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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◇ 二章六話 手結びの絆 * 元治二年 三月
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新たな距離

 西本願寺を出た後、斎藤はかつての屯所があった中京の壬生へ足を向けた。


 特に急ぐでもなく、随分と春めいてきた風を全身に受けながら進む。暖かくなってくると、街中の喧騒もより賑わいを増す気がする。が、斎藤はそれらを気に留めることもなく、ただゆったりと、春のほのかな甘みを感じるような空気を味わいながら目的地に向かった。


 ほどなく辿り着くと、いつもと変わらず門は開け放たれたまま、静かに来る者を待つ様相を呈している。


 そんな門をくぐり、ひと気のない前庭を抜けて奥へ向かえば、思った通りそこに目当ての人影があった。


「……平助」


 さして大きな声でもなかったが、短く呼ぶと、ひとつの墓の前に座り込んでいた藤堂平助は、癖のある髪をふわりと揺らしてすぐさまこちらを振り返った。


(はじめ)


 その顔に、にへらと気の抜けたような笑みが浮かべられる。


 ――山南が亡くなってから、およそひと月。結局藤堂は江戸に戻ることなく、京で職務に復帰していた。普段の様子はすっかり落ち着いたもので、当然誰かを責めるようなこともなければ、以前と同じようによく笑うし、周囲との付き合いの良さも大きくは変わっていない。


 ただ、それでも藤堂はこのひと月、暇あらば光縁寺の山南の墓へ通っている。


 本当に己の中で消化できつつあるのなら良いが、まだひと月。斎藤は斎藤で、どうにもやはり気になってしまい、屯所に姿が見えなくなるとこの光縁寺へ迎え来る、という行動が半ば日常化しつつあった。


「ごめん、また捜させた?」

「いや、用があったわけじゃない。先ほど愁介殿が、永倉さんと原田さんの祝いに屯所へ来ていたんだが……部屋にいなかったから」

「一も結構マメだよね」


 藤堂が妙にばつ悪そうに言うものだから、斎藤は毎度の抑揚の薄い声で「平助のほうがよほどマメだと思うが」と首をかしげた。


 途端、藤堂は立ち上がって「ちっがうよ」と破顔して笑う。


「面倒かけてごめんねって意味」

「面倒とは思ってない」

「言うと思った」


 藤堂はカラカラと笑いながら袴の土埃をはたき、重いものを下ろすように溜息を吐く。そうして改めて山南の墓を見つめながら、ぽつりと呟いた。


「何かまだ……どうにも、離れがたくて」

「ああ」

「でも、このままずっと『兄離れ』できないんじゃ駄目だよなぁ」


 言いながらも、じっと墓に留められたままの瞳は、どうしたって寂しげに見えた。


「別に……無理に離れようとしなくて、いいんじゃないか」


 斎藤も、平助から山南の墓へと視線を移す。信心深いわけでもないため、挨拶は目礼で簡易的に済ませて再び隣を見やると、藤堂は少しばかり虚を衝かれたような顔で斎藤を見ていた。


「……無理に離れて忘れようとしたって、どうせできない。少しずつでも前を向こうと思えるなら、俺はそれでいいと思う」


 つらつら答えてから、斎藤は胸中で自嘲を漏らした。


 ――本当に、少しずつでも、彼なりのやり方で前を向こうとしているだけ、よほど強い。心底、そう思う。斎藤はそもそも、前を向こうとすることすら、拒絶した人間なのだから。


 しかし、そんなことを知る由もなく、藤堂は照れくさそうに、そしてやはり寂しそうに目をたわめて微笑する。


「そうかも。一は、乗り越えたんだもんね。オレにだって……できるよね」


 とんだ買い被りだ、と言ってしまうのは簡単だが、斎藤は言葉を呑んで「ああ」と首肯を返した。そうすることで、斎藤が藤堂の言葉にわずかに心を拾い上げられたように、藤堂にとっての何かとなるなら、それでいいような気もするのだ。


 無理に明るく元気になって欲しいわけではないが、己の立場に許される範囲でなら、少しくらいは寄り添えればいいと思う。己の時にそういった相手がいなかったからこその『ないものねだり』を、身勝手にしている自己満足かもしれないが。


「……まだ話していたいなら、付き合うが」

「んー、今日はもういいや。だいぶあったかくなってきたとはいえ、ちょっと尻が冷えた」


 ということは、思った以上に藤堂は長居していたらしい。


「……非番だったか?」

「んにゃ、今夜からの夜勤」


 ならば本来、夕刻までは体を休めていたほうがいいわけだが、それを口にするには、まだひと月という期間は短すぎる気がした。


 代わりに「なら帰るか」と、言外に今から少しだけでも休むよう促す。


 それに答えるように斎藤に微笑み返した藤堂が、しかし次の瞬間、わずかに後ろへ視線をずらして、少し驚いたように目を瞬かせた。


「……あれ。土方さん」

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