかして飲むのが主流な自害なはずである。しかし、しかしだ。


()()()()()()()()()()()()


ひゅ、と無意識に牡宵は息を飲んだ。いつの間に懐剣なんぞを手にしていたのか。まるで月の光から集められたかのように薬子の手の中で懐剣は光を増した。


その様子がみてとれたのか、鋭い声で蝶の式神から声が聞こえた。

「牡宵!懐剣を何とかしろ!」


それは郁南香の声であった。その後に続いて珠依の声も聞こえる。


「見つかってもいい、懐剣を取り上げて!」

「わかった!」


牡宵はすぐに薬子の元に駆け寄った。その後を磐津も追う。足音を立てて薬子に近寄る。すると懐剣を大切そうに抱えながら、薬子は牡宵の方を見た。


「どなた様でしょう、ここは誰にも知られない場所のはず」

「……貴女に名乗る名は持ち合わせていません、いきなりで恐縮ではありますが、その懐剣を渡してくださいませんか」


慎重になりながら牡宵は声をかける。それと同時に近くに控えてる、爛と稀南香に目配せをした。薬子が動けばすぐに懐剣を奪うようにと。意図がわかった二人は頷いてそろそろと闇に紛れながら薬子に近寄った。


「あなたも使者様なのですか?」

「使者様?」

「牡宵、彼女の後ろを見て」


磐津にそう言われて、視線を奥にやる。すると薬子の後ろに小さい影が見えた。それは貴族に使える幼い少女、女童(めのわらわ)に見える子供が彼女の後ろに立っていた。


よく目を凝らすと、それは人ならざるものであった。姿かたちは女童だが、ニコニコと笑った口からは真っ黒な墨が垂れている。それは紙魚であった。


「牡宵、あれは……」

「あれは、織禍(しょくわ)だ」


忌々しげに牡宵は呟いて織禍(しょくわ)を睨みつける。


織禍とは紙魚の一種である。裂頁などの紙魚と比べれば、清祓難易度は高くない。しかしそれらには高い知識がある。無理くり歴史を食い散らかすのではなく、わざと歴史の一部を変えて、混乱をきたす。


そして書き換えらて混濁した歴史を食らい尽くす習性がある。「書き換える」とは紙魚達の習性に基づくらしい。紙魚を研究する司書で「既存ではない歴史の方が、紙魚達は惹かれる」と発表した者もいる。自分たちの美食を追い求めるため、紙魚達は歴史を書き換えるのだろう。


そして今宵は薬子の自害方法をねじ曲げるためにこの織禍はやってきたのだろう。女童の格好をした織禍は薬子の懐剣に触れながら、何かを話したようだった。


「いえ、あなたたちは、私の願いを妨げるものですのね」

「願いを妨げる?」

「こちらにいる天からの使者様が言っていますわ」

「そいつは使者なんかじゃない、貴女の物語を食らう化け物だ」

「何を仰っているの、この方こそ私のよすが、私の最後の願いを叶えてくれる方なのです」


そう言って薬子は懐剣を構えようとした。咄嗟に牡宵は合図を送る。暗闇から爛と稀南香が飛び出す。爛は舞うように飛び上がり薬子の手から懐剣をたたき落とした。


稀南香は両手に持つ短刀を使い、すぐに織禍を切り捨てた。周りに墨を吐き残しながら、女童の格好をした織禍は霧散した。


と思った瞬間。吐き残された墨が手の形を形成した。

墨の手は素早く落ちた懐剣を握ると空を切るようにして飛んだ。そして――――


そして、その懐剣は薬子の胸に突き刺さった。


「!?」


薬子は驚いた顔をする。綺麗に紅が引かれた口から、真っ赤な血が滝のようにゴボゴボとこぼれ出た。


「何故……、死ぬふりさえすれば、内密にあのお方に合わせてくれるはずじゃ……」

「くすくす、くすくす」


墨の手は霧散し、顔の形を形成する。それは先程の女童の顔であった。


「……騙したのね」


そう言って薬子は倒れ伏す。慌てて牡宵が駆け寄り、体を起こす。


「まだ助かるはずだ、気をしっかり持って」

「いいえ……それはまやかし、……ごほ、こんなに血が出て助かるものですか」

「……刃を抜かなければまだ間に合う」

「あぁ口惜しや、あのお方にも会えず、騙されて死ぬとは……」


薬子は眉根を寄せて涙を流す。蝶が飛んできて薬子の肩口に止まった。珠依の声が聞こえる。


「まだ助かります、私ならあなたを治せる」

「……」

「治療を……」

「要らぬ!」



最後の力を振り絞り、薬子は立ち上がった。よろよろと後ろへ歩き、真っ白な帷子に縋り付く。まだ間に合う、そう願いながら牡宵は優しく薬子に語り掛ける。


「大丈夫、あなたはまだ助かる、こんな形で死ぬべきではないんだ、お願いだからこちらに来ておくれ」


「あぁ……貴方様……平城天皇……最後にお会いしたかった……私の願いはそれだけだった……」


薬子のぽろぽろと頬をつたう涙が、血と混じってもなお、珠のように清らかで、神々しく感じた。牡宵が必死に手を伸ばす。だが薬子はあらぬ方向に手を伸ばし、そしてその手は空を切った。届かぬ手を見つめたまま、薬子の顔に影が落ちる。その刹那。突如彼女は鬼のような形相に成った。人を喰らう夜叉という異形はこれを指すのかと思うほど、その場にいた全員が総毛立った。


薬子の口が開かれ、血と同時にしゃがれた音が零れ落ちた。


「ああ 口惜しや 口惜しや

我が思ひ人の願い 遂げることかなはず


ああ 名残り惜しや 名残り惜しや

この世を 去らねばならぬ その哀しさよ


逢ふことも 言ふことも 赦されぬまま

ただ 血にまみれし願ひを

残すばかりなり


ならば 残そう 怨嗟のしるし

血を 血を 怖れし者に

忘れぬように 刻むために」


最後はほぼ振り絞るような、地獄のそこから聞こえる声だった。

薬子はそう言ってのけると胸に突き刺さった懐剣を思い切り引き抜いた。ぶじゅっっ、と大量の血が辺り一面に降りかかる。


そして薬子は後ろに倒れた。まるで出来の悪い悪夢を見ているようだ。血溜まりができて後ろにあった帷子にじわじわと吸い込まれていく。


くすくす、くすくす

呆然とする牡宵の耳元で、楽しそうな笑い声がする。織禍がこちらを嘲笑っていた。牡宵は拳で織禍を殴り落とした。墨が霧散していく。そしてようやく織禍は清祓された。


初の監査任務は最悪の形で薬子の自害を迎えたのであった。


読んでいただき、ありがとうございます。


面白ければ感想や、いいね、ブックマークなど反応していただけるとありがたいです。


誤字脱字報告も、もしよろしければお願いします。

これからも読んでいただけると嬉しいです

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