風の吹く先
――言動を見る限り、未だに愁介の正体に気付いていない様子の土方ではあるが。斎藤と引き離された後の葛を知る彼ならば、当時の彼女の療養先も知っていたのではないだろうか。
当時の土方と交流があったことを思えば、葛は会津の隠れ屋敷を出た後、江戸の近辺にいたことは間違いない。同じく江戸の会津屋敷に出入りしていた斎藤が気付かず、土方が交流を持てたと言うことは当然、江戸の会津屋敷内ではなく、別のどこかにいたのだろう。
葛は……愁介は、どこで育ったのだろうか。どこで、どのように過ごしていたのだろうか。
『土方と会うまでは死にていで過ごしていた』と、最低限のあらましは当人の口から聞きはしたが、それ以上の細かい話は踏み込むのも躊躇われ、その話は聞けず終いだった。
できることなら知りたい、と。
そう思い、そう思うことはおこがましいだろうかと自問したところで、隣にいた藤堂が不意にぽつりと呟いた。
「……オレも、お前を見習っていくのがいいんだろうなー」
ほとんど独り言のようだったその呟きに斎藤が顔を振り向けると、ところがそこで斎藤が口を開く前に、少し離れた場所から「おや」と艶のある声が投げかけられた。
「藤堂くん、斎藤くん。お二人もひと休みですか」
「あ、伊東先生。お疲れ様でーす」
先ほど土方が消えていった濡れ縁の奥から、伊東が姿を現していた。
藤堂が手を振れば、伊東はふわりともニヤリとも言えない含みを持った笑みを浮かべ、濡れ縁を伝ってこちら側へ――中庭を挟んだ向かい側へと歩み寄ってくる。
「面接、終わったんですか?」
「いえ、少々疲れが出てきたようですので、小休憩を」
伊東は和やかな声音でそう言ったが、土方の言っていた通り、明らかな疲れを感じる程度には、やはり退屈な面接となっているのが実情なのだろう。
「ふふ……土方さんは入隊希望者に対しても、変わらず厳しくていらっしゃる」
口元に手を添えて目を伏せ、小さく肩を揺らす伊東のそれが、言葉通りの意味でしかないのか、何か別の意図を持った嫌味のようなものなのかは、斎藤には判別ができない。ただ、こういう物言いが土方の癇に障っていることは間違いないのだろうとは思う。
「もー、先生その笑い方、だから妖しいですってば」
しかし少なくとも、以前から付き合いのある藤堂は単純に言葉通りと受け取っているようで、屈託なく伊東に対して手をはためかせながら笑い返していた。
「ま、土方さんの人を見る目って何やかんや確かなんで大丈夫かなーとは思うんですけど、先生の目から見て有用そうな人材は土方さんが顔しかめてても、ちゃんと言ったげてくださいね。そのために土方さんも、今回は先生に同行してもらってるんだと思いますし」
「そうですねえ、ふふふ。ご期待にはしっかりお応えしなくては」
「どうですか、伊東先生から見て、今回の新入隊士達は」
「そうですねえ、実力如何は当然、藤堂くんや斎藤くんのお陰で申し分がないと思います。ただ、やはり全体として佐幕思想に偏りがちなのは、私としては気になってしまうところですね。むろん、二百四年の徳川の御世は尊ぶべきものですし、武士としては当然の畏敬です。しかし現状、その御世が揺らいでしまっていることは隠しようのない事実ですから、朝廷を軸としての政を図ることは、徳川様のためでもあると思うのですよ。新選組も、それらを踏まえた上で働ける組織へと視野を広げていくことこそ、国を支える礎ともなれるのではないか、という想いはやはり強く思います」
伊東は歌うように、やわらかく朗々と話す。この演説めいた物言いが、声が、どうにも耳障り通いと感じるのが、伊東の魅力でもあり、厄介なところでもあると、やはり斎藤は思う。
藤堂と伊東、二人の会話の空気感に限れば、これらは実に仲の良い師弟のやり取りでしかない。伊東とて、やはり良かれ悪しかれ新選組に『新風』を起こしているのには間違いなく、それは近藤や藤堂の思うところでもあったはずだ。
……が、この『新風』に良い顔をしていないのが、土方と、そして生前の山南にも思うところがあった様子なのだと、この事実を恐らく藤堂は知らない。土方については相性の問題だと言ってしまえば、現状はまだそれまでなのかもしれないが、果たして後者はどうなのだろうか。
「せっかく新選組も、幕府のご重鎮方とも繋ぎが利くようになってきているのです。幕府は未だ長州征伐について足踏みしていますが、今は長州の国力と行動力を味方につけて、外交をはかっていくべきではないか――くらいの柔軟な考えを、新選組のような立場だからこそ持つことも、肝要ではないでしょうかね……ふふ」
「え、でも先生。さすがに長州は……朝敵の立場ですよ?」
「立場より、それが国のためとなるか、ならないかの問題ではないかと思うのです、藤堂くん。もちろんこのようなこと、幕府の中心で突然言い出せば問題もありましょう。ですが、外部にいて、広く世を見ている新選組だからこその立場として申し上げれば、そこで『考える余地』が生まれると思いませんか? それが最も、大切だと私は思うのです」
「ああ、なるほど……考えて話し合うっていうのは、確かに何においても大事ですもんね。うーん、深いなー」
藤堂は咀嚼するように頷きながら、斎藤を見やって「なー?」と思案顔になる。
「オレ達だって立場を変えて、立場を変えたくて働いて来てるのに、やっぱ相手のことを立場で見ちゃうところってあるよな。確かに伊東先生の言う通り、その辺もっと柔軟に見て考えられれば、世の中も変わっていくのかな」
「……そうだな。それがやはり、なかなかに難しいのだろうが」
斎藤は否定をせず、薄く苦笑を浮かべて顎を引く。
常に素である藤堂のお陰もあり、このやり取りが『微笑ましい教え子達の会話』にでも見えたのか、伊東はやはり艶やかな笑みに小さく肩を揺らしながらこちらを眺めている。
――例え内心、斎藤自身が尽くすのは、朝廷でも幕府でもなく、会津であればそれでいいと割り切っていようとも。そしてその会津の立場としては、『立場』は過去の積み重ねであり、しかも長州はその『過去』があまりに真新しい出来事ばかりで許容の余地はない、と思っていようとも。
斎藤は、たった今ふと視線に気がついた、というていで伊東を見やり、少々恥じ入るような薄い笑みを返した。