第42話:治療方針
これから、ようやく目を覚ましたアネモネの昼食タイムである。
食後にアネモネの右腕の消毒をする予定だ。麻酔や鎮痛剤なしの消毒は苦痛による体力消耗が予想される。
おそらく治療後はとても食事など取れないと思われる。だからその前にしっかりと食べてもらい、消化吸収してもらうのだ。
ボクが柔らかい白パンを一切れ口に入れて噛み砕き、咀嚼し、唾液と混ぜる。モグモグモグ。
コスモスも同じく白パンを一切れ口に入れて噛み砕き、咀嚼し、唾液と混ぜる。モグモグモグ。
パンとミルクでミルク粥を作り匙で与える事も考えたが、でん粉と乳糖を与えるよりも、唾液により麦芽糖まで分解されたパンを与える方が消化も早く体力も使わないだろうと考え、口移しで与えることにしたのだ。
充分に唾液と混ざりカユ状になったところで、アネモネに口移しで与える。
それをアネモネががんばって少しずつ飲み込む。
コスモスがボクに、口移しでカユ状になったパンを渡す。受取ったボクは、それを又口移しでアネモネに与える。
コスモスの秘密を守るため、コスモスが直接アネモネに口移しをする事は避けた。
パンを2口与えた後、咽を潤す水を少し、これも口移しでアネモネに与える。
ブドウ糖や生理食塩水を点滴する事ができたなら、どれだけアネモネの体は楽だったろう。でも、ここには無いのだから有り物で対応するしかない。
ボクがモグモグモグ、口移しでアネモネへ。
コスモスがモグモグモグ、口移しでボクへ、ボクから口移しでアネモネへ。
そして又、少しの水を口移しで。
長い時間をかけてアネモネに食事を与えた後、ボク等は口や歯を丁寧に洗浄し、手もよく洗って、それからパンとチーズとミルクの昼食を取る。
食後に蜜蝋を溶かして火傷の保湿用にコンディショナーを作り、消毒後の保湿に備える。コンディショナーには防腐剤が入っていないため、エマルジョン状態での作り置きが出来ないのだ。
消毒の作業に入る前に、アネモネに現状の説明をする。
なるべく冷静に事実だけを、残酷だけどアネモネに説明する。
彼女には重大な判断をしてもらわなければならないからだ。
・・アネモネ。これから貴女の容態に付いて説明をします・・
(はい)
・・ボクがコスモスの口を借りて、カイン王国語で言葉で説明したいのですが、大丈夫ですか?・・
(カイン王国語は理解できます。でも、何故心話ではなく言葉を使うのですか?)
・・接触テレパスでは、どれだけ冷静に説明しようとしても、私の動揺が貴女に伝わってしまうからです。それほど、貴女の容態は重篤です・・
( ・・・)
・・アネモネ?・・
( ・・・はい、覚悟は出来ました。お願いします)
ベッドの上にテント用にと作った大きな魔宝布を敷き、その上にアネモネを寝かせて魔宝布で包んである。
ボクとコスモスは部屋に2つあるイスをベッドサイドに移動して、そこに腰掛けアネモネに説明をはじめる。
「アネモネ、コスモスの口を借りてボクがしゃべっています」
「はい」
「あ、体力を使うのでムリに声を出さなくてもいいですよ。合図は、声を出す、テレパスで伝える、瞬きする、貴女にとって一番負担にならない方法を使って下さい」
パチパチ、アネモネから瞬きの合図が返ってきた。
「貴女は今、非常に危険な状態です。貴女の全身を治療効果のある魔宝布、貴女の患部を耐毒・治療効果のある魔宝布で包んでいるため、小康状態にあります」
パチパチ。
「貴女はおそらく火炎魔宝の攻撃を受けました。火傷は頭部右全面と右前腕です。右耳と右目は火傷でふさがっています」
パチパチ。
「おそらく糞尿の中にいた病原性大腸菌と言う”毒を作る菌”が、貴女の口腔粘膜か右前腕負傷部から入り込み、貴女の体の中で繁殖を始めています」
パチパチ。
「その菌が作った毒素が原因で、貴女は敗血症ショック症状で倒れました。これは3~4人に1人が死亡するという非常に危険な症状だと思われます」
瞳がぎゅっと閉じられる。瞬きの気配は無い。1つ残された目尻から涙が流れ出した。
「残念ながらボク等はその菌を滅する薬を持っていませんし、正しい治療法もわかりません」
アネモネは堅く目を閉じ、ただただ涙を流すばかりである。
「でも今は、魔宝布で体の中で作られる毒だけは消しているので、毒によるショック症状は起きていません」
カノンはなるべく冷静に、淡々と、今分かるアネモネの容態に付いて説明を続けた。
・自分は医師でないので、今の見立てが間違っている可能性があること。
・しかし右前腕の状態から、最悪死に至るという自分の見立てを前提に治療するべきと思っていること。
・火炎魔宝の傷なので、魔宝布の治癒効果は期待が薄いこと。
・右前腕で菌が増殖しているが、この菌が内臓にまで回ったらおそらく助からないこと。
・魔宝布は、菌が作る毒には効果があるが、火魔宝で負った傷に付いた菌そのものに対しては無力なこと。
...そして、幾つかの対応策が残されていること。
「どのような方法があるか、聞く気がありますか?」
パチパチ、涙にぬれた目が力強く瞬いた。
よかった。死の一歩手前で踏みとどまっている現状を説明されても、アネモネはまだ理性を失っていない。
「1つ目の方法です。これが出来れば最も安全で確実です。それはアネモネの『生のサファイヤ』を回収し、アネモネ自身の治癒魔宝で傷を治すことなのですが、出来ませんか?」
(...それが出来ないのです)
アネモネから悲しげなテレパスが届く。
(理由は分かりませんが、私の魔宝の発動には魔宝石と私の眼が必要な様です。左目は無事なので魔宝石が回収できれば風魔宝は使えると思います。ですが生魔宝は右目を必要とするため、右目が塞がってしまった今では使えないのです)
それを聞いて、今度はボクが動揺してしまった。
ボクがこの世界で魔宝を発動させた時は、魔宝石とコスモスの身体、精霊様に言霊を届けるために2つの触媒を必要とした。ボクと同じように魔宝石以外の触媒を必要とする魔宝使いが存在する事を、今、初めて知ったからだ。
そして半分納得もしていた。そうでも無ければ命の危機が迫っているのに、生魔宝を使わない理由が説明付かないからだ。薄々考えていた通り、使わないのではなく使えなかったのだ。
テレパスで会話すると、この様な動揺がアネモネに伝わってしまう。この後残酷な提案をしなければならないと言うのに、アネモネに動揺が伝播するのはまずい。もう暫く、コスモスの口を借りることにする。
「私もアネモネと同様、生の魔宝石を持っていますが魔宝発動の条件が足りず、生魔宝が使えない状態です。生の魔宝使いが2人そろって治癒魔宝が使えない、歯痒いばかりです」
(...そうなのですか。カノン様はどのような条件が欠けてしまったのでしょうか?)
「それは後で説明します。2つ目の方法です。その方法とは、このまま現状を維持し魔宝布によって毒の発生を抑えるヤリ方です」
(それだと何か問題が有るのでしょうか?)
「はい、この後で右腕前腕の治療をする時、実際に自分の目で確かめてもらいますが、あなたの右腕の菌はどんどん増え続けています。これは魔宝布でも止められません。この菌が内臓まで達すればお腹の中の臓器が機能しなくなります。そうなればおそらく助かりません」
(...臓器が機能しなくなる...とは、どの様な状態でしょうか?)
「お腹の中には、食べ物を消化する臓器、栄養を吸収する臓器、水分を吸収する臓器、血の中の不要物から尿を作る臓器、消化吸収の済んだ食物を便として排泄する臓器、などがあるのですが、菌が回るとそれらが機能しなくなります。食べても吸収できない、尿も便も出ない、等です」
(...)
「アネモネにオムツを付けたのも、魔宝石回収やアネモネの負担軽減ばかりではなく、それが理由でもあります。尿や便により、お腹の中の状態を確認するのです」
(...はい、つまり、現状維持を続けるのは危険度が高いのですね)
「正直に告白すると、はい、とも、いいえ、とも言えません。ボクは医師ではないので正確には分からないのです。ただし、右腕の菌が内臓にまで達し内臓に障害が出るようになると、もう助からないと思われます」
(現状維持を続けると、いつかは菌が内臓まで感染するのですね?)
「菌が増えている現状ではそうだと言えます。そして3つ目の方法です。これから残酷な事を言いますよ」
アネモネの様子を確認する。よし、冷静だ。はっきりと伝える事にする。
「その方法とは、病原菌をコスモスの火炎魔宝で右前腕ごと炭にする事です。残酷なヤリ方に思えますが殺菌と言う意味では一番確実です。右腕のひじから先を失う事になりますが、内臓に菌が回る心配はなくなります。生と風の魔宝石は左手属性なので、魔宝にも影響は出ないでしょう」
(...そ、そんな...)
流石に衝撃が大きいようだ。すぐに別の手立ても有る事を教える。
「4つ目は右腕を残す方法です」
(は、はい)
「でもこれが、一番きつい方法かもしれません」
(教えて下さい)
「魔宝布の治癒効果は、火炎魔宝で焼かれた場所には効果がありませんが、通常の傷であればきれいに治してくれます。実はコスモスも腹筋と背筋に大きな怪我を負った事があるのですが、魔宝布の効果で完治しました」
(は、はい)
「4番目の方法です。痛みを止める手段無しに、火炎魔宝で焼かれた部分の右前腕筋をナイフで削り落とし、その上から魔宝布を巻いて治癒を待つと言う物です。正直に話すと、筋肉切除の苦痛にアネモネの体力が耐えられるかが心配です」
( !!)
「最後に5番目の方法は・・・」「カノン様!!!!」
コスモスの口を借りて話そうとするカノンの言葉を、コスモスが遮った。
「その方法は確実かどうか不確かな上、感染の危険性が飛躍的に高まります。できれば今はまだ、検討から外して頂きたく思います」
3人で話し合った結果、アネモネが1人で食事を出来る程度に回復するまでは現状を維持、アネモネの体力が回復したら右腕を残す方向で治療する事となった。
つまりアネモネの体力回復と菌の増殖速度の競争となる。
少しでも菌の増殖を抑えたいので、かなりしみると思うが、傷口の酸洗浄・アルコール洗浄を行う。
まず、洗い桶に湯を満たし、全裸にしたアネモネをボクとコスモスで石鹸でよく洗う。
当然だけど、胸とか足の付け根とかはコスモスに洗ってもらい、ボクは背中とか腕とかをきれいにする。
アネモネがベッドから出ている間に、ベッドに敷いたテント布も水拭きしてから熱風消毒・酸拭き・アルコール拭きと除菌に努める。
それが済んだらアネモネの身体をタオルでよく拭いて、コスモスの魔宝ドライヤーで身体を乾かす。
ベッドに寝てもらってから、ホルターネックブラと布オムツを付け、前開きワンピースタイプの半袖コットを着せる。
続いて、ボク等の両腕を丹念に洗浄・殺菌する。
ここまで除菌して、ようやく傷口を確認することができる。アネモネの頭部の傷まで汚染されると、もうボク等では助ける事が出来ないからだ。
残酷な表現になるが、右腕が壊疽した場合、コスモスの火炎魔宝で右腕ごと焼却滅菌する事で命だけを救うことが出来る。しかし、外科手術の技術も知識も道具も持たないボク等には、頭部の壊疽、内臓の壊疽に対しての治療手段が無いのだ。
胴部火傷への感染、内臓への感染に気を配っているのはその為である。
最初は頭部右側面の火傷から治療する。
昨日の段階では右目右耳がふさがり、ケロイド状の肌から血がにじんでいた。
包帯を外し、魔宝布をはがす。よかった、保湿クリームとして塗った蜜蝋コンディショナーが肌を保護してくれたようだ。
柔らかな濡れコットンで古いコンディショナーを優しくふき取り、先ほど作ったばかりの新しいコンディショナーを塗布する。
その上から、新しく魔宝糸処理をしたシルクのショールをあてがい、新品の包帯でしっかりと止める。
「頭部の火傷に関しては、化膿していないので命に関わる事にはならないと思います。今の治療を続ければ、火傷は治りませんが痛みは消えると思います」
(わかりました)
うん、ここまでは順調だ。でも、最後の難関、右前腕が残っている。
昨日の段階で、既に患部は黒く腐敗し、剥がれた皮膚が垂れ下がっていた。
今回はアネモネにその状態を確認してもらい、『絶縁の刃』で垂れ下がった皮膚など、既に神経が通っていないと思われる部位を切除し、その後で酸洗浄・アルコール洗浄を行う。
「傷口に塩を塗りこむ」と言う言葉が有る。実際にやった事は無いけれど、酸洗浄・アルコール洗浄はその位痛い事が想像される。アルム石水はレモン果汁程度のpHにはなるんじゃなかったっけ?自分の腕の皮をナイフではがし、そこにレモン果汁を垂らして見れば、酸洗浄の痛さが想像できるであろう。
それでも、菌を少しでも減らしておかないとアネモネの体力回復前にタイムリミットが来てしまう可能性が高いと思われる。
又、この洗浄の痛みに耐えられないなら、この先の右腕を残す治療には耐えられないだろう。
痛がるアネモネを見たくないけど、やらないわけには行かないのだ。




