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一話

 俺はモテない。


 それも、どうしようもなく。


 身長は無駄にあるくせに猫背で、体はガリガリ。前髪は目にかかっているし、メガネも似合っていない。服は機能性だけで選んでいるから、色味もシルエットも全部ちぐはぐだ。


 会話も面白くない。


 ――ただし。


 仕事だけは、別だ。



「この数値ですが、もう一段詰めることは可能でしょうか?」


 落ち着いた低い声が、会議室に静かに響く。


 視線を上げると、神崎さんがこちらを見ていた。


 四十代後半。整った顔立ちに、無駄のないスーツ。

 白髪が少し混じった短髪は、むしろ渋さを際立たせている。


 声も仕草も無駄がなく、それでいて威圧感はない。


 ――いわゆる、イケオジ。


 うちの会社でも有名で、来社する日は受付や若手社員が妙にそわそわしている。


 その神崎さんの隣には、うちの課長と営業担当が座っている。


 視線が、自然とこちらに集まる。


「はい。母数が想定より増えているので、この部分をこう調整すれば――」


 俺――佐々木雄一は、資料にペンを走らせながら説明する。


 話している間だけは、不思議と迷いがない。


 言葉が詰まることもない。


「……なるほど」


 神崎さんが小さく頷く。


「このラインであれば、現場への負担も抑えられそうですね」


「はい。問題ないと思います」


「いいですね」


 そこで一度、視線が上がる。


「やはり、佐々木君は信頼できますね」


「……ありがとうございます」


 課長が横で満足そうに頷いている。


 俺は軽く頭を下げる。


 褒められることには慣れている。


 でも、その後の雑談には入れない。


 それも、いつものことだ。



 会議が終わり、課長と営業が席を立つ。


 俺も資料をまとめて立ち上がろうとしたところで――


「佐々木君、少しよろしいですか?」


 神崎さんに呼び止められた。


「はい」


 自然と背筋が伸びる。


 部屋には、俺と神崎さんだけが残った。


「……以前もお話ししましたが」


 少しだけ間を置いて、神崎さんが言う。


「佐々木君、ウチの娘と会っていただけませんか?」


 敬語だった。


 立場は向こうが上なのに、柔らかい。


 ――そして、この話は初めてじゃない。


 これで三回目だ。


「すみません……その、俺はちょっと……」


 やんわりと断る。


 最初は冗談だと思った。


 二回目で、本気かもしれないと思った。


 でも三回目ともなると、さすがに困る。


「そうですか」


 神崎さんは、あっさりと引いた。


 無理に押してこない。


 でも――


 それが逆に、断りづらい。


「……あの子ですね」


 ふと、視線を落として言う。


「男は寄ってくるんですが」


「……はあ」


「うまくいかないんですよ」


 そこで一度言葉を切る。


「中身を見るタイプでして」


 意味は分かる。


 でも、それがなぜ俺に繋がるのかは分からない。


「もちろん、無理にとは申しません」


 そう言ってから、少しだけ微笑む。


「ただ、佐々木君のような方と一度話してみてほしいと、そう思いまして」


 丁寧で、でも真剣な声だった。


 冗談ではない。


 本気だ。


「……もしよろしければ、連絡先だけでも交換していただけませんか?」


 そこまで言われて、断る理由がなくなった。


「……分かりました」


 俺はスマートフォンを取り出した。



 それから数日後。


 知らない番号からメッセージが届いた。


『はじめまして。神崎の娘です』


 一瞬、手が止まる。


 丁寧な文面。


 でも、どこか距離が近い。


 やり取りは、思っていたより普通だった。


 変に踏み込んでこない。

 でも、ちゃんとこちらの話を聞いてくる。


 気づけば、自然に続いていた。


 数日が、あっという間に過ぎる。


『もしよければ、一度お会いしませんか?』


 その一文を見たとき、少しだけ迷った。


 でも。


 ここまで来て断るのも、違う気がした。


『分かりました』


 そう返した。



 当日。


 鏡の前で、俺はため息をつく。


 紺のジャケットに白シャツ、黒のスラックス。


 手持ちの中では一番マシな組み合わせ。


 でも、似合っていない。


 サイズも、雰囲気も、全部が少しずつズレている。


 “頑張ってる感”だけが浮いている。


(……やめとけばよかった)


 そう思いながら、家を出た。



 店の前で、足が止まる。


 見覚えがあった。


 ガラス張りの外観。

 シンプルなロゴ。

 落ち着いた高級感。


(……ここ、テレビで見た店だ)


 確か、特集で取り上げられていた。


 予約が取りづらい有名店。


 料理も、空間も、一流と評されていたはずだ。


 そんな場所に――俺が来ていいのか?


 答えは、分かっている。


 場違いだ。


 それでも、来てしまった。


 逃げるわけにはいかない。


 扉を開ける。



 店内は静かだった。


 でも、無音じゃない。


 低い会話、グラスの音、控えめな音楽。


 全部が混ざって、“整えられた空気”を作っている。


 照明はやや暗く、テーブルごとに柔らかい光が落ちている。


 その空間に、俺だけが浮いている気がした。



 そして――


 彼女を見た瞬間。


 理解した。


(……無理だ)


 レベルが違う。


 同じ世界の人間じゃない。


 彼女は、そこにいるだけで完成されていた。


 背筋は自然に伸びていて、無理がない。


 長い髪はゆるく巻かれ、光を受けるたびに柔らかく揺れる。


 黒のワンピースが、そのスタイルを際立たせている。


 余計な装飾はないのに、目を奪われる。


 周囲の客が、無意識に彼女を見ている。


 それが当たり前のように。


 きっと――


 歩けば見られる。

 話せば惹かれる。

 選ばれるのが当たり前。


 そういう人生を生きてきた人間だ。


 俺とは、前提が違う。


 生きている“層”が違う。


 ――別世界の人間。


 そうとしか思えなかった。



 なのに。


「あ、来た」


 彼女は、俺を見て笑った。


 迷いなく。


 まっすぐに。


「……やっと会えた」



 その一言で。


 何かが、静かに狂い始めた。

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