15.理由
王太子任命式までひと月を切った頃、再びキリアンとリリーは傍から見れば仲睦まじい二人に戻っていた。
「リリー、今日は何をしていたかい?」
「特になにも……」
「未来の公爵夫人だからね。ある程度の教養はあってほしいけれど、夜会は男たちのいらぬ視線を集めてしまうからリリーは出席しなくても構わないよ」
キリアンの執着じみた愛情と呼べるか分からないものに、リリーの罪悪感が刺激されていく。
穏やかに愛を育みたかった。
苛烈で、綱渡りをするようなドロリと翳るキリアンの愛は、リリーにとって息が詰まるものだった。
キリアンも思うがままにただ憎しみをぶつけていた事を反省し、無限に湧き出る憎しみを上書きするかのようにリリーに愛を囁いた。
その時の反応が可愛らしくて、愛おしくて、その首に手を掛けたくなる程に憎らしい。
魅了の影響とは恐ろしいものだ、と身を持って実感し、燻る熱を持て余していた。
そんな時、キリアンの従者からとある一報が届いた。
「分かった。どこか予定を空けて、必ず会う、と伝えてくれ」
「承知いたしました」
従者とのやり取りの際、リリーを見られたくないとばかりに己に抱き寄せ髪を弄ぶ。
まるで愛されているような錯覚が、リリーに淡い喜びをもたらした。 ──いけないと分かっているのに。
「ああ、不安そうな顔をしないでくれ。ルイナが会いたいと言ってきたんだ」
「ルイナ様が……ですか?」
「私が魅了されていたと聞いたらしい。だから一度会って話がしたいそうだ」
やはりルイナと復縁する事を想像すると、 心臓が握り潰されそうに苦しくなった。
だがそれを言えるわけがない。
魅了で得たものは全て偽りで、キリアンの本心はルイナにあるのだから。
「よかったですね」
「……何がだ?」
「ルイナ様とまたお会いできて。もしかすると、やはりキリアン様ともう一度」
捻くれた言葉を聞きたくないとばかりに口を塞がれる。
息継ぎも許さないそれは、手慣れたように深くなった。
「お前は私をどうしたいんだ?」
苦しみから解放され、浅く呼吸をするリリーの瞳は潤んでいる。それが益々キリアンを苛立たせ、どうにかして泣かせたいという衝動に駆られた。
「幸せになってほしいと願っています」
今にも泣き出しそうなのに、己の幸せを求めない。
キリアンに幸せになってほしいと言うのに、その幸せに自分は必要無いと思っている。
そう思わせたのは自分だ、と感じ、キリアンの胸が痛んだ。
「私のせいか?」
リリーの瞳にかかる髪を避け、涙を拭う。
そもそも魅了を使ったのは何故か。キリアンの愛がどうしても欲しいからとは言ったが、教養が高いとは言えないだろうリリーが最終手段とも言うべき禁忌魔法に手を出したのは何故か、という疑問がもたげる。
リリーの純粋な瞳を見ていれば、魅了などなくても人を惑わせる何かがあるような気がして、それを知りたくて探るように見つめる。
「私の幸せに……お前はいないのか?」
否定も肯定もせず、リリーはただ瞳を揺らしたまま微笑んだ。
ルイナが戻るなら、そこにいてはいけない。
キリアンが愛する女性と結ばれるなら、後顧の憂いを無くすためにもリリーは魔法省に自首するつもりでいた。
それに気付いているのか、キリアンはリリーがどこかへ行ってしまうような気がして目が離せなかった。
だが、ルイナと一度は話さなければならない。
ルイナへの愛が残っているわけではなく、魅了の影響も薄れてきた今、リリーへの気持ちが全て偽りではないと分かってしまったからだ。
彼としてはもう戻るつもりは無い。
戻るつもりがあるならば、婚約解消するのを待たずにルイナを追い掛けただろう。
だがキリアンはそうしなかった。
愛か、憎しみか、相反する感情と衝動。今まで自分に無かった醜いモノ。
高潔ではない自分が本性ならば、それを受け容れてくれ、共に堕ちてくれるリリーでないと満たされなくなっていた。
ルイナは王都へ戻り、キリアンと会うまでに情報収集するため旧友とのお茶会に出向いていた。
「ルイナ様、お労しいですわ……」
「キリアン様は以前とは変わられました。品行方正であられたのに、今ではもう……」
「魅了で唆されたのですわ。あの忌々しい毒婦に!」
お茶を飲んでいたルイナは、友人たちの噂を静かに聞いていた。
この中にはキリアンに当て馬にされた令嬢もおり、腹いせと言わんばかりにある事無い事吹聴する者もいる。
勿論ルイナにそれを見せるわけではない。
「でも、キリアンが自ら魔法省へ出向いて魅了を否定したのでしょう?」
「それはそうだけれど……」
「それでもルイナ様とあれだけ愛し合っていたのに、アッサリと心変わりをされるなど、信じられませんもの」
確かにルイナから見てもキリアンの急な態度の変化は見過ごせるものではなかった。
王太子になるべく武官派に広く紹介し根回しをしていたのに裏切られ、自分の未来さえ変えてしまった。
王太子妃となり、女性の頂点に立つ事はルイナの目標でもあった。
憧れの 騎士団長には なれない。
だから王妃になれば頂点にいける、とキリアンを支えてきたのに。
「そうね。皆様から見ても、キリアンの様子はやはりおかしいわよね。まるで魅了されたみたいに急に変わってしまったものね……」
憂いを帯びたように言えば、周りの令嬢も同調する。
この日を境に、再び魅了騒動が沸き起こり、武官派からの圧力もあり、無視できないまでになっていた。
最初に動いたのはライオスだった。
リリーの部屋に来て、騒動を知らせた。
「キリアン殿下が否定したが、魅了の火種は消えない。ストラベル公爵家としてはお前を切り捨てた。自首しろ」
兄の言葉に特段驚きもせずに目を伏せる。
魅了を使えと言ったのは兄だったのに、と言う気力も既に無い。
「承知いたしました」
それだけを言うとライオスは顔を顰めたまま踵を返した。
「どういう事ですか?」
そこへキリアンが入って来る。
「リリーは魅了を使用していないと魔法省に否定したはずですが」
「武官派の令嬢たちを中心として再び騒動になっている。もはやリリーが処刑される事でしか収まるまい」
「何故……」
「アウムフォビア公爵令嬢が戻って来たそうだな」
「……っ!」
キリアンは己の浅はかさを悔いた。
ルイナが戻って来るからルイナに会う。
彼女が武官派の令嬢を扇動したとは考えにくいが、ありえない事ではなかった。
「お前が侍らせていた令嬢をよく思い出せ。貴族は醜聞があればいつまでも隙を突いてくる」
リリーへの復讐に偽りの愛を囁いていた令嬢たちが、その腹いせにルイナを狼煙として再び火種を撒いたのか、とギリ……と奥歯が鳴った。
「お前が否定したところで急な変化は異様に映る。第三者から見れば魅了以外に考えられないと映ればそれが真実になる」
自分のした事がリリーを追い詰める。
そしてリリーはそれを受け容れようとしている。
「すまない、リリー」
「いえ、分かっていた事です」
兄を責めもせず、ただ受け容れている。
そんなリリーが危うくて、キリアンはどうにかして助けたいと思い始めていた。




