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金森は、立ち上がった。壁から背を離し、まっすぐに。
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俺は長い間勘違いをしていた。何も知らずに、何が正解かもお構いなしに生きてきた。どうせ、考えたって分かりはしないんだ、って思ってたから。まあ、実際問題、何が正しいかなんてのは分かりっこないんだけどさ、でも、目的を持って生きてくためには、強く生きてくためには、その答えを出さないといけないんだ。少なくとも、自分が全身全霊で信じられるような答えを。どこかで“自分”ってのを決めないと、それ以上前には進めないんだ。自分が存在してることの拠り所を決めないと。ほんの小さな雪の結晶だって、核がなければああいう形にはならないように、俺がこのまま前へ進もうとするなら、きっと俺の正体がなくなるぐらいに押しつぶされて、二度と元に戻れなくなるような気がする。
あるいは、俺は、自分のことを軟体動物のように、どれだけ姿を有耶無耶にされたって、行き着く先々で上手く適応していけると思っていたのかもしれない。今まで、そうやって生きてきたんだから。新しいところへ行くたびに、それまでの自分を忘れ去って、そのたびに新しい自分の形を、受動的に組み立ててきた。我を押し通して、相手から拒まれるのを怖がってた。自分のあり方に責任を持つことから逃げてきた。
別に、それだって間違ってる訳ではないだろうね。そうやって生きてる奴だっていくらでもいるし、それでも世の中は回ってるんだから。でも、少なくともそうやってる以上、俺は同じ水圧のところで、同じことを繰り返すしかないし、何も得られない。何かの手違いでもない限りは。
その手違いが、起きたんだ。俺に。俺はもう、全くの無知ではなくなった。もう、愚かなぐらいの無欲ではいられなくなった。自分の可能性を自覚せずにはいられなくなったんだ。どれだけ自分が空っぽかってのを知った時、俺はそこを一杯に埋めてやりたいと思った。そうしないと俺は外から簡単に押しつぶされるだろうし、何より、寂しかったから。
もう、後戻りはでいないと思う。俺は満たされたいんだ。切実に。今まで自分の中にあったのは、ただの幻影でしかなかったんだから。もう、それだけじゃ満足はできなくなったんだ。もっと輪郭があって、重みがあるものが欲しい。それに温かみがあれば言うことはない。まあ、そこまで贅沢は言えないだろうけれど。
……俺の我儘はそれだけじゃない。俺は、自分が満たされるのと同じぐらい、どこかを満たしていたい。ほんの小さな隙間にも入り込んで、何かの支えになっていたい。あるいはそれが、余計なおせっかいだったとしても。
俺はもう、その欲求を、それが満たされることの悦びを覚えちまったんだ。俺は、それを抑えられるほど強くなかった。本当のことを言えば、もう何もやせ我慢はしたくないんだ。それを、寸前のところで理性が押しとどめてる。でも、そのパワーバランスはいつ崩れたっておかしくない。
……一体、どうすればいい?
正直、どうしたらいいか分からないんだ。俺は今まで、こんなことで真剣に悩んだことがないんだ。言ったろ? 俺は何も成長しちゃいない。何も経験しちゃいない。はっきり言って、今、やっと、第一歩を踏みだそうとしてるんだ。俺はどうすればいい? ねえ、教えてくれよ、どっちの足から上げればいい? 何を見て進めばいい? どっちに行ったら?
俺は、おれは、怖いんだ。何も前が見えなくてさ。うん、今までだって、何も見えちゃいなかった。知ってる道を、行ったり来たりしてるだけだったから。でも、もうそういうわけにはいかないんだよな。ああ、誰かに手を引いてもらいたよ。前に立って、何があるのか教えてくれるだけでもいい。横にいてくれるだけでも-
分かってる。自分で、やんないといけないんだろ。みんな、そうやってがんばってるんだろ。ああ。やるよ。第一、誰も俺にかまってるほど暇じゃないだろうしね。
いや、でも、そう、叱ってくれるだけでもいいんだ、俺が、間違った方向へいこうとしてたら。俺がまた、その場しのぎのことをしようとしたら、そんな俺を全否定してくれるだけでも、きっと俺は救われるんだ。今、誰も、俺を引き止めてくれる奴がいないような気がするから。
……俺はずっと勘違いをしてきたんだ。今まで、自分だけでやってきたように思ってた。少なくとも、人一倍、ものを考えてると思ってた。でもそうじゃないんだ。俺は考えてただけだった。何も決めてこなかった。
俺は、これまでどれだけのことをしてこれたんだろう。注文された分だけの恩は売ってきたとは思うよ。貸しだって随分作ったと思うんだけどさ、さっきも言ったとおり、俺は自分だけで今までやってきたように思ってたんだ、かなりの部分。ってことは、俺は、それだけ知らないうちに踏み倒してるんじゃないのか、って、今になって怖くなってるんだ。そんなの、最低じゃないか。それでまた助けて欲しいなんて、虫がよすぎるだろう。
ああ、どんだけ馬鹿なんだろうな。確かめようにも、確かめようのない相手だっていくらでもいるのに。
結局、方法は一つしかないんだ。




