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後編

 広場を埋め尽くす犇く人魚。

 断罪を叫ぶ声が巻き起こす喧騒の中、その声は他の全てをかき消すように響いた。


「やめて! お願い……娘を殺さないで!」

「この子は私達の大切な娘なんだ!」

「お姉ちゃん!!」


 その声に、周りの人魚は驚いた。

 この『魚人』を庇う者がいたのか、という驚きだった。


 庇う者達は魚人の家族だった。


 家族にも仲間にも見放された『魚人』。

 その存在が消えたとしても悲しむ者はいない。

 それが今まさに罰を受けようとしている者への認識だったが――。


 仲間である美しい人魚達が家族を想い泣き叫ぶ姿に、『償え!』と断罪を叫ぶ声は小さくなっていった。


 戸惑い。


 狂気のような熱気に包まれていた広場には、明らかに『迷い』が生まれていた。


 ――だが、時は待たない。


 迷いの答えを、考える猶予など与えられなかった。

 有罪の鐘が鳴り、構えられる槍。

 目を閉じ、断罪を受け入れる人魚。

 見守る無数の瞳――。


 そして、槍は、音も無く、鱗に覆われた小さな胸を事もなく通り抜けた。


 口を開く者は誰一人いない。

 鐘の残響だけが空しく響いた。


「あ……あっ……いやああああああああああ!!!」


 彼女の母の悲鳴が木霊した。


「お姉ちゃん……」


 その傍らには、妹が母に寄り添うようにして涙を流していた。

 父は拳を握り締め、歯を食いしばり、涙していた。


 その光景を目の当たりにして、広場の静寂は、より深さを増した。


 本当は……ここにいた全ての者が、彼女は『罪なき者』だと知っていた。

 だが、美しさに誇りを持っている人魚は、醜い『魚人』と呼ばれた少女が自分達と同じ種族であるという事実が許せなかった。

 だから侮蔑を混めて、お前は人魚ではないという意味を混めて、『魚人』と呼んだのだった。


 彼女は紛れも無く、疎ましい存在だった。

 処刑ということを聞いて『清々する』と思った者がほとんどだった。

 当然、処刑に反対する者もいなかった。


 だが今、彼女を愛する『家族』がいたことを、彼女を愛している者がいたことを思い出した。

 こうやって、彼女の死を悼む姿を目の当たりにすることで、思い知らされた。

 姿は違えど、彼女も自分達と同じ『人魚』だったのだと。


 罪無き同胞を殺したという罪を、一族で背負うことになった瞬間だった。


 誰もが後味悪く、彼女の遺体から目を背けていた。

 彼女を見ていたのは彼女の妹だけだった。

 ゆえに、『それ』に気がついたのは彼女だけだった。


「あれは、何……? あれは……お姉ちゃん、なの?」


 妹の声を拾った観衆が、哀れな亡骸があるはずの場所に目を向けた。


 その場所には、異変が生じていた。


 魚人と呼ばれていた人魚の亡骸は、虹色の光に包まれていたのだ。

 光は徐々に小さくなり、光が消えると――。


 彼女の姿は全く『別のもの』になっていた。


「あれは……『人魚』だわ」


 観衆の誰かがぽつりと零した。


 魚人と呼ばれた少女には無かった人と同じ上半身に魚の下半身。

 海にはない炎のような真っ赤な髪は海原のよう広がり、波打っている。

 その波に乗って虹色の艶が輝いていて誰もが目を奪われた。

 肌は透き通るように白く、魚の下半身は深海を思わせる濃い碧から、海から見上げた空を思わせる薄い碧のグラデーションになっていて美しい。

 鱗の一枚一枚に輝く艶があり、光を放っている。

 瞬きは無く、うっすらと開けられたままの瞳は澄んだ晴れの海のような蒼。

 七色光る透明の羽衣が彼女を包むように揺れていた。


 その姿は、美しい人魚達の誰よりも美しかった。


 見る者全てが悟った。

 彼女は『特別で尊い人魚』なのだと。


 胸には元はただの石だったと思えない、黄金の石が輝いていた。

 そして、未だに無機質な槍は、彼女の胸を貫いたままだった。


 それは、『美しい人魚の死体』だった。


 処刑人は思わず槍を握っていた手を離し、後ずさった。

 自分がとても恐ろしいことをしてしまっている、と悟ったからだ。

 観衆も同じだった。

 我々はとんでもないことをしてしまった、と。


「『醜い人魚は呪いの成れの果て』というが…………もう一つ話がある」


 観衆の誰かが呟き始めた。


「過酷な運命を背負わされた醜い人魚は、誰よりも美しい高貴な血をひいた『上に立つ者』であったという。未来を切り開くことで本来の姿を取り戻し、一族を繁栄に導いたと……」


「そんな話、聞いたことがないが」

「……今は廃れた、とてもとても古い話だよ」

「そんな……。じゃあ、あの子がその高貴な血をひいた人魚だったっていうのか!? その話を知っていたなら……我々は!!」


 ――彼女を魚人だと迫害することはなかった?


 いや、その話を知っていても、きっと同じ結末だっただろう。

 誰も口にはしなかったが分かっていた。

 問題は『古い話を知っていたか』ではない。

 人魚達の心だ。

 たとえ姿が醜くても、思いやりの心さえあれば彼女がこんな不幸な結末を迎えることはなかった。


 誰もが自らの罪に苛まれていると、美しい特別な人魚の死体に変化が起こった。

 彼女から光の泡が零れ始めたのだ。

 次第に彼女自身が泡となり、少しずつ姿が消えていく……。

 彼女の家族も、観衆も、ただそれを見守ることしか出来ない。


 とうとう、彼女の全てが光の泡となって消えてしまった。

 広場の視線が集まる場所は、(から)の空間になっていた。


――その時。


 辺りが一気に暗くなり、黒い靄のようなものが立ち込め始めた。

 灯り海月は姿を消し、空の空間を中心に靄が生まれ、四方へ広がった。

 やがて靄はゆっくりと渦になり、国中を覆い包んでしまった。


「これは……なんなんだ!?」

「きっと、海の神がお怒りなのだ! 彼女はきっと海の神の愛娘だったのだ!」

「ごめんなさい!! …許して!!」

「神よ……お許しください!」


 許しを請う叫び声。

 混乱と恐怖が生み出す絶叫、怒声。

 幼い人魚の涙。

 逃げ惑う人魚。


 アクアラグーンは、黒い靄と共に混沌に包まれていた。




  * * *




「これは…………?」

「出過ぎた真似をしてしまったかもしれません。まずは謝罪させてください」


 目の前には魔法使いのあの黒衣の人。

 そして、自分が処刑された広場が映っている大きな姿写しの鏡。


「貴方のことが心配で、その『竜の飾り』を使って様子を見ていたら、あのようなことが行われていたいたので、つい……」

「この飾り? あなたが助けてくれたのですか?」

「その飾りは貴方の危険を察知します。監視するようで失礼なことは分かっていましたが、貴方の過酷な状況が気がかりだったので……」


 人の方に目を向けると、彼は黒衣を脱いで私の肩に纏わせ、胸元を隠させました。


「失礼。今の貴方の姿は、人である私には刺激が強すぎますので」


 そう言い、微笑みました。


 ――そう、微笑んだのです。

 黒衣を取ったことにより、彼の顔がはっきりと見えました。


 彼は人魚の国で美しいものを見慣れている私から見ても『美しい人』でした。


 漆黒の髪に、強い意志を灯した空のような蒼い目。

 凛とした清廉な空気を纏いつつも、穏やかな微笑み。

 彼の瞳に自分が映っていると思うと、胸が高鳴ります。

 私は思わず息をのむほど見惚れてしまいました。


「まさか昨日の今日でこうなるとは思っていませんでしたが……約束通り、美しくなった貴方に会いにきました」


 そう言われ、自分の姿を見ました。

 広場を写していた鏡に映っていた通りの姿。

 手には一枚も鱗は無く、足は魚の下半身。

 真っ赤な髪に、胸元の黄金の石。

 魚人と言われていた頃の面影は一切無い、どう見ても『美しい人魚』でした。


「これは……? 貴方が私を変えてくれたのですか……?」

「まさか! それは貴方の力です。貴方の心に石が反応し、貴方を『始祖人魚』の姿に変えたのでしょう」

「始祖人魚?」

「私の調べでは、醜い姿で生まれた人魚は、先祖還りを起こしているということでした。悪しき心を抱いたまま育てば海を呪う『深海魔女』に、清き心を抱いていれば『始祖人魚』になるということでした。貴方は見事、始祖人魚になりましたね。始祖人魚はすべての生物の中で最も美しいと言われており、海の王達の寵愛を一身に集める存在です。貴方はこれから輝かしい未来を進むことになるでしょう」


 そう言われても……何も分かりません。

 これが現実かどうかも分かりません。


「私は処刑されて死んだのではないですか?」

「いえ。槍が貴方を貫く直前に、私がここにお連れしました。あの広場での貴方は、私が見せている幻影です。ここで変化を始め美しくなった貴方を見て、彼らにはいかに自分達が罪深いことをしたか思い知らせるために貴方の幻影を見せ、自分達が起こした過ちのせいで天の怒りをかった、というふうに思い込ませる演出をしました」

「演出? もしかして、あの黒い靄もあなたが?」

「はい。…………少しやりすぎましたか?」


 再び、鏡を覗きます。

 そこには泣きながら逃げ惑う子供達も見られました。

 酷い仕打ちを受けた大人達はともかく、子供達がおびえる姿は見ていられません。


「…………もう、十分です」

「そうですか。貴方はやはりお優しい。私などは貴方がいわれなき罪を被せられているのを見て、もっと酷いことをしてやろうかと思ったのに」


 彼はそう苦笑いしながら、木の棒をふりました。

 すると、黒い靄はたちまちスッと消えて無くなりました。

 靄は深く国中を覆っていましたが、建物が壊れたり、誰かが傷ついていたりすることは無く、何もかもが無傷でした。


 凄い…………。


 鏡に映っている人達はみんなきょとんとしています。

 呆然と立ち尽くす妹と両親の姿もありました。


 暫くそのまま時が止まったかのように誰もが動けずにいましたが、神に感謝するように祈りを捧げる姿が見られるようになりました。

 悔いているのか、懺悔をしているような様子も見られました。


「……彼らも少しは反省したようですね。どうしますか? 皆、貴方は死んでしまったと思っていますが…………戻りますか?」


 彼に優しく問われ、考えました。


 この姿で家族の元に戻ったら、きっと喜んでくれるでしょう。

 国の人達の罪悪感も和らぐはずです。

 ですが私は、今は戻ることに躊躇しました。


「申し訳ありません。私がやったことで、戻りづらくなってしまいましたか?」


 私の反応を見て、彼は私の躊躇いを感じ取ったようです。

 ですが、躊躇いの理由は外れていました。

 彼のせいではないのです。

 いえ、ある意味彼のせいかもしれません。


 これを口にすることには、勇希がいりますが……思い切って言ってしまいます。


「違うのです。貴方と出会って、私は世界が広いことを知りました。だから……このままこの国を出て、色んな世界を見て見たい、と思ってしまったのです……」

「なるほど」


 自分の思いを告げた私に、人はにっこりと微笑みながら頷きました。


「では、私が貴方に世界を見せてあげましょう」


 その言葉はあまりにも気軽に放たれ――すぐには理解できませんでした。


「…………え?」


 こんなに私に都合の良いことばかり起こるのが信じられません。

 ……本当に?

 あまりにも嬉しい言葉を、私は信じる事が出来ず呆然としてしまいました。


「それは……あなたが私を連れて行ってくれるということですか?」

「ええ」

「本当に?」

「私は『偽りは話さない』と以前申し上げたはずですが」


 彼のとびきりの笑顔を見て、『本当なのだ』と分かりました。

 私の胸は一気に高鳴りました。


「嘘ではないのですね! ありがとうございます!」


 思わず彼に飛びついてしまいました。

 すると、かけてくれた黒衣が肌蹴てしまったのですが、彼は苦笑しながら再びかけなおしてくれました。


「……困りましたね。貴方にはまず、服を着ていただかなければ私は大いに困ります」

「すみません! ……服、ですか。人が身につけているものですね! 着たいです、服!」


 まるで夢のようです。

 幸せすぎて怖いです。

 本当はこの人は悪い人なのではないか、と疑いたくなってしまう程です。


「私に何かついていますか?」


 じいっと見ていると不思議がられてしまいました。


「いえ、あまりにも良いことが起こったので怖くなって……。本当はあなたは悪党なのではないかと……」


 正直にそう答えると、人は大きな声で笑い出しました。


「確かに、今の貴方は連れ去りたいほどに美しいですよ」


 そんなことを言われたのは初めてで、顔が熱くなってしまったのが自分でも分かりました。

 人も私が赤くなっている事が分かったようで、くすくすと笑っています。

 とても恥ずかしいです。


「では、参りましょうか」

「あ、少しだけお時間を頂けませんか?」

「ええ、結構ですが……何か持って行きたい物でも?」

「いえ、家族にお別れを言いたいのです」

「……そうですか。では、ご家族の元に貴方を送りましょう」


 そう言い、人が木の棒をふると、私は一瞬のうちに自分の家にいました。

 そして、両親と妹の姿を見つけました。


 三人は肩を寄せ合って泣いていました。

 きっと、私の為に泣いてくれているのでしょう。

 申し訳ないような、嬉しいような、熱い想いで胸がいっぱいになりました。


「ごめんね」


 そう呟きました。

 すると、声に気がついた三人がこちらを見ました。

 そして、こちらを見たまま、固まってしまいました。

 亡霊か、と思われているのでしょうか。

 それともこの姿だと、私だと分からないのでしょうか。


「……お姉ちゃん?」


 妹が気づいてくれました。

 縦に首を振って頷くと、彼女は凄い速さで私に目掛けて突進してきました。


「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」


 私にしがみついて泣く妹を抱きしめます。

 その後ろでは両親がいました。


「本当に、あなたなの?」


 もう一度頷くと、今度は母が飛びついてきて私に縋り、泣き始めてしまいました。


「ごめんね! ごめんね!」

「もう母さんの『ごめん』は聞き飽きたよ」


 そう言うと母は目を見開き、驚いた後に微笑みました。


「そうね、ごめんね」

「あ、また言ってるわよ、お母さん」


 妹に注意され、微笑む目にはまだ涙が溢れています。

 父は何も言わず私を抱きしめました。


「おかえり」


 この言葉を言ってくれた父の優しさに、私も涙が込み上げてきました。


「ただいま」


 私達は家族で抱き合ったのです。



 * * *



 その後、私は自分の身に起こったことと、これからのことを家族に話しました。

 起こったことには皆驚き、反応は一緒でした。

 けれど、これからの事については反応が様々でした。


「いいじゃない! 素敵だわ! 私も身体が丈夫だったら、一緒にいけたのに」

「正直に言うと反対だけれど……母さんは、あなたが選んだ事なら応援するわ」

「絶対に駄目だ。人の、しかも男について行くだなんて!」


 反対する父さんを暫く説得したけれど、中々賛成してくれず……。

 結局、母と妹が「説得しておくから行きなさい」と送り出してくれることになりました。


「じゃあ私、行ってくるから」

「たまには、顔見せに戻ってきなさいね」

「お土産お願いね!」

「分かった」


 父さんがまだ後ろで文句を言っているようですが、母さんに阻まれて動けないようです。

 家族とこんなに心から笑いあえる日がくるなんて、夢のようです。

 離れるのは少し寂しいけど、私は旅立っていろんなことを見てこようと思います。

 そして、必ず帰ってきます。


「いってきます」


 そう言うと、私の背後に赤い光が現れました。

 彼が現れるときのあの光です。


 そしていつも通りに、彼は現れました。


「別れは済みましたか?」

「ええ」

「では参りましょう」


 人から伸ばされた手を取り、彼の元に向かいます。

 彼は私を引き寄せ、抱きとめてくれました。


「では、娘さんをお預かりします」


 後ろで、父さんが騒いでいるのが見えます。


「あらあら、まあ! こちらこそ、どうぞ娘をよろしくお願いします」

「人間の王子様に連れ去られる、人魚のお姫様のようよ、素敵! お姉ちゃん、いいなあ」


 彼が木の棒を振ると、私は光の中に消えました。

 そして、深海の人魚の国から、旅立ったのです。


 赤い光に包まれ、移動しているのが分かります。


「怖いですか?」

「いいえ、全く」


 ちっとも怖くなんてありません。

 これからは、広い世界が私を待っているのです。

 光が開けた先には、海よりも広い空が広がっていました。


「綺麗……」

「感動するのには早いですよ。これから、もっと色々なことが貴方を待っているのですから」

「そうですね」


 これからそう……私は、世界を見る人魚になるのです。


 長かった闇を抜け、私の未来は光り輝いているのです。





 大陸一の魔法使いが、世界一美しい始祖人魚を連れて世界を駆け巡る話は、また別のお話--。








読んでくださり、ありがとうございました。

ご意見、ご感想、評価など頂けると嬉しいです。

いつか後日談でも書きたいなあ。

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