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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◇ 二章四話 太陽の別れ * 元治二年 二月
162/203

脱走の建前

「私が何をしたって言うんだ……」


 山南は本当に小さく、か細く、妙にちぐはぐに感じる言葉を独り()ちた。本来それは、糾弾された者が無実を訴える時に使う言葉ではないのか、と思うが……尊敬と称賛を拒否する意図で使われることがあるなど、さすがに思いがけなかった。


 だからこそ、重い、と告げたのが本心であることも、嫌と言うほど伝わったけれど。


 ……何も言えなくなる。


 山南は「土方に(あるいは近藤も含まれるのかもしれないが)耳を貸してもらえない」と言ったが、斎藤自身はそうは思わない、というのが本音だった。土方からすればきっと、耳を貸さなかったのではなく、山南の言葉を諸々咀嚼した上で、必要な時にだけ山南の意見を跳ね除けていた、ということに過ぎないのだろうと思う。でなければ、土方がわざわざ山南の扱いに心砕くことはなく、先刻副長室で見せたような表情を浮かべることもなかったはずだからだ。


 が、斎藤がそう思うのはあくまで斎藤自身の主観であって、第三者から見ればまた意見も変わるのだろう。斎藤の傍らに沖田がいることも大きいのかもしれない。それがわかっている上で、今の斎藤に言えることは、何もないような気がした。永倉や原田、それこそ沖田でさえ覆すことができずにある現状を、斎藤ごときの言葉で動かせるとは到底思えなかった。


「私が脱走した理由を、訊いたね」


 唇を引き結んだ斎藤に、改めて山南がぽつりと言う。


「……はい」

「私はね、今の内に、土方くんに後悔してもらいたかったんだよ。この先に後悔してたんじゃ、もう取り返しがつかないかもしれないからね」

「後悔、ですか」

「さすがにね、自負はしているんだ。近藤さんも、土方くんも、まだ私を仲間だと思ってくれていることを」


 改めて頬を緩ませた山南の表情は、本当に、実に、穏やかなものだった。


 斎藤は静かに、深く、首肯を返した。


「それは、勿論。おっしゃる通りだと思います」

「ありがとう、そうだよね……うん、そうだよね。でも……そう自負しているからこそ、私じゃないと意味がないとも思ったんだ」


 含んだ物言いに軽く首をかしげると、山南は促されるまま頷く。


「私から見れば、土方くんは今、目的のための手段を選ばなさ過ぎている部分がある。例え向かう先が正しかったとしても、道は選ばなければ敵を作るばかりだ。それを口で言って伝わらないなら、行動で伝えるしかない。そうだろう?」

「それは……そう、かもしれませんが、現状を鑑みれば肯定はしづらいです」

「ははは、正直に答えてくれてありがたいよ。ただ、そうだね。もうひとつ付け加えるなら、私が今、隊規をもって腹を切れば……この先起こるかもしれない『何か』のけん制になるかもしれない、とも思っているよ」


 ふっと目を伏せて、山南は視線をどこか遠くへ流しやった。


「……いくら引きこもっていても、妙な空気が流れ始めてることは最低限、わかっているつもりだから」


 山南はそれ以上のことは言わなかった。ただ、ちらとこちらへ視線を戻し、斎藤が神妙に瞬いたのを見て、その意図を察したことだけは伝わったようだった。


 ――なるほど、本当に考え抜いた上での行動だったのだろうと、一つひとつを咀嚼していく。


 が、とはいえ、まだそれらの理由だけでは納得しきれないのも本音で、斎藤はまたひとつ、溜息を吐いた。


「……山南さんのおっしゃりたい建前(ヽヽ)は、わかりました」


 言えば、山南はわずかに目元に力を込め、それから眉尻を下げた。


 そうして開かれかけた口を制するように、斎藤はすぐさま「では藤堂さんはどうするのですか」と、再びその名を突きつける。


「……建前(ヽヽ)か」

「違いますか。何しろ脱走の理由が本当に今おっしゃったことだけなのだとすれば、あまりにも藤堂さんのことがおざなりになっているように思えましたので」


 抑揚なく淡々と、突きつけるように言えば、山南はいよいよ困ったようにあごを引いて膝元に視線を落とした。


 が、どうしても……どうしても、言っておかなければならない気がした。聞いておかなければならない気がした。今は江戸にいてまだ何も知らずにいるはずの藤堂が、後に今回のことを知った折、彼自身が納得できるだけの、山南の本音を。


 ()を喪い周囲を見失っていた斎藤を、唯一、正しく理解した藤堂だからこそ。山南を「お天道様だ」と言って笑った藤堂だからこそ。藤堂自身の知らぬ間に、その「お天道様」を喪うことに、なったとしたら――……


 ――当時の斎藤よりも、酷いことにならないだろうか。


 その懸念が、今この状況で、斎藤にとって一番腹の底に溜まる澱の正体なのだ。

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