躊躇の理由
「土方さんはそれを知って、どうなさるおつもりなのですか?」
「は? どうって……」
「葛様が土方さんに国元を秘していたのには、意図があるとお思いになりませんか」
斎藤が抑揚なく問いかけると、土方は口をつぐみ、それをへの字に曲げて眉根を寄せた。
「そりゃ、あるんだろうよ。むしろ、知ってる。聞いたことがあるからな」
「葛様は、どのようにおっしゃっておられましたか?」
「……あいつは当時百姓でしかなかった俺が武士になるってぇ言っても鼻で笑わず、むしろ俺が望むならそうなるんだろうってぇ信じるような奴だった。だから……」
純粋で、懐に入れた人間には少し盲目で、しかしそれでも見る目は確かであった当時の葛を思い出す。そしてその本質は、今も大きくは変わっていない。
「俺がいつか、あいつの国元と関わるような機会があった時、自分のせいで印象を左右させたくない、っつってたよ」
よもや事実その通りになるなどと、さすがの葛も当時からわかっていたわけではないだろう。が、それでも今や事実その通りになっている。今この上で葛の国元が会津だったのだと伝えれば――新選組を実質切り盛りしている土方の目に、会津はどのように映ることになるのだろうか。それに斎藤の立場上、いくら過去の繋がりだと誤魔化そうとしたところで、現在の会津との関係を疑われるような事実を打ち明けるには、不確実性が高すぎる。
斎藤はそっと息を吐いた。
「……であれば、私から申し上げられることはありません」
一歩引く形となった斎藤の答えに、土方は眉間のしわを深くした。
「印象がどうのこうのと、勝手に決めてんじゃねぇよ。決めるのはあいつでもお前でもねぇ、俺だ」
「それはおっしゃる通りだと思います。ですが葛様を見殺しにするようなお国元ですよ。敵になるならいい。しかし仮に今後手を結ばねばならない立場となった時、相手に忌避感を抱くことがないとは言い切れないでしょう」
淡々と言って首を横に振る。いつもの抑揚のない声では、多少切り捨てるような響きになったかもしれない。
すると土方は眉根からふと力を抜いて、何故か少しばかり、困ったような顔になった。
「……土方さん?」
「いや……少なくともお前は、そうだったんだなと思ってよ」
どこか気遣わしげな声で言われ、少々虚を衝かれたような心持ちになる。
が、実際そのような時期は長く存在していたわけで、言われてみれば無意識に実感がこもったのかもしれない。折々において己の感情など支配せねばならない間者の身としては良いこととは思えないのだが……ただ、それはそれとして。
「……否定しませんし、できません」
「そういう意味じゃ、お前もこっちを案じてくれてるのかもなって理解はするさ。だが、だったら尚のこと俺は知りてぇと思う。考えてはいたんだ。あいつの口ぶりから考えりゃ、あいつの国元ってのは佐幕の気質が強ぇんじゃねぇかって」
「……そう、ですね」
「そう考えると、このご時世だろ。実はもう、どこかしらで関わってる可能性も、あるんじゃねぇのかって――……」
本当に土方は勘の働く男だと感じ入る。だからこそ踏み込めない。
が、だからこそ、仮に打ち明けるとするならば今なのかもしれない、という思考も頭の隅をちらつき始める。
そう、今はどうあれ、斎藤は一度『葛の国元』を見限った。それは動かしようのない事実なのだ。だからこそ――不確実性が高いからこそ、それを土台に置いて話をすれば、改めて会津との関りに疑いを持たれること自体を回避できるのではないか。それこそ、葛と同じ、懐に入れた人間に対しては少々盲目なきらいがある、土方が相手であればこそ。同じ勘働きの良い永倉相手では誤魔化せないことも――土方相手なら、『身内』であることを逆手に取るのは、有効ではないだろうか。
……そこまで思案して、斎藤は改めて息を吐いた。一度では足りなくて、さながら深呼吸でもするように息を吸い、もう一度溜息を吐く。
葛の、愁介の想いを汲むのであれば、どの道このまま黙っているべきだ。それは間違いない。
が、仮に。
本当に、もし、仮に、今後愁介の正体が土方に知れるようなことがあるとして。
ここで知らぬ存ぜぬを通した場合、確実に斎藤の立場は今より半端で危うくなる。会津との関係が切れていたなら何故言わなかったのかと詰められれば、弱くなる。
――ああ。愁介の想いと己の立場などを秤にかけている己が、酷く浅ましく滑稽だ。
これだから『山口』が嫌いだ。そして己も『山口』なのだと今更改めて突きつけられたようで、ほとほと嫌になってくる。
「……土方さん」
「ああ」
斎藤は自嘲を隠さず薄く頬に浮かべ、三度息を吐いて、肩から力を抜いた。
「仮に打ち明けたとして……」
「……ああ」
「私のことを、見放さずにいてくれますか」