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a.m.7:30-8:10  作者: 春井 武修
2月末
33/95

いろいろなこと

 一番乗りの教室は、一月前と比べれば、ひっそりとした空気がだいぶ和らいで、明るさが増しているように見えた。といっても、一ヶ月前の教室の様子なんて、思い出そうとしてもそうそう鮮明には思い出すことができない。あくまで、感覚的なものだ。

 時計は7時56分と57分の間あたりを指している。一番乗りの時間としては少し遅い。学年末のテストが終わって、皆気が抜けてしまったのだろうか。あまりそういうことが関係なさそうな永井さんもまだ来ていない。椎名さんももちろんまだだ。まあ、そういうこともあるだろう。

 自分の席に荷物を降ろそうとして、ふと、まだ机の並びがテスト用の番号順だったことを思い出す。担任の先生が、テストを返却するときに返しやすいようにと気を利かせているのだ。しかし、結局テスト返却は各自教卓まで解答用紙を貰いに立つのだから、それほど効果的かといわれると、―それは言わない約束である。この席順が続く間は、ゴリラと席を並べる必要もないのだし。

 改めて自分の番号順の席に行くと、机の足下に、食べ物のくずやら何かの包み紙やら、やたらとごみが散らかっていた。自分の胸に手を当ててみても心当たりはない。昨日の放課後に、誰かが僕の席の近くで派手に食事会でもしたのだろうか。特別怒りが湧くというようなこともなかったけれど、さすがにこのまま放っておいても外聞が悪い。やれやれ、と思いながら、黒板の右横にある掃除道具入れまで歩く。と、その掃除道具入れの頭の上(僕の頭より二十センチほど高い)に、何かが乗っているが目に入った。

 僕は、掃除道具入れの扉の取っ手に手をかけたまま、しばらくぼんやりと、そのティッシュケース大の直方体を眺めた。前にも、似たような光景があったような気がした。

 手を伸ばしてそれを降ろすと、手のひらでそれを掴んだ感覚だけでも、それが何か直観することができた。

「これは……花田の?」

 それは、いつだったか僕もそれを満たすことに貢献させられた、花田の賽銭箱形の貯金箱だった。あの時は気づかなかったが、その横長な面の一つには、「道は開ける」と、大盤振る舞いな文字で書かれていて、もう片方には、「浄財」と書いてある。余計なお世話だが、よく道理を示している。

 けれど、今僕が手に持っているそれには、もう一欠片の「浄財」も奉納されてはいないようだった。振ってみてもギシギシと木の継ぎ目がこすれる音しかしないし、賽銭箱というもののありがたみを足しても、片手に握られるそれは不気味なぐらい軽かった。

 花田はもう十円玉貯金を諦めたのだろうか。それとも、一杯まで貯まってから何かに使ったのだろうか。どちらにしろ、空っぽの貯金箱というのは安心感に欠けるものだ。預金通帳の残高に0が並ぶのとはまた違った心もとなさがある。

 それ以上その貯金箱には用がなかったから、その置き場所をどうしようかと迷ったけれど、やはりセオリーどおりに元あった場所へ戻すことにした。花田も見れば分かるだろう。

 そしてようやく当初の目的どおり、掃除道具入れから箒とちり取りを取り出したところで、一人の足音がやって来た。僕が扉を閉めるのと同時に、戸がごとごとと開く。


「おはよ、篠原君」

「あ、おはよう」

「あれ? 朝から教室のお掃除? えらーい」

 椎名さんは、微笑みながら、指先であしらうように言う。

「え? いや、そうじゃなくて、自分の席の周りが汚れてたから」

「あー、そういえば昨日、○○ちゃんの誕生日だったから、何人か女の子が集まって、篠原君の席の近くでお菓子たべてたよ」

「なるほど」

 なるほど。ありそうなことだ。そういうのもはた目で見ている限りはほほえましく見えないこともないが、こう後始末がお粗末では頂けない。

 もう一つ、誕生日と言われて何かが頭に引っかかった。知っている限りの知り合いの誕生日はまだ当分ないはずだけれど。

「手伝おっか?」

 そう言って、椎名さんは僕の持つちり取りに手を伸ばそうとする。

「ああ、いいよ。すぐ終わるから。そうそう、それよりも、椎名さんにお届け物が」

 林野の頼みをいつ言い出そうか見計らっていた僕は、少し不自然だったかもしれないが、箒とちり取りを小脇に抱えて、自分の鞄から例の封筒を取り出す。林野からだと言うと、椎名さんはすぐに諒解したようだった。

「ありがとう。なんだかごめんなさいね、ウチの部長が」

「うん、厳しく言ってやってくれるといいよ」

 椎名さんは、ウフフ、とわざとらしさ半分に笑いながら、手に取った封筒の中身を簡単に確認して、それをバッグにしまう。それを見届けると、僕は清掃作業に取りかかった。椎名さんも自分の机に向かう。

「そういえば、椎名さんもコンクール用に写真撮ってるの?」

「うん。今日も学校に来るまでに撮ってたの。ちょっと早めに家を出て、いつもの通学路とか、気になったところに立ち寄ったりとか」

「へえ。けっこう行き当たりばったりで撮ってるんだ」

「そーねー。あんまり待つのって好きじゃないのよ」

 椎名さんは少しすれたような口調で言う。返事をしにくい気がして、僕は適当に笑ってごまかした(つもりだ)。


「そうだ、椎名さんってさ、――さんのことって分かる?」

 掃除が終わって、道具を道具入れに返すときに、僕は、精霊さんの名前を椎名さんに問いかけた。彼女なら、何かこっちが知らないようなことを知っていそうな気がしたからだ。

「ん-、そういえばその子って、最近休んでるよね。風邪か何かだったと思う」

「え、休んでるの?」

 驚いてつい聞き返すと、椎名さんに怪訝そうな視線を向けられた。しまった、と思うが、もうしかたがない。

「休んでるのって、クラスメイトじゃない。気づいてなかったの?」

「えっと、普段あんまり関わりがなかったから、つい」

「ふーん。確かに――さんてあんまり人との関わりがないみたいだけどね。けっこう普段から欠席してるし。生まれつき体が弱いみたいよ」

「そうなんだ。知らなかった」

 たぶん、僕は何を聞かされても同じ台詞を返さないといけないだろう。

「そうなのよねー。私もあの子のことはあんまり知らないから。でも、どうして?」

「え? いや、別に」

 今更になって、僕は林野にも直接聞かなかったことを、なんとなく椎名さんに聞いてしまったことに後悔する。たぶん言わなくても分かるとは思うけれど、僕はごまかすのがあまりうまくないし、椎名さんはけっこうしつこい。

「もしかして、篠原君って――さんのこと気になるのー?」

 椎名さんは面白そうに聞く。まあ、気になっているには違いないが、おそらくニュアンスに決定的な違いがあるだろう。

「聞いてみただけだって。ほら、よく分からない人だから」

「へー。ま、そういうことにしてあげよっかな。本当に気になってたら学校に来てるかどうかぐらい分かるはずだしねー」

「あはは、そうそう……」

 まったく正論である。


「そうだ、届け物してくれたお礼」

 椎名さんは、ふと思いついたようにそう言うと、バッグからノートぐらいの大きさのタッパを取り出した。その中には、なにやら柔らかそうなものが入っている。

「これ、篠原君も一つどうぞ」

「えっと、それって?」

「まあいいからいいから」

 促されるままに、僕はタッパの中に並んだシフォンケーキのようなものの一つを、刺してある爪楊枝でつまむ。焦げ茶色の焼け目に挟まれたスポンジ地は、鮮やかなオレンジ色をしていた。

「それじゃあ、いただきます………これは……にんじん?」

 口の中で転がしたそれは、取れたてのにんじんをそのまま囓ったようなにおいを、口いっぱいに放つ

「正解。けっこう効くでしょ。今日高原君の誕生日だから、誕生日パーティーでみんなに食べさせてあげようと思って」

「なるほど」

 なるほど。高原君というのは、例の美術部五角関係騒動の中の、いわゆる椎名さんの「それ」である。彼はにんじん嫌いで有名……というのも、いつか椎名さんから聞いた話だ。

「そりゃあ高原も喜ぶだろうね」

「うふふー」

「とりあえず、ごちそうさま。いい出来だったよ」

「でしょ? けっこう自信作なんだー」

 そこで、僕と椎名さんの会話は終わった。椎名さんは、タッパをバッグにしまい直して、それと入れ替えに荷物を机へ入れる。僕もその様子を横目に、自分の準備をする。


「ねえ、金森君って、あれ、書いてくれてるかな」

 何かの用事があるのか、少し経ってから教室を出ようとした椎名さんは、前の戸に手をかけながら、こっちに振り返って聞いた。あれというのは、つまりあれのことだろう。

「ん、さあ、どうだろう。でも、何か新しいものが書きたいとは言ってた」

「そう」

 椎名さんは、いつものように笑顔をこちらに返してから、くるりと前を向いて、教室を出ていく。その可愛く丸まったボブヘアーが戸のガラス窓から見えなくなるのを、なんとなく見つめていた。


 教室には、再び僕一人になる。時刻は、8時10分。












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