ナオト
「――木村ヨシノリ君のお祖母さまですね?」
緑ヶ丘駅前の外資系チェーンのカフェ。
明らかに場違いな初老の女性は、ビクッと身体を震わせた。
約束の時間より、随分早くから待っていたらしい。
「はい……あの……」
小動物を連想させる小さな瞳が、オドオドと見上げる。
「失礼しました。木村君の上司の武田です」
俺は会釈して、椅子を引いた。
用意してあった名刺をテーブルの上に滑らせる。
大手建設会社のロゴの横には『経理部・部長』の肩書きがハクをつけていた。
「この度は、孫が使い込みなんて、大変なことを……!」
白髪をテーブルにこすりつけるようにして、老婦人は声を詰まらせた。
和室なら、土下座しかねない勢いだ。
「――顔を上げてください。今なら、まだ彼を救えます」
俺は努めて冷静に、しかし緊張感を切らさずに続ける。
「すみません……ありがとうございます……!」
『木村ヨシノリ』の祖母は、涙目で、固く抱え込んでいた紙袋をテーブルに置いた。
「私に任せてください。彼は、まだわが社の大切な人材です。こんなことで失職させる訳にはいきません」
言い慣れた台詞を口にする。
「あ……ありがとうございます! ありがとうございます……!!」
神か仏を拝むように、老婦人は俺に頭を下げた。
「すみません、時間がない。3時までに入金しなければ取り返しのつかないことになりますので、私はこれで失礼します」
紙袋の中に素早く視線を走らせ、しっかり掴んで立ち上がる。
言葉は急いても、動作はゆったりと。
――ここで慌ててはいけない。
「部長さま、どうか孫をよろしくお願いします……!」
背の低い身体を更に小さく折り曲げて、彼女は何度も何度も頭を下げた。
「改めて木村君から連絡させます。それまでは、誰にも口外なさらないように」
意味深に眉をひそめて、声を落とす。
「はい、どうかよろしくお願いします……!」
老婦人の懇願を背に、俺は足早にカフェを出た。
駅の中を人混みに紛れて通り抜け、反対側の出口から裏道に出る。
路地裏で待機していた、スモークガラスの黒いワゴン車に乗り込んだ。
-*-*-*-
「――上手くいったか?」
アクセルをふかし、ユウスケがミラー越しに俺を見る。
「ああ、チョロいもんだぜ」
俺は紙袋から、帯封の切られていない諭吉の束を5つ、鷲掴みに取り出した。
これで、ざっと500万円だ。
「あのハバァ、搾ればまだ出すんじゃねぇの〜?」
助手席のケイタが、トロンとした焦点の定まらない目のまま、ゲラゲラ笑う。
コイツ、また葉っぱを入れて来やがった。
リーダーに報告しておかなきゃな……。
俺たちはチームだ。
連帯感や仲間意識なんてものは微塵もないが、足が付かないように、決められたルールを守るくらいの責任感は必要だ。
「巨乳サイトの課金請求の方は、釣れそうか?」
バァサンを信用させるために着ていたラルフローレンのスーツを脱ぎながら、後部座席のシンジを振り返る。
「……あー……最近は警戒強いからなぁ……何か手口考えないと」
いかにもネットオタク、という雰囲気のシンジは、手元のタブレットから色白の顔を上げて、チラと札束に視線を投げた。
「それより、次の現場の指示、来てるよ。本町駅前のコインロッカーに6時半だって」
『現場』とは、金の受け取り場所のことだ。
「……あぃよ、本町駅前な」
ユウスケが、カーナビに目的地を登録しながらハンドルを切った。
俺たちのチームは、世間では『受け子』と呼ばれている。
電話の『掛け子』チームがお膳立てした芝居の最終段階――ターゲットから金を受け取る役割だ。
「コインロッカー? 何番だ? 接触は?」
Yシャツからネクタイを外す。
信号待ちで止まった交差点。
フロントガラスの向こう側を、スーツ姿のビジネスマンが忙しなく行き交う。
2年前までは、俺もあの中の1人だった。
「――んーGの……7番。松栄屋の緑の紙袋が入ってる。接触は、なし、だって」
「了解。俺のバッグ取ってくれ」
リーダーからの指示とバッグを、シンジから受け取る。
俺はグレーのスウェットを頭から被り、マスクとサングラスをつけた。
-*-*-*-
今日1日で、俺たちのチームは1300万円を手にした。
サラリーマン時代、必至に汗かいて、恥かいて、辛酸をなめても、俺の年収は300万円ギリギリだった。
その職場も、本社に吸収合併され、俺は体よくリストラされた。
失業保険が切れると、あとは坂道を転がるしかなく、単発のバイトで食いつなぎながら、ヤミ金で借金を重ねた。
アパートを追い出され、ネットカフェで寝泊まりしていたある日、俺は妙なサイトで『求人応募フォーム』を見つけた。
【欠員のため急募! 日給1万円以上!! 嬉しい日払い! 電話から受けた指示通りに作業するだけの簡単なお仕事です♪】
俺は迷わず、登録した。
その日の内にスマホに連絡が来て、今の仕事に再就職した。
指定されたマンションの一室で、契約書にサインと判子を押してから――就職先が詐欺グループの末端だと知った。
「おい、ナオト」
一見、まともな会社の上司のように、アルマーニのスーツに身を包んだ男が、俺を呼び止める。
「何ですか、リーダー?」
年の頃は30代後半……髪もきちんと整えたリーダーは、リビングの革張りのソファで札束を数えている。
ここは、あの日、引き返せない一歩を踏み出したマンションの部屋だ。
上層部が借り上げていて、グループの拠点の1つになっている。
チームの他の3人は、日給を受け取ると、さっさとそれぞれのねぐらに帰って行った。
「……ちょっと、座れ」
職員室に呼び出しを食らった時のような緊張が走る。
俺は、大人しくリーダーの正面に腰を降ろした。
「ケイタのバカ、またラリって出勤したんだって?」
ああ、その話か。
「……ええ」
「あいつ、次から外すからな。お前のチームには新人入れるわ」
心のどこかでホッとしている自分がいる。
人を騙して、犯罪を積み重ねても、自分は捕まりたくないのだ。
「――新人、ですか」
「ああ。よろしく教育してやってくれな」
札束の中から5枚抜き取ると、リーダーは俺に突き出した。
「……分かりました」
新人を俺に預けるということは、金の受け取り方を覚えさせろ、という意味だ。
俺は『教育費』を受け取り、上着の内側にねじ込んだ。
「次の出勤までに"用意"しておく。じゃ、そういうことだ」
ソファから立ち上がり、一礼する。
俺はマンションを後にした。
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日給と『教育費』で15万円。
俄に暖かくなった懐だが、一時期の貧乏暮らしが身に染みて、パーッと豪遊する気にはならない。
俺は行きつけの大衆居酒屋で、生ビールと焼鳥を頼んだ。
『――次のニュースです。本日、緑ヶ丘3丁目に住む木村ソノさん78歳が、孫の上司を名乗る男に、現金500万円を騙し取られました』
飲みかけたビールを吹きそうになって、必死に堪える。
カウンターの上に設置されたテレビから、男性アナウンサーの事務的な声が流れてきた。
『木村さんは、孫を騙る電話の指示に従い、緑ヶ丘駅前の飲食店内で、タケダと名乗った男性に、現金を入れた紙袋を手渡したということです』
「あー、またかー。減らねぇなぁ、『オレオレ詐欺』!」
隣の席のサラリーマンが、呆れたように声を上げた。
「孫の声、わかんないかねぇ、ばあちゃんは」
一緒に飲んでいる中年太りの男も、ヤレヤレと首を振る。
「てゆうか、普通、顔も知らない上司に、そんな大金渡さんだろうよ」
「500万かー、それだけあれば、ローン返せるなー」
刺身をパクリと口に放り込み、中年太りは天井を仰いだ。
「バカ! 犯罪の金で返しても、家族は泣くぜ?」
「そーだよなぁ……! あと30年、汗水垂らした、オヤジの真っ当な金で支払うかぁ〜」
わはははは、と呑気に笑う声に苛つきながら――彼らの会話が胸に刺さっていた。
……分かってる。
今、俺が飲んでいる生ビールは、騙された木村のバァサンの涙の味だ。
だけど……
「……分かってねぇよ」
誰にも聞こえないように、ボソリ、呟く。
仕事もなく、金もなく、遠くの故郷にも頼れない人間が、借金にまみれ、食うに食われなくなったら、誰だって我が身可愛さに、何にでも手を染める。
犯罪だってやってのけるだろう……。
――綺麗事、言ってんじゃねーよ!!
ジョッキをグイと空け、苦虫と一緒に、俺は最後の焼鳥を頬張った。
喉の奥で、いつになく、塩辛い味がした。