かつての二人
「まだ俺が二十歳かそこらで、天然理心流に正式入門すらしてねぇ頃だった」
土方は静かに語りながら、何かを探すように周囲を軽く見やる。
「葛は……十かそこいらのガキだったあいつは、その年齢に一切似合わねぇ、うらぶれた隠居爺みたいな顔してこの辺りでぼーっと暇潰ししてたよ」
葛が十そこそこだったということは、斎藤と彼女が引き離されて三、四年が経った頃ということだ。その頃、斎藤もまた十を過ぎて一、二年ほどの子供で、当時はまだ「働きが認められれば再び葛の元へ行けるのだ」と信じて疑っていなかった。
ただ、そうして偽りだったと言えど目指すところに向かい必死だった斎藤と、恐らくすべてを諦めていたであろう葛とでは、日々の過ごし方が違っていたであろうことは明白だ。先ほど、この場所に覚えた閉塞感は、あながち思い違いではなかったのかもしれないと、斎藤ももう一度周囲を見回した。
「あいつと会ったのは、たまたまでしかなかった。ただ、そんな年端もいかねぇガキに、初対面初っ端から目の前で血ィ吐いて逃げられちまえば……まぁ、気になるだろ?」
土方は当時を思い返すように目を細め、ふっと苦笑に頬を引き上げる。
「俺はお袋を労咳で亡くしてる。お前なら知ってるんだろうが、葛は労咳ってわけじゃなかったにしろ、病の症状としちゃ当時の俺にゃそう違わねぇもんに見えた。労咳を患ったモンの寂しさっつーか……そういうのは多少なり知ってたつもりだったから、余計に放っておけなくなって、そこをきっかけに折々様子を見に来るようになったんだよ」
「……土方さんも、物好きですね」
「お前、言うに事欠いてそれか」
土方は軽く噴き出して一笑に付したが、病の子供の面倒を進んで見ようなど、普通に考えればなかなか思う者はいないだろう。葛の正体を知らぬ上では、実際は『面倒を見る』まではいかず、言葉通りの『様子見』程度で付き合っていたのだろう。が、どちらにせよ、正体も知れぬ子供の様子見をしようなど、やはり物好きという外に言葉が見つからない。
「……あいつは俺のことを『一番大切な友人にちょっと似てる』つってたよ」
土方が目をすがめ、どこか悪戯っぽさの垣間見える表情で斎藤を見やった。
斎藤はとっさに言葉を返しあぐね、はくりと小さく口を開閉させるしかできなかった。
「あの当時は、誰のこととも詳しく聞かなかったし、あいつも話さなかった。だからこそ俺の知る由もなかったが……要はそれが、お前を指してたってぇことなんだろ」
「私と土方さんが……似ているとは、思いませんが」
「知らねぇよ、あいつが言ったんだ。まぁ、それこそお前と別れて寂しかったってぇのもあったんじゃねぇか。当時のあいつには俺以外、誰もいなかったんだ。そうだろ?」
仔細は知らずとも、少なくとも土方は当時の葛の孤独を正しく知っているようだった。
その口ぶりに、斎藤は言葉で答えず軽く目を伏せる。
「……そのような頃から、葛様が亡くなるまでの五、六年間、ずっとここで?」
「あぁ。そう頻繁にってわけにもいかなかったが、月に何度かはここで会って話して……他にも何やかんやありはしたが、まぁ、そうだよ」
「それで夫婦となる約束まで交わすなど……土方さん、実は幼女趣味がおありだったのですか」
「おまっ、誰がだ! うっせぇわ! あと数年待ちゃ誰よりいい女になってたんだよ、あいつは!」
遺憾の意に声を荒らげながら言って、しかしその直後、土方は己の言葉を噛み締めるようにもう一度「……ほんとに、あと数年ありゃな」と繰り返した。
俯けられた瞳に悔いが垣間見え、だからこそ、やはり土方は今も、かつての斎藤と同じように葛の行方に気づきもしていない様子が伺える。
「……葛様は、当時どのような格好をなさっていましたか」
「あ? 格好? ……ああ、男装のことか?」
己の知る『葛』と違わぬ姿であったことが知れ、その上で愁介を見て疑いこそすれ未だ結びついていないということは、やはり愁介の言葉は違わなかったのだなと改めて知れる。すなわち、死の後から急速に身体が男に寄せて成長していった、という話。
――完全に男と認識している相手が、顔だけ葛に似ていれば、確かに少々忌避する想いもわからないではないか。
ようよう改めて得心がいったような、しかしそれでもやはり複雑なような、何とも噛み切れない心地を味わって唇を引き結ぶ。
そうして斎藤は息を吐き、改めて広々とした、しかしどこか囲われた檻のような河原を眺めた。