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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◇ 二章八話 月明かりの窓 * 慶応元年 五月
193/203

煩雑な

「言い方に少々語弊があるかもしれないが……」


 部屋に戻って間もなく、斎藤は何かと気まずくなる前に口火を切った。


「大事に想う相手がいたとして」

「えっ? 男? 女?」


 言いかけたところで藤堂があまりに意外そうに軽く背筋を伸ばした。が、そのひと言に斎藤がわずかに眉根を寄せたのを見て「あ、ごめん続けて」とすぐさま己の口を手で塞ぐ。


 斎藤はひとつ息を吐き、言葉を続けた。


「とりあえず女でいい」


 藤堂は一瞬とんでもなく何か言いたそうな顔をしたが、酸い物でも口に入れたように目を一度ぎゅっと瞑って、ただ「……うん」と相槌を打つ。


「ともかく、その相手が、実は土方さんとも顔見知りだったと知れてしまったものだから」

「う、うん……」

「けしかけてしまった」

「よりにもよって!?」


 藤堂は「あちゃー」と額に手を当てて天井を仰いだ。


「何であの女たらしを何でけしかけちゃったの……ごめん、もう『何で』しか出てこないんだけど。何で?」


 半ば呻きながら疑問を投げかけられ、それにどう答えるべきか頭を捻っていると、不意に廊下の離れた場所から「あの……お侍様」と女中と思しき話し声が聞こえてくる。


「あたし、今日は夜番なんです。だから、もし良ければ……」

「いや、結構だ」


 甘えるような女言葉を一蹴したのは、どうやら烏の行水で済ませたらしい土方の声だった。


 何とも間の良すぎるやり取りに、藤堂がスウと深呼吸をし、それまでよりも少々声を落として「いや、ほんと何で……?」と頭を抱えるようにこめかみに手を当てた。


「……そのほうが良いような気がした」

「いやいやいや。えっ、待って、相手は土方さんが好きなの?」

「……そもそも二人とも、恋愛感情を抱いているのかどうかは正直わからない」

「ええ………………」


 藤堂は訳がわからない、というように絶句して、再び口元を手で押さえる。


「……(はじめ)は、その人のこと、好きなの?」

「少なくとも、恋愛感情を抱いた覚えはない」

「意味わからん」


 即答すると、それを上回る間髪容れない素早さで嘆くように言われた。


 が、斎藤がそこに「だが、何かひとつ歯車が違っていれば、そういうこともあったのだろうかとは考えた」と付け加えれば。


 藤堂はわずかな沈黙の後、すすすと正面から斎藤の隣へ身を移してきた。


「何か、一もやっぱりちゃんと同い年なんだなって改めて感動したわ」

「……元々同い年だが?」

「そうじゃなくて、うーん……」


 苦笑いを浮かべた藤堂に、首をかしげ返す。


 藤堂は言葉を探すように一度視線を上向けた後、改めて斎藤を真っ直ぐに見ながら言った。


「風呂場でのお返しじゃないけど、感情ってひとつじゃないんだよなってオレは思うのね。だから、好きかどうかはまぁ置いておいて、少なくとも一はさ、土方さんけしかけちゃって、相手と土方さんの関係が変わるかもっていうのが何か気まずいってことだよね?」

「……そうだな。そう思う」

「じゃあ、オレが思うに、それだけは面と向かって土方さんに言っといたほうがいいよ。気まずくならないためにじゃなくて、『気まずい』って断っとくだけでもたぶん気の持ちようが変わるから。あの人、あれでそういうとこ鈍いよなってオレは思ってるしね」


 空気の糸でも巻くように、くるくると人差し指を回して藤堂は続ける。


「別に土方さんのことが嫌いになったとかじゃないんなら、それで溝作っちゃうのは勿体ないと思うのよ。小さな溝って、重ねれば後で埋めるのが大変になるしさ」


 でしょ、と同意を求められ、自然と、その言葉の中に誰と誰の溝の話を含めて言ったのかが察せられた。


 ――そう言われては否定できないと、斎藤は口をつぐむ。


 それだけでなく……確かに、どうしたって気まずさや愁介の意に反した行動をとったことへの心のしこりを感じている中、それでもやはり立場上、このままではいけないのだと理解している己もいる。どうにかしなければならないと思っていたのだから、それに対する突破口をひとつ示されたのは、素直にありがたく思えた。


「……そういう助言は、助かる」


 無意識化でこうなる可能性が見えていたからこそ、藤堂には一度話してみようと考えられたのかもしれない。


「んっふっふっふ……こちらこそ、話してくれてありがとね。一さぁ、オレとか総司とか、一部の前でだけだけど……前よりだいぶ、崩した表情も見せるようになってきたね」


 妙に嬉しそうに切り返され、しかし斎藤はつい顔をしかめた。


「……それは」


 間者としてはまずいのかもしれない、と苦く思ってしまう。そこだけは線引きを間違えてはならない気がすると、それまでとは別の意味で気が重くなってくる。


 しかし、そんな苦みを知る由もなく、藤堂はこちらの照れ隠しとでも思ったのか、笑みをさらに深めてバシバシと斎藤の背中を叩いてくる。


 あまりの力強さに、斎藤は軽くむせて咳をした。

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