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a.m.7:30-8:10  作者: 春井 武修
Re;二学期
46/95

強いこと

  時同じくして……


 篠原は、校門の端で、ケータイを片手にその画面を眺めながら、待ちぼうけをしていた。待ちぼうけ……彼はまだ、それが待ちぼうけであることを知らないが、彼がそれを知らないで、こうして十二月の寒空の元、やって来ることのない花田を待ち続けている限り、それは待ちぼうけなのであった。

 時刻は、3時40分。つい五分前まで保健室の前で花田が出てくるのを待っていた彼は、しびれを切らして保健室の戸を開けたが、そこに花田の姿はなかった。その時点で、彼は花田が自分のことを忘れて先に帰ったんじゃないかとうすうす思ってはいたが、だからと言ってそのまま黙って帰るほど強情でもないのだった。


 そういう訳で、彼は校門の端で、冷たい北風に吹かれながら、つながらない電話を掛け続けているのだった。


 しかし、彼は既に決めていた。3時50分をケータイの画面の時計が刻んだ時には、もう帰ってしまおうと。


 彼は空を見上げた。冬らしい澄んだ青空ではあったが、この昼下がりとも夕方とも言い難い頃合いにあっては、傾きかけた日の光が、使い古した蛍光灯のように、やけに暗い白色を投げかけている。平和な一日だった。篠原は思った。もし花田がいなかったなら。

 こうして空を眺める篠原に、悩むべき事は何もなかった。解決すべき問題が何もないというのではなかったが、それらはどれもてんでんばらばらで、彼の頭を悩ませるほど収斂されたものではなかった。今のところは、どれも遠くで起こっている出来事に過ぎなかった。

 それと全く同じ要領で、彼には喜ぶべき事もほとんどなかった。このまま気を抜いていたら、気づいたときには年が明けていたなんてことも十分にありそうだったし、その方がよほど楽なような気もしていた。


 ケータイの画面に顔を下ろすと、時刻は、3時48分。彼は、両方の足首を順番に回して、ひと思いに歩き出す準備を始めた。既に、花田が来ないだろうという事は確信に変わっていた。あと一分と数十秒をそれでも待つのは、むしろ自分に対する義理でしかなかった。


「あれ、篠原君?」


 あと三十秒というところで、篠原は、不意に声を掛けられた方に顔を向けた。

「あ、中里さん……もう帰るんだ。部活は?」

 中里は、篠原の横まで自転車を押して、立ち止まる。

「うん、今日はオフだから。篠原君は、誰か待ってるの? 珍しいね」

「あー、いや、あと五秒で誰も待ってないことになるんだけど」

「?」

 篠原は、ケータイの画面を見つめて、三、二、一、とカウントダウンをする。

「うむ、もう誰も待ってない」

「えー、何それ?」

 半ば怪訝そうな顔を向ける中里に、篠原はなぜか照れくさそうにはにかみながら、ことの次第を説明する。

「アハハ、それで今まで待ってたの? ちょっと面白いんだけど」

 そう言って、中里は更に声を出さずに笑う。

「恐縮です。で、そう言うわけだから、駅まで、いいかな」

「うん、いいよ」

 中里は、特にどうもしないという顔で頷いて、再び自転車を押す両腕に力を入れ始める。篠原は、悟られないように酷く安堵しながら、中里の横に並んだ。しかし、歩き始めてすぐ、校門の前の信号に引っかかる。

「今日は、もうそのまま帰るの? それとも塾?」

 篠原は、中里と目が合うか合わないかのぎりぎりのところで顔を傾け、聞く。中里は、顔を前に向けたまま答えた。

「んー、今日はそのまま帰るよ。なんで?」

「いや、なんとなく」

 篠原がそう言って黙ってしまうと、信号待ちの残りの時間、二人の間に会話は絶えた。何台かのワゴンと一台のバイクが、二人の前を音を立てて通り過ぎていく。


「今日はどっちから帰ろっかな」

 信号が青に変わって、歩き始めたとき、中里はふと思い出したように言った。篠原は、例の角度で彼女の横顔をのぞく。

「と言うと、どっちとどっちがあるの」

「えっとね、この坂を下りた交差点を、真っ直ぐ行くか、左に曲がるか、かな。真っ直ぐ行った方が近いんだけど、曲がった方が、夕焼けが見えるから」

 中里の瞳が、僅かに空を仰ぐ。夕暮れには、まだ早い。

「なるほど。それは悩ましいね。……中里さんは、夕焼け、好きなんだ」

「うん。なんていうか……そう、やっぱりいいじゃん、夕焼けって」

「分かるよ。いいよね、夕焼け。疲れてる時でも元気づけられる気がする」

「うん」


 数歩の沈黙。


「じゃあ、朝焼けは?」

「朝焼けかぁ。いいと思うけど、やっぱり夕焼けの方が好きかな」

「そう? 僕は、朝焼けの方が好きだよ。うん、こっちも何でかってうまく言えないけど」

「そうなんだ。篠原君、朝早いもんね。朝焼け見れたら、今日も一日がんばれるとか、そういう感じ?」

「そうかもしれない。綺麗な朝焼けって、あんまり見られないから、その分綺麗なのが見られるといいしね」


 既に二人はいつもの下り坂を、半分近く下っていた。歌を一曲口ずさむのにも短いような坂である。篠原には、それがいつも以上に短く感じられた。そして、それが中里にも同じように思われていればいいとも思われた。

 二人がゆっくりと行き過ぎていく街路樹には、その一本一本にクリスマスシーズンの電飾が施されていた。まだそれが点灯し始める時間にはだいぶ早いが、日が暮れた後には、葉を一つ残らず落とした木々が、恥ずかし気もなく通行人の頭上でライトアップされる。悪趣味な話である。綺麗に飾り付けられた即席のツリーも、坂を取り囲む店々の前に立ち並んでいる。それだけのことである。


「ん、何かバッグから出てるけど」

 不意に篠原はそう言って、その“何か”を視線で示した。その先には、バッグのファスナーに引っかかったひもに、紺色の小袋がぶら下がっていた。

「ああ、それ、少し前にお母さんが買ってくれたお守り。わたし、あんまりこういうの好きじゃないんだけど。今から合格お守りなんてちょっと気が早いし」

「そう?」

「だって、自分ががんばった結果をこういうののおかげってことにしたくないから」

 そう言いながら、中里は視線をどこかへ逸らそうとする。

「強いね」

 篠原が口にしたのは、その一言だけだった。彼自身、もっとましな言いようがあっただろうにとは思ったが、しかし、咄嗟にはそれしか思い浮かばなかったし、結局の所それが適当な気もした。

「そんなんじゃなくて、頑固なだけ」

「なかなか、それができないもんさ」

「あたしだって、そんなにやり通せてるわけじゃないよ」


 数歩の沈黙。


「でも、いいと思うよ、そういうの。こっちはずっと妥協ばっかでやってきたからさ、その方が楽だけど、そのうち自分が分からなくなるんじゃないかって気がする時があるんだ」

「そうなの?」

「まあ、たまに。だから、そういうのって、少し羨ましいかな。でも、ちょっと疲れない?」

 一瞬、篠原の視界から、中里の横顔が消えた。彼が振り返ると、中里は一歩後ろのところで立ち止まっていた。

「別に? 自分で選んだことだもん」

 力の籠もった口調で、中里はそう言い切って、そして再び歩き出した。その言葉に、棘は感じられなかった。あるいは、それは篠原に向けられたものではなかったのかもしれない。篠原は、そう言い切る彼女に、のんきな魅力を感じるだけだった。








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