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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◇二章九話 忍びの想い * 慶応元年 閏五月
199/203

抒情と指向

「――斎藤?」


 無意識に窺う視線を送ったように、また無意識に目を伏せたところで、不意に愁介が呼ぶ。


 斎藤は殊更ゆったり瞬きをし、「はい」と平坦な相槌で顔を上げた。


「あれ。こっちの話、聞いてなかった? 江戸の様子、どんなだったのかなって」


 見れば、愁介と沖田が揃いの角度で首をかしげていた。


「すみません、考えごとをしていました。江戸は特に変わった様子もなく……こちらに比べて随分のどかな空気だった、としか」

「でも、思ったよりたくさんの新入隊士を連れ帰っていらっしゃいましたよね」


 沖田の言葉にあごを引き、「それは、まあ」と首肯を返す。


「一部の若者の間でだが、やはり不安定なこの国をどうにかせねば、という気風は高まっているようには感じた」

「あっは、若者って。新入隊士の大半は斎藤さんより年配の方でしたけどね」


 何かのツボにでも入ったようで、沖田は鈴を転がすように笑った。「確かに」とつられた様子で愁介も笑い、肩を揺らす。


「――また部外者が、こんなとこまで入ってきやがって」


 掠れ気味の艶のある低音が割って入ってきたのは、その時だった。


 小さく、ぎくりと身体が強張る。


 直後、先ほど愁介が現れた場所から、眉間に皺を寄せた土方が姿を現した。


 土方は濡れ縁から愁介を睨み下ろすと、「手前(てめ)ェ、っとに大概暇だな」と邪険に言った。


「はあ~? めっちゃくちゃ忙しいですけど? ていうか土方さん、久しぶりに会って早々、何でそう意地の悪いこと言うんですかね。気が細やか過ぎません? ほんとにはげますよ」

「うっせぇわ。はげねぇわ」


 遠慮なく嫌味を返す愁介に、土方もまた実に忌々しそうな様子で舌打ちし、切り返す。


 そんなやり取りを訝って見ていると、ふと、斎藤の視線に気づいた土方と目が合った。


 ――瞬間、流れるように視線を泳がせてしまう。


 斎藤は、この上ない自己嫌悪めいた歯切れの悪さを噛み締めながら、「すみませんが、部屋に戻らせていただきます」と、かろうじて告げた。


 唐突ではあったが、沖田が「えっ、この場を私一人に押し付けて逃げる気ですか!」と愕然とした声を上げてくれたので、完全に便乗する形で「任せる」と踵を返す。


「えーっ、斎藤さんの薄情者!」


 沖田の文句からそそくさと離れ、斎藤はほど近くにあった階段から濡れ縁に上がった。そうして進行方向にいる土方に軽くあごを引いて会釈し、結局再び目も合わせられないままその隣をすり抜ける。


 ところがその時、ほんのかすかな――……それこそ、傍らをすり抜けた斎藤にしか聞こえないような、唇もろくに動かしていないような低く不明瞭な声で。


「……壬生寺」


 そんな、ひと言が耳を掠めた。


 思わず止めそうになった足を遮二無二動かし、返事も何もしないまま、その場から距離を取る。


 濡れ縁沿いに出入り口とは反対方向に歩き、割り当てられている私室のほうへ向かう。そうして、沖田に茶々を入れられながら、再びやり合い始めた土方や愁介の声がほとんど聞こえなくなる渡り廊下の手前の角まで来たところで、斎藤はようやく足を止めた。


「……壬生寺……?」


 かすかに聞こえたその場所を反すうし、既に見えもしない土方のほうを振り返る。


 先刻までどうにも落ち着きのなかった胸の内が、ひたと、凪いだ。

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