覚悟
朝と同じく、私たちはゲートで皇宮へ行った。
皇宮───パレ・オルセールは先々代の皇帝が作らせた宮殿で、大聖堂と同じくバロック様式だ。ジェミネール邸はロココ様式なので内装もまるで違う。ルミエール大聖堂はノートルダム大聖堂、パレ・オルセールはヴェルサイユ宮殿に似ているので本当にパリ観光に来た気分になる。
「リリィ、この前言ったこと、覚えているね?」
「はい、お父様」
「いい子だ」
私は今、父と一緒に玉座の間の前にいる。皇帝夫妻に挨拶をするためだ。母と兄二人は会場の最終チェックを行っている。
この前、とは両親が私に星の聖女候補の話をした数日後のことだ。
その時、どうせ星の解読者はリリアなんだから、と私はどこか他人事のような気持ちでいた。私はアカデミー入学後、断罪エンドを回避するためにリリアや皇太子を避けて慎ましく過ごせばいい、と。けれど、それは平和ボケした甘い考えでしかなかった。
***
夕食後、父の書斎に行くと、父はどこか浮かない顔でソファに座っていた。私がその前に座るとメイドが紅茶を注ぎ出ていく。父の部屋には執事長のヴァルモンがいることが常なので、二人きりというのは珍しい。なにか深刻な話なのだと私は勘づいた。
「リリィ、お前が星の聖女候補だと言ったね」
「はい」
「私とエニラは意図的にそのことを隠していた。そしてリリィがなるべく家を出ないようにしていたんだ」
その言葉を聞いて私は納得した。私はジェミネール領より外に行ったことがない。確かに十歳までは正式に貴族と認められないとはいえ、帝都に遊びに行ったことさえないのは不自然だ。
皇帝の即位式やセラフィオンの入学式の時、カシエルは帝都に行ったが私は留守番だった。リリィは体が弱いから、と言われ、私は素直に従った。私が人より小さく生まれ、そのせいで何度か死にかけたのは本当のことだ。成長してからは健康だったが、兄たちに比べるとよく熱を出したし、両親が過保護になるのも無理はないと思っていた。私が本当に幼い子供だったら行きたいと駄々を捏ねたかもしれないが、中身は立派な大人なのだ。
「十歳になると社交界に出ることになる。もう家に閉じ込めて守るという方法は取れない。だから、リリィ自身で自分を守る必要がある」
守る、と言われても私はいまいちピンと来なかった。前世も今世も、誰かに狙われるような危険な目にあったことはない。けれど先の父の言葉から推測するに、今世の平和は両親の手によって作られたものらしい。
「現皇妃が、星座主の姪だというのは知っているね?」
父の言葉を要約すると、こういうことだ。
帝国は今、皇帝派と皇太子派で争っている。
皇帝ヴァレリウスは前皇帝の弟で、皇太子アストライオスは前皇帝の息子だ。ヴァレリウスはアストライオスではなく、自分の幼い息子を次期皇帝にしたがっている。
貴族の多数は皇太子派で、皇帝派は皇妃や少数の貴族のみだ。しかし、数で押し切るには皇妃の後ろ盾はあまりに強大すぎた。
モンタヴェルディ家は幾人もの星座主、前世でいうところの教皇のような人物を輩出している名門家系だ。現星座主もモンタヴェルディ家の生まれで、皇妃ルクレツィアはその姪にあたる。
しかし皇太子アストライオスにも後ろ盾があった。今は亡きアストライオスの実母である前皇妃エレノーラはアクアリア王国の元王女なのだ。
アクアリア王国は六国の中でもルミナ帝国に次ぐ大国で、絶大な軍事力を誇っている。特に海軍は他の五国の追随を許さない。
いくら宗教的権威のトップである星座主と空前の繁栄を極めるルミナ帝国とはいえ、アストライオスを無理に排除するのは得策ではない。アクアリア王国だけならともかく、残る四国が王国側に付けばルミナ帝国はひとたまりもない。
つまり、これは単なる派閥争いに留まらず、国際戦争さえ巻き起こす危険性がある一大事なのだ。
「そこで問題になるのがリリィ、君だ」
「わたくしが…」
「ジェミネール家は中立を保っている。けれど、どちらかの陣営に付けば勢力図はひっくり返る」
ジェミネール家はルミナ帝国で最も古くからある公爵家だ。皇族に匹敵するくらいの権力がある。
「ジェミネールを味方にする最も手っ取り早い方法が…」
「わたくしを引き込む、ということですね」
「そうだ。皇帝夫妻は自分達の息子を、多くの貴族達は皇太子殿下をリリィと結婚させることを望むだろう」
ジェミネール家だけでなく、星の聖女という圧倒的な力を手に入れれば勢力争いの勝利は間違いない。
つまり、この国、ひいてはこの大陸の未来が私にかかっていると言っても過言では無い。
「特に、星座主はリリィを何よりも手に入れたいと思っているはずだ。星の聖女を取り込めば権威が増すだけではなく、逃せば教会勢力の分裂を招きかねないからね」
あまりにスケールの大きな話だ。私は心が着いていかなかった。悪役令嬢とはいっても、ヒロインにチャチな嫌がらせをして婚約破棄される、いわば助演のようなものだ。少なくとも私が書いた小説の中ではそういう役割だった。主人公を引き立たせるための必要悪であり当て馬。彩りや栄養のための副菜のようなもので、ないからといって主食や主菜の味が損なわれたりしない。そんな脇役の気分だった。
「リリィはどうしたい?」
「…え?」
「エニラと話して、リリィの気持ちが一番大事だって結論になったんだ。もちろん、すぐ答えの出る問題ではないけど、考えなければならないことだ」
「わたくしは…」
私は、どうしたいんだろう。
この世界が星の解読者リリアだと気づく前、私は処刑や断罪を回避する前に動いていた。前世の知識を活かして新しい商品を開発したり、ボランティアで孤児院に行ったり。
けれど…転生してすぐの頃の私は、元の世界に戻れるなら死んでもいいとさえ思っていたはずだ。
「お父様」
「うん」
「わたくしは、まだ政治や権力について詳しくありません。だから、どちら側を選ぶだとかは今はまだわかりません」
「うん」
「けれど、お父様やお母様、兄様たち、メイドや執事も含めて、ジェミネール家にいる誰もが幸せになって欲しいです」
だって、私が今幸せだと思えるのは、彼らのおかげだから。
「わたくし次第で、ジェミネールの運命が決まるのですよね?」
「そうだね」
「じゃあ、わたくしが上手く動けば、皆がもっと幸せになれる未来もあるのではありませんか?」
私がニッと口の端を吊り上げると、父の表情に落ちていた陰はなくなり、代わりに安心したような笑顔が浮かんだ。
とにかく、私の目標は決まった。前世のことやリリアのこと、色々考えるべきことはあるけれど、なにより家族の幸せが第一だ。皇帝だろうが星座主だろうが全て踏み台にして、私はジェミネール家の未来を掴み取るのだ。




