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二十五話

黒塗りのセダンが、静かに門を抜ける。


 広い敷地。


 だが、派手さはない。


 手入れの行き届いた庭木と、静かな石畳。


 古くから続く家特有の落ち着きがあった。


「毎回来るたび思うけど」


 助手席で裕也が笑った。


「空気違うよな、お前ん家」


「そう?」


「静かすぎるんだよ」


 車が玄関前へ止まる。


 使用人が自然な動きでドアを開けた。


「お帰りなさいませ」


「……ただいま帰りました」


 裕也も軽く会釈する。


「こんばんは」


 中へ入る。


 広い。


 だが、必要以上に豪華ではない。


 木の香り。


 落ち着いた照明。


 長い歴史を感じさせる空気。


「……こういうとこなんだよな」


 裕也が周囲を見回す。


「“金持ちの家”っていうより、“名家”って感じするの」


「小さい頃からなので、あまり分からないですけど」


「慣れって怖ぇわ」


 裕也が肩をすくめた。


 そのままリビングへ入る。


「おかえりー!」


 母がすぐに反応した。


「雄一!」


「……ただいま帰りました」


「裕也君もいらっしゃい!」


「こんばんは、おばさん」


 奥では父が新聞を読んでいた。


「……帰ったか」


「はい」


「こんばんは、おじさん」


 短いやり取り。


 だが、不思議と空気は温かい。


「で!?」


 母がソファから身を乗り出した。


「どうだったの!?」


「神崎さん!」


「母さん」


 雄一がすぐに口を開く。


「今日の件なんですけど」


「え?」


「やりすぎです」


 一瞬。


 母の動きが止まった。


「“え?”じゃないです」


「社長まで来てたじゃないですか」


「わ、私は本当に、“神崎さんに少しだけ雄一を接客させてもらえないかしら”ってお願いしただけなのよ!?」


 慌てたように言い返す母に、雄一は一度視線を落とした。


「……僕に頭まで下げてくれました」


「……え?」


 母の表情が固まる。


「隠し通せる事じゃないので」


 一呼吸。


「全部話しました」


「実家の事を」


 その言葉に、母が息を呑んだ。


「……神崎さんに?」


「はい」


 裕也が苦笑混じりに口を挟む。


「流石にあれは隠せないですよ」


「神崎さん、完全にフリーズしてましたし」


「あぁー……」


 母が額に手を当てる。


「完全に裏目に出ちゃったじゃない……」


「……でも」


 雄一が母を見る。


「僕の事を考えてしてくれたのは分かっています」


 一拍。


「そこは、ありがとうございます」


「……っ」


 母が口元を押さえた。


「雄一……」


 じわっと目に涙が浮かぶ。


「本当に、いい子に育ってくれて……」


「母さん、大袈裟です」


「だってぇ……!」


 半分泣きながら笑っている。


 すると。


「……私たちは」


 父が新聞を畳んだ。


「最高の息子に恵まれたな」


「父さんまで……」


 雄一が困ったように眉を下げる。


 その様子を見ていた裕也が吹き出した。


「この家族、いつもこのノリだな」


 ケラケラ笑う。


「裕也君!?」


「いや、でも本当じゃないですか」


 肩を揺らしながら続ける。


「仲良すぎて、見てるこっちが照れるレベルですよ」


「そんな事ないわよ!」


「ありますって」


 裕也が笑い、張り詰めていた空気が少し緩む。


 雄一も、ようやく息を吐いた。


「それで?」


 涙を拭いた母が、今度は優しく笑う。


「神崎さん、どんな子だったの?」


 空気が変わる。


 叱責でも謝罪でもない。


 ただの家族の会話だった。


 雄一は少し考え込む。


「……自然体な人です」


「へぇ?」


 母が興味深そうに目を細める。


「ちゃんと相手を見て話すし」


「仕事も丁寧でした」


「あと」


 一瞬迷ってから続ける。


「変に媚びないです」


 父が視線を上げた。


「ほう」


「普通、途中で態度変わると思うんです」


「実家の事が分かったら」


「……」


「でも、美咲さんは最後まで普通でした」


 驚いていたのは分かった。


 動揺もしていた。


 それでも。


 必要以上に距離を詰めてくる事もなかった。


 逆に避ける事もなかった。


 ただ、変わらず接してくれた。


「それに」


 雄一が続ける。


「仕事が好きなんだと思います」


「分かるの?」


 母が興味深そうに聞く。


「見てたら、なんとなく」


 服を選ぶ時。


 説明している時。


 楽しそうだった。


 客を喜ばせたい。


 そんな気持ちが自然に伝わってきた。


「なんか、いい子そうねぇ」


 母が嬉しそうに笑う。


「はい」


 即答だった。


 裕也がニヤつく。


「無自覚で評価上げてくなぁ、お前」


「……そう?」


「そう」


 即答。


 母も笑いを堪えている。


「じゃあ雄一は、その子の事どう思ってるの?」


「え?」


「恋愛的な意味で」


 直球だった。


「母さん」


「だって気になるじゃない」


 雄一が言葉に詰まる。


 裕也も今度は茶化さなかった。


 少し真面目な空気になる。


「……正直」


 雄一がゆっくり口を開く。


「まだ分からないです」


「うん」


「でも」


 一拍。


「また会いたいとは思ってます」


 母の目が細くなる。


「一緒にいると落ち着くし」


「気を遣わないですし」


「……あと」


 少し迷う。


「笑ってる顔、好きです」


 一瞬。


 空気が止まった。


「……おぉ」


 裕也が思わず声を漏らす。


 母は完全に口元を押さえている。


 父だけが静かだった。


「……なるほど」


 短い言葉。


 だが、妙に納得したような声だった。


「ただ」


 雄一が続ける。


「僕、多分こういうの慣れてないので」


「恋愛として好きなのかは、まだ分からないです」


「それでいいんじゃない?」


 母が柔らかく笑う。


「最初から全部分かる恋愛なんて、そんなにないわよ」


「……」


「少しずつ、“一緒にいたい”が増えていくものだから」


 雄一は黙ったまま、その言葉を聞いていた。


 すると。


「……だが」


 父が低い声で口を開く。


「ウチの事を知ったら」


 一拍。


「媚びるか、逃げるか」


「どちらかになる」


 静かな声だった。


「普通なのは、いい」


「まあ」


 父が視線を落とす。


「まだ、ウチの事を知らないだけかもしれないがな」


 母の表情が少し曇る。


 それは、この家が何度も見てきた反応だった。


 近づいてくる人間。


 怯える人間。


 変わってしまう人間。


 雄一も、それを知っている。


 だからこそ。


 普通に接してくれた美咲が、嬉しかった。


「……それでも」


 雄一が答える。


「多分、美咲さんは大丈夫だと思います」


 父がゆっくり雄一を見る。


「ほう」


「なんとなくですけど」


「……そうか」


 父はそれ以上聞かなかった。


 ただ、小さく頷いていた。


 その横で。


 母がふっと笑う。


「雄一、かなり気になってるわね」


「……」


 否定しない。


 それだけで十分だった。


 裕也が吹き出す。


「いやー、お前がここまで誰かの話するの初めて見たわ」


「そう?」


「そうだよ」


 裕也が笑う。


「この家族、全員ちょっと浮かれてるし」


「裕也君!」


 母が抗議する。


 だが。


 誰も否定はできなかった。


 リビングには、穏やかな空気が流れていた。

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