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からくり野球〜土壇場のジョーカー〜  作者: 水前寺鯉太郎


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8/19

第8話:精密なる緩急、からくりカーブ

一回表、先頭打者ホームラン。

 その白球が描いた残酷な放物線は、紀伊プラムスのベンチを氷河のように凍りつかせた。しかし、マウンドの中央に立つしみまるの瞳に、絶望の濁りはない。

 むしろ、彼の右腕――『義腕・ナンバーナインティーン』は、かつてないほど繊細に、かつ熱く脈動していた。

「……計算外でした。高校生の執念が、僕の演算データを上回るなんて」

 しみまるは、自身の鋼の右腕をじっと見つめる。指先のサーボモーターが、微かな、しかし規則正しいビートを刻んでいる。

 智和学園の打線は、しみまるの145km/hの直球と、視覚を惑わす「分身投法」に完全に照準を絞っていた。彼らは分身の「揺らぎ」をあえて無視し、中心に潜む「一球の本質」だけをチーム全体で共有し、最短距離で叩く。聖地の継承者たちが血の滲む練習で培ってきた、驚異的な組織破壊打法だ。

(直球と分身という『縦の攻め』だけじゃ、この荒波は止められない。……もっと、打者の『タイミング(時間軸)』そのものをハッキングしなきゃダメだ)

 しみまるは、網膜ディスプレイに表示された設定を「精密駆動モード」へとフリックした。

 狙うのは、これまでの剛球とは真逆のベクトル。

 右腕の多段階関節のテンションを意図的に緩ませ、内部のジャイロセンサーを「逆回転」へと同期させる。

 二回表、一死走者なし。

 バッターボックスには、先ほど阿修羅のようなスイングで本塁打を放った黒潮海斗。

 しみまるは、天を仰ぐように大きく振りかぶった。

 ――キィィィィィ……。

 右腕から、これまでにない低く、重厚な駆動音が漏れる。

 放たれた一球。それは、時速わずか90km/h。

 春の空に浮かぶ白い雲のように、ふわりと、あまりにも無防備に、そして頼りなげにマウンドから放たれた。

「――っ、ナメるなッ!」

 黒潮が牙を剥き、獲物を屠る獣の如きフルスイングで迎え撃つ。

 しかし。

 ボールは打者の手元で、まるで急ブレーキをかけたかのように減速した。右腕の精密モーターによって、ボールの回転軸が空中で三段階に強制変化させられたのだ。

 球筋は、物理法則の隙間を縫うように「カクン」と一段階沈み、さらにそこから重力に引きずり込まれるように、鋭く、深く、縦に割れた。

「……えっ?」

 黒潮の視界の中で、時間が引き伸ばされたように錯覚する。フルスイングしたバットが空を切り裂く、その遥か後方を、ボールが嘲笑うように通過していく。

 ドサッ。

 正捕手・白浜砂織のミットが、地面を這うような低軌道でその「からくり」を飲み込んだ。

「……ストライィィィクッ!!」

 球場全体が、しんと静まり返った。

 145km/hの剛球を脳に焼き付けられた直後に投じられた、90km/hの**「絶望的スローカーブ」**。

 それは単なる変化球ではない。打者の脳内時計を狂わせ、神経伝達をバグらせる「時間差の暴力」だ。

「……これが、僕の新しい『回答ピース』です」

 しみまるが静かに呟く。

 緩急。

 145km/hの直球が、このスローカーブの残像によって、打者の体感速度では160km/hを超えて襲いかかる。逆に、スローカーブは空中で静止しているかのように錯覚させる。

 智和学園の打者たちのタイミングは、ドミノ倒しのように次々と狂い始めた。

「……すげえ。しみまるの奴、マウンドの上で『進化』してやがる」

 ベンチで竜神豪が、感嘆に近い溜息を漏らした。

 エースとしての本格派の矜持と、しみまるの変則的な技術。二人の個性が、紀伊プラムスというチームの中で美しく溶け合い、化学反応を起こし始めていた。

 五回を投げ抜き、許した安打は初回の本塁打一本のみ。

 しみまるは、自身の「生身の心臓」の鼓動と、「鋼の右腕」の駆動音が、初めて一つの旋律リズムとして調和していく感覚を味わっていた。

 だが、試合終了を告げるサイレンが響いた瞬間。

 バックネット裏の薄暗い観覧席で、一人の男がタブレットを閉じ、不敵に笑った。

「……なるほど。意志で制御するスローカーブか。だが、しみまる君。君のその『心臓』、いつまで保つかな?」

 男の黒いジャケットの胸元には、次なる対戦相手「紀州ブラックベアーズ」の不気味な紋章が刻まれていた。

 しみまるの新たな武器は、さらなる過酷な、そして「死」を予感させる戦いを引き寄せる呼び水に過ぎなかった。

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