平助へ
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平助へ
これを読む時、お前は泣いているだろうか。それとも、呆然としているばかりだろうか。
申し訳ないと思う。平助がこの文を読んでいるということは、私はもう、腹を切り終えているはずだ。
私は昨夜、二月二十一日の夜半に、新選組を脱走した。
明日の朝一番には、再び屯所への帰路に着くだろう。
お前に何の相談もなく、本当に申し訳なく思っている。
ただ、お前にだけは誤解をして欲しくなくて、筆をとる。
私は、己の足で屯所へ戻る。誰のせいでもなく、何が問題ということもなく、すべてが私の意志で成ったことだと、知って欲しくて文を残す。
平助。怒るだろうか。私を叱るだろうか。
お前は私に「胸を張って迎えてくれ」と言った。しかし、すまない。今の私は、お前に胸を張れる人間ではなくなっていた。
私がずっと自傷を続けていたこと、お前は気付いていただろうか。
きっと、気付いていて、見ぬふりをしてくれていただろう。
侍が、国のためでなく、名誉を守るためでもなく、単なる自傷のために刀を握る。最低な行為だと自覚はしていた。しかし、それでも私は見ぬふりをしてくれていたお前に甘え、周りを誤魔化してでも、そうせずにはいられなかった。
私も、本当は役に立ちたかった。日々騒然としてくる国の情勢を見ながら、それでも必死に前を向いている近藤さんを支えたいと思っていた。それから、時々どうしても突っ走ってしまう土方くんに歯止めをかけたいとも思っていた。この本心は、お前もよく知ってくれている通りだ。
ただ、それなのに私は、どうしても、大きくなっていく組織というものに馴染めなかった。副長という肩書きも、総長という肩書きも、いつの間にか私には重荷にしかならなくなっていた。
何かしたいのに、何もできなかった。何をすればいいのかが、わからなかった。
なのに皆は、昔と変わらず私を慕ってくれる。土方くんと対をなすべきは私であるべきだと期待をしてくれる。次第にこの声が彼の耳に届かなくなっていっても、変わらず。
本当に、何もできなかったのに。
そして何より、そのように考えてしまうこと自体が、私にとっては酷くつらかった。
そんな折、お前からの気遣いがこもった文を受け取って、思わず考えてしまった。
どうしよう。胸を張って帰ってくる平助に、何ひとつ胸を張れないままではいられない、と。
悩んだ。私が胸を張って平助を迎えるためには、どうすればいいだろう。胸を張れるほど誇れる自分になるためには、何をすればいいだろう。
そうして、本当に今更だけれど、私はこれ以上、お前に見栄を張ることも弱みを隠すことも、嘘をつくことも、全てしたくないなと、ついに思った。
私はこれまで、お前に弱い己を見せることを、恐ろしく思っていた。意味のない肩書きにさえ恐れ、重荷に思うような弱い私を知れば、平助は私に幻滅するかもしれない。そう思い、とても、とにかく恐ろしかった。
しかし、お前からの真っ直ぐな文を、幾度も幾度も読み返す内に、気が付いた。
恐れるということは、私は、お前を信じていないのだろうか。そんなことで嫌われてしまうほど、私達の絆は、浅いものだったろうか。
例えば逆に、平助が、私の思っているよりもずっとずっと弱くて、臆病な人間だったとして、私はそんなお前に幻滅するだろうか。
答えはすぐに出た。幻滅など、するわけがなかった。
ならばきっと、平助も幻滅などせず、変わらず、私を私と認めてくれるに違いないと気が付いた。
ゆえに、ありのままの己をさらけ出そうと思った。単純に、平助に胸を張れるだけの己に戻りたいと思った。そうなるためには、私は私らしくあらねばならないと思った。
そこまで思案した時、とても率直に、そうだ脱走しよう、と思い至ったんだよ。
私の死は、今後の新選組にとって、何かしらの意味と意義を見出してもらえるものになるだろう。何しろ近藤さんも土方くんも、私をまだ仲間と思ってくれているだろう。今ならまだ、二人は必ず、私の死を組の礎にしてくれるだろうと信じられる。
とはいえ、組の礎になることが胸を張れるほどの誇りだとまでは、正直、思ったわけではない。
ただね。お前だけには言える、本当の本音としてはね。
私は土方くんが嫌いだし、疎ましくて仕方ないから、彼が心底厭うような嫌がらせをしてやりたいと思った。
お前も知っての通り、私は、頑固さと意固地さと偏屈さと性悪さなら、人一倍だからね。まさに一世一代を賭けて、私の本気の本音を、全て彼にぶつけてやろうと思った。
平助。やはり、お前は怒るかな。
怒るかもしれない。
でも、同時に、これになら命を賭けてもいいと思えた。こんなくだらないことで意地を張って、こんなことで抗議を示そうとする私が私であるのなら、それをさらけ出してしまいたいと思った。
今だからこそ、昔話をひとつ、残しておく。
二年前、まだ江戸でくすぶっていた私達が、将軍様警護のために京へ発つ、その直前のことだ。私と土方くんは、ひとつ、約束を交わした。
元は一介の浪人風情でしかなかった私達だが、土方くんは、近藤さんをのし上がらせるために精を尽くしたいと言った。浪士風情が起こす一動と、元から大大名のお殿様が起こす一動では、例え同じ行為であっても、お上への印象に天と地以上の差が出てしまうだろう。その天地を覆したいと、土方くんは言った。
ただ仕事をこなすだけでなく、近藤さんの成すこと、成したことを、一体どれだけ大きく見せるか。どれだけ大げさに演出するか。一体どれだけの価値をつけて、お上に近藤さんを認めさせるか。そのために奔走したいのだと言った。
そして同時に、彼は、私に近藤さんを守るようにも言った。時々自身が暴走する悪癖があることを、土方くんは当時から重々、自覚していたからね。ゆえに土方くん自身から近藤さんを守ってくれと、彼は私に頼んだわけだ。近藤さんのためなら何をするのも厭わないが、それで近藤さんを窮地に追いやってしまっては本末転倒だからと。私の言葉になら、近藤さんも、そして土方くん自身もきちんと耳を貸すからと。
私と彼は、あの時、そんな約束を交わしていた。
ところが、どうだ。彼はその約束を違えていると思わないか。
私の言葉には耳を貸すと言ったくせに、今となってはそれもなかなかない。
話を戻そう。
だからこそ、私は彼に、盛大に嫌がらせをしてやろうと思ったわけだ。
話が矛盾していることは、私自身もよくわかっている。
元々はお前に胸を張りたいがために始めたはずが、気付けば嫌がらせに終始しているのだから、私も本当に意地が悪い。
先にも書いたが、組のための死を誇ろうとは思っていない。お前を残して逝くことが最善だとも、到底思っていない。
しかしそれでも、そうして私が私を我慢せず、本気でさらけ出したことだけは、確実にお前にも胸を張れる。何しろ今、既に、思っていた以上に清々しい気持ちだ。
だから、そのことだけは、お前にも知っていて欲しいと思った。
平助、呆れたか。馬鹿だと思うか。
馬鹿だと呆れるなら、それでも構わない。罵ってくれて構わない。
ただ、お前にだけは知っていて欲しい。
私は私の生涯に、悔いはない。
これまでは、何もできない己が、ただただ悔しかった。ゆえに私は私から逃げ、ずっと自傷を続けていた。しかし、そのまま朽ち果てるのではなく、どんな形であれ、最期にこうして奮起できたことに、私は満足している。本当に、思っていた以上にね。
お前にだけは、全て知っていて欲しいと願うから、今、こうして筆をとっている。
その上で、改めて、ひとつだけ頼みがある。
どうか周りを恨まないで欲しい。自身を責めることも、しないで欲しい。
私は散々、土方くんが嫌いだ何だと書き綴ったが、彼のせいで私が死んだなどとは、思わないで欲しい。そして何より、お前の文のせいで、私が死を決意しただなどと、誤解しないで欲しい。
全ては、私の意志だ。
試衛館は、新選組は、私が唯一、己の生涯をあずけ、共に生きようとした場所だった。お前もそのはずだ。だから、新選組を恨むことだけは、しないで欲しい。
そして、私の後を追うようなことも、しないで欲しい。
泣くなとは言わない。むしろ、泣いてくれると嬉しい。
ただ、自暴自棄にはならないで欲しい。
お前は変なところが私に似ていて、天邪鬼で、弱くて、見栄っ張りなところがある。
しかし、泣いても、落ち込んでも、目の前の物事を受け入れて乗り越えられる男だということも、私は知っている。
お前を想う人間が、私だけではないことを忘れないで欲しい。決して一人ではないことを、見失わないで欲しい。
どうか、この願いが正しく伝わりますよう。
それでは、最後に。
江戸でのお勤め、まことにご苦労様に存じます。
いつも傍らにいた皆がいない中では、大変なことも多かったろう。長い期間、よく頑張った。お前は、お前こそが、私の唯一最大の誇りだ。
私ふぁ、お前の誇らしげな笑顔を見ることは、もうない。
しかし、ひとつだけ、お前にだけ、約束しよう。
お前がこの先、侍らしく討ち死にして、あるいは年老いて、生を全うして。
そうしてもし、お前が今回の私の愚行を許してくれて、全てを終えた後にもまた、胸を張って、もう一度私に会いに来てくれたなら。
その時は、私ももう逃げず、胸を張り、面と向かって、お前にお帰りと言おう。
これほどに情けない私だけれど、きっと近藤さんも土方くんも、私を許してくれるはずだ。優しい人達だから、私はきっとこの後、武士らしく最期を飾って、生を遂げる。彼らにそれを許される。
だから、待っている。
待っているが、でき得る限り長く、見守り続けたいと願う。
次、私達が再び出逢う時は、互いに笑顔であることを祈る。
平助。このような私を、これまで家族のように、兄のように、真っ直ぐに慕ってくれてありがとう。
お前のような弟を持てて、心から幸せだった。
お前のこれからの生が、輝かしく、実りあるものでありますよう。
元治二年、二月二十二日 山南敬助