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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◇ 二章四話 太陽の別れ * 元治二年 二月
156/203

憔悴の笑み

 山南が、まるで逆に沖田を引き連れてきたかのように率先して自ら門をくぐり、屯所に戻って来たのは、翌二十三日。脱走が知れてから、わずか一日余りしか経っていない昼過ぎのことだった。


 以降、屯所内は山南の話題で持ちきりだ。少し部屋を出れば、静かなのに妙に騒がしく感じる――そんなひそひそ声があちこちから聞こえてくる。そんな落ち着かない空気が、屯所中に蔓延していた。


「……沖田さん、少し眠ったらどうだ」


 山南を近藤らに引き渡し、部屋に戻ってきた沖田の顔からは、一切の血の気が引いていた。色々と聞きたいこともあったが、部屋に入ってきたその顔を見た途端、斎藤は先の言葉をかけずにはいられなかった。


「そうですね……いえ、昨夜も宿に一泊はしてきたんですけど」


 沖田は後ろ手に障子を閉めた後、その場に立ちすくんだまま答えた。


「でも、何だか昨夜は、とても寒くて」


 表情だけは普段通りの柔和な笑みを浮かべているのに、沖田が呟いたのは酷く頼りなげな言葉だった。


「寝ろ」


 斎藤は一も二もなく言って立ち上がった。押し入れから夜具を一式放り出し、適当に敷いてその場を指差す。


「しばらく目を閉じるだけでいい。一刻ほどしたら起こす」

「……さすが斎藤さん、そういうの手馴れてますねぇ。愁介さんが『昔から過保護だった』っておっしゃるの、よくわかります」


 愁介から過去の話を聞いていたのか、沖田はからかうように言った。


 が、斎藤はすぐさま抑揚なく「言葉を返すが」と反論する。


「試衛館にいた時、あんた自身、風邪を引く度に散々土方さんにもこうして面倒を見られてたのを、忘れたとは言わせないからな」


 第一、そうして床へ押し込まれた沖田をその後に看病させられたのは、当時も同室だった斎藤である。


 言えば、沖田は「あはは」と力なく笑って顔を伏せた。


「そうでしたね。……そうでした」


 息を吐き、それから今度こそ大人しくもそもそと就寝の体勢を取る。


「……山南さん、離れの奥の間で謹慎になってます」

「そうか」

「さっき、すぐに永倉さん達が部屋に向かってました」

「そうか」

「斎藤さんも、行きたいかもしれませんけど……」

「今は行かない」


 答えて、部屋の奥の壁に背を持たれて座れば、沖田はようやくまぶたを下ろしながらわずかに肩を下ろした。


 沈黙が落ちる。


 沖田が眠ったのかどうかはわからない。斎藤が言ったように、目を閉じているだけかもしれない。


 それでも、ひとまず静かに胸が上下しているのを見て、斎藤も静かに深く息を吐き出した。


 ――昨夜、宿に一泊した。


 先ほどの沖田の言葉を胸中で反すうし、冬の落ち着いた陽の光が射す障子を眺めるともなく視界に入れる。


 屯所から馬で半日もかからない場所で一泊した。ということは、昨日早朝に発った沖田が、その地点、もしくはそこからわずかに先の場所で山南に追いついたということだろう。やはり斎藤の考えた通り、山南は急ぐでもなく随分とのんびり江戸への道を進んでいたらしい。


 沖田が山南を見つけた時、山南はどういった表情を浮かべたのだろうか。何を言ったのだろうか。昨夜、二人はどんな会話を交わしたのだろうか。


 考えてわかることではないが、ただ……――沖田の憔悴ぶりと、山南のほうが先導するように帰ってきたことを思えば、やはり山南は何もかも承知の上で屯所を出たのだな、ということだけは明白だった。


 思わず溜息がこぼれ落ちた時、ふと、深い呼吸音が聞こえてきた。


 改めて見やれば、どうやら沖田は本格的に眠りに落ちたようで、ゆっくりと寝息を立てていた。それに少し胸を撫で下ろし、でき得る限り気配を消して立ち上がる。


 押し入れから半纏を取り、掛布の上から沖田の足元にそっと広げ置く。


 ――寒い、と独り言ちたそれが、言葉通りの意味とは限らないにせよ。誰のためともなく、沖田の体調が悪化しなければいいと、今はただ願うしかなかった。


「……総司。斎藤。いるか」


 部屋の外から、不意に遠慮がちな声が聞こえてきたのは、そうして斎藤が身を起こした直後だった。

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