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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◇ 二章八話 月明かりの窓 * 慶応元年 五月
195/203

胸襟

「帰る前に、ひとつだけ確認しておきたくてよ」


 土方の言葉尻から、(かづら)の話であることはすぐに察せられた。


 斎藤が黙したまま待っていると、土方は軽く深呼吸するように静かに息を吐き、斎藤に目を向けた。


「……あいつ(ヽヽヽ)、何で俺には名乗り出てこねぇ」


 お前なら知ってるだろ、と確信を持ったような声で問われた。


 斎藤は一瞬ばかり言葉に詰まり、わずかに眉根を寄せて目を伏せる。


「……言いたくないのですが」

「は?」


 間髪容れず剣呑な声が返された。


 が、斎藤もそれに対してあまり間を置かずに切り返す。


「ただでさえ、彼の人の望んでいなかった形で、私は……土方さんに、伝えてしまったわけですから」

「何でぇ、それであいつを裏切ったとか何とか思ってんのか。クソ真面目だな」

「実際そうなのですから、仕方ありません」

「違ぇだろ、お前は確信めいたものは何も言わなかった。俺の勘が良すぎただけだ、お前は別に裏切っちゃねぇよ」


 慰めなのか、あるいは単なる屁理屈で丸め込もうとしているのか、土方があっけらかんと言う。


 しかし斎藤は一層顔をしかめてしまった。


「あなたの勘の良さを知った上で言ったのです。同じことですよ。その上で、これ以上のことを私からは、あまり話したくありません」

「頭の固ぇ奴だな……」


 土方はガシガシと頭を掻いて、言葉を探すように朧月を見上げた。


「……じゃあ、何だ。お前はいつ、気付いたんだ。少なくとも以前、似たような時期に山崎に調査を頼んでた頃にゃ、お前だって気付いてなかったわけだろ」

「そう……ですね」


 斎藤は相槌を打った後、しばし口をつぐんで思案した。


 ――言って差し支えないものなのかどうかが、正直判断しづらい。


 斎藤とて、愁介の正体を知り得たのは、周囲の後押しがあったればこそだった。容保(かたもり)に見極めろと言われなければ、悪感情だけを抱いたまま可能な限り近づかぬようにして、未だ気づいていなかったかもしれない。そもそも間者という立場ですらなければ、愁介と関わり合う機会もそれこそぐっと減り、愁介の中に葛を重ねることだって、なかっただろう。


 そういった背景を考えれば、どうしたって土方に話せることは、


「……言いたく、ありません」


 それしか、なかった。


 改めてこちらを向いた土方は、苦虫をまとめて噛み潰したような顔をしていた。


「お前……お前なぁ。さんざこっちからは話を聞いといて、お前……」

「そうはおっしゃられても、土方さんは特段話したくないわけでもなかったから、話してくださったのでしょう」

「理屈こねやがって……」


 土方は深々と溜息を吐き、頭を抱えるように額を押さえた。


 しばしの沈黙が落ちる。


 雨の気配が遠ざかっていく落ち着いた風が、斎藤や土方の肌を撫で、周囲の梢をかすかに揺らしていく。土の湿気た匂いが混じった夜の匂いは、こちらの気をなだめるようにやわらかく寄り添ってくる。


「……正直」


 しばらくして、土方が改めてぽつりと口を開いた。


「今でもまだ、信じられねぇっつーか、騙されたってぇ思うような感覚もある」


 土方はゆったりと顔を上げ、そのまま改めて月を見上げると、溜息と共に窓枠の外側にある落下防止柵に頬杖をついて、苦笑を浮かべた。


「ただ……俺も馬鹿だな。生きてると、そう思っただけで……全部許しちまいそうなんだよなァ」


 斎藤に言ったのか、独り言だったのかは、わからなかった。


 ただ、その言葉の奥底には深い情愛が窺えた。


 ……愁介の望むにしろ、望まないにしろ。これまでの二人の様子を見る限り、彼らは互いに良くも悪くも言いたいことを言い合える間柄であったわけだ。それを思えば、これからも悪い形に転ぶことはないだろうと――斎藤は、土方の声を聞いて改めて思えた。


「……斎藤。ひとつだけ確認しとくが、お前が仕えてたのは、『お家』か? 葛か?」


 月を見上げたまま、不意に土方が何でもないように問う。


 その内、確認されることだろうと覚悟していた斎藤は、取り乱すことなく瞬きひとつで、あっさり答えた。


「あくまで、葛様ですよ。ご存知の通り、明石松平家と会津松平家には縁がありますから、その伝手で。父は単なる御家人ではありましたが、私は当時から……沖田さんほどではなかったやもしれませんが、剣の腕が立っていたので、上役の目に留まることがありまして」

「あァ、目に浮かぶな、そりゃ」

「……葛様と引き離された後しばらくは実家に戻りましたが、死んだと聞かされてからはすぐ、浪人になりました。ご存知の通りの、うらぶれた浪人に」


 土方は、ふっと鼻で笑うと「そうか。そうだな」と納得したように、やはり疑う様子もなく頷いた。

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