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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◇ 二章三話 穏(おだ)ひの間 * 元治二年 二月
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春告げ鳥

「斎藤さん、屯所に戻ったら手合わせしてください」


 蕎麦屋を出ての帰り道、隣に並んで歩いていると、脈絡もなく沖田が言った。


 道の両脇に溶け残っている残雪を見るでもなく眺めながら進んでいた斎藤は、いつも通りの穏やかな沖田の声と吹き抜けていく冷や風に促されるようにして、隣に目を向けた。


「……随分と唐突だな」

「そうですか? でも、最近斎藤さんと手合わせできてないなあってふと思いまして」


 沖田も、歩調を変えぬまま斎藤をゆるく仰ぎ、ふわりと目元を和ませてぼんぼり髪を揺らす。


 それは確かに、と斎藤は小さくあごを引いた。年末からこちらにかけて何かと慌ただしかったこともあり、今日のように非番などが重なることも少なく、何だかんだと『決闘』以来になるかもしれない。


 ――身体は、と問いたくなったが、問えば病人扱いだと『決闘』の折の約束を違えることになるやもしれず、斎藤は舌先で軽く歯の裏をなぞって誤魔化すように口を開いた。


「……手加減はしないぞ」

「ふふっ、そんなことしたら、あっという間に首取られちゃいますよ?」


 そう答えた沖田の声は、初春の薄青い空によく透り、確かに病人とは思えない快活さを明るく含んでいた。


  -*-*-*-


 ビリビリとした肌を突き刺す感覚に、斎藤は即座に半歩退いて上体をのけ反らせた。


 瞬間、木刀の切っ先が鼻先すれすれをかすめていく。


 それを機とばかりに下段になっていた己の木刀を切り上げたが、今度は沖田が後ろに跳び退いて一撃を交わされてしまった。


 だん、とん、と板張りを踏みしめる沖田の足音が道場に響く。いつの間にか他に稽古をしていた者達は揃って手を止め、斎藤と沖田の手合わせを注視しているようだった。


 既に一本取られ、一本取り返しての三本目。さすがに息が上がり、しんと静まった道場の中で己の荒れた呼吸音がいやに大きく耳の奥で響く。


 まったく、本当に労咳(ろうがい)とは思えない動きをいくらでもしてくれる。周囲に見抜かれないようにという沖田の努力の賜物なのか、あるいは労咳だったというのが医者の勘違いだったのではなかろうか、と思うほどだ。


 斎藤は無意識に口の端を上げた。


 それでいい、と思う。沖田にはいつまででも今のようにいてもらいたい。新選組のためにも、引いては会津のためにも――……愁介のためにも。


 正面にいる沖田と睨み合い、合間に呼吸を整えながら、頭の隅でそんな思考が浮いてはほどけていく。


 と、そんな一瞬の思考の隙を読み取ったように沖田が再び踏み込んだ。


 木刀が伸びたような錯覚を起こす勢いで喉元に向かって突きが繰り出される。かろうじて己の木刀を当てて軌道を反らし、その勢いで柄を片手に持ち替えて突きを返す。


 が、その切っ先が沖田の肩へと届く直前に、逸らしたはずの沖田の剣先が首の皮一枚のところをヒュッとかすめて、斎藤は動きを止めた。


 沖田も同様に、そこでぴたりと制止する。


「……頸動脈が切れたな」

「ほらあ、油断大敵ですよ!」


 切れた息の合間にぼそりと負けを認めれば、沖田は破顔して木刀を引いた。すっと背筋を伸ばして胸を張り、満足げに胸を張る。


 が、直後にケホッ、コホ、と空咳が出てきたので、斎藤は静かに眉根を寄せた。


 周囲がこちらの手合わせについてざわざわと話し始めたのに紛れて「平気か」と小声でささめけば、沖田は「何てことないです」と頷いて、道場脇の井戸のほうへ踵を返す。


 後を追うような形で井戸端に出ると、冷えた風が火照った全身を撫でられた。それが心地良く感じられた反面、思わず沖田のほうを見て口を開きかけると、気付いた沖田が井戸水を飲みながら人差し指をきびきびと立てて斎藤を指差す。


 ……言葉なく、確実に「病人扱いするな」と言われた。


 息を吐いて小さく肩をすくめると、水を飲み終えた沖田は大きく頷いて、改めてふぅと息を吐いた。


「斎藤さん、以前より随分と稽古が面白くなりましたね!」

「面白く……?」

「あれ、斎藤さんは楽しくないですか? やっぱり私、あなたとの稽古が一番好きなんですよねえ」


 話をそらすためか、あるいは単なる本心か、沖田は桶に汲んだ井戸水を一度すべて捨てて斎藤に場所をゆずる。


 改めて水を汲み、斎藤自身も喉を潤しながら「まあ、嫌いじゃないが」と曖昧に首をかしげれば、「土方さん並みに素直じゃないですけど、良しとしましょう」なんて笑いに揺れた答えが返ってくる。


 そんな折、どこからともなくホケ、と春告げ鳥の声がかすかに届いた。


 思わず揃って顔を上げたところで、今度は屯所の奥のほうから「だからな! そん時のまさ(ヽヽ)が」云々と原田の元気な声と、永倉の「ああ、はいはい」と受け流す声も聞こえてくる。


「春ですねえ」


 沖田がふわりと表情をほころばせて言うので、斎藤も改めて息を吐いて「そうだな」と短く答える。


 ようやく春が来る。それを思えば、随分と待ち望んだ気のする心地に自然と肩から力が抜けるような気がした。


「原田さんたちに見つかっちゃう前に、逃げましょうか」


 そんな悪戯っぽい問いかけに、やはり「そうだな」と答えてゆるく顎を引く。自然と薄く口の端が上がった。束の間のことだとわかってはいたが、稽古の後ということもあって、妙に気分がすっきりとしている。


 ……ふと、顔が見たいな、と思った。


 思った直後に、何とも言葉にし難い複雑な何かが喉元にせり上がった気がして、それには少し眉根を寄せてしまう。


 沖田におかしなことを言われたからか、あるいは永倉や原田に知らず当てられたからか。


 そんな馬鹿げた思考も含めて、何とも、今日はここ最近で一番の『平和』を味わった気がした。

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