人の心
あまりにも真っ直ぐな問いかけに、斎藤のほうがつい肩を強張らせてしまった。
――土方が山南をどう思っているか、などと、改めて考えたこともなかった。
江戸にいた頃から、二人はどちらかと言わず対極の存在ではあった。義理を重んじ学のある山南と、人情を重んじ柔軟な悪知恵を働かせる土方。いつも落ち着き払っている山南と、感情を隠しもしない土方。
ただ、それこそ派手な喧嘩などしたところはこれまで見たことがなかったし、山南も土方も、互いの特性を踏まえた上で尊重し合っていた――ように、見えていた。少なくとも、斎藤には。
しかし今回の一件、先のやり取りは、土方が山南をないがしろにしたことは違えようがない。
山南の傷のことを、土方は知っているのだろうか。知らぬからこそ、焦れたのだろうか。あるいは知っていればこそ、今の山南では役に立たないと切り捨てたのだろうか。いや、そうではない――はずだ。少なくとも、沖田はそう思っていない。先日の山南の江戸行きを、傲慢とも見える態度ででも引き留めたのはそういうことだ、という沖田の言葉に、斎藤も納得できる部分は大いにあった。
いや、あれから数日、二人の間で何かが変わったのだろうか。だとすれば、それは組を揺るがす何かになり得はしないのか。会津との関係性を脅かすものにはならないだろうか。
今更になって、じわじわと焦りがみぞおち辺りから滲み出てくる。もし、何も気づけずにいたとすれば、斎藤はとんだ正月呆けをしていたのではないだろうか。
そうして落ち着かない気分を、存分に味わえるほどの沈黙が落ちた後。
「……馬鹿じゃねえのか。嫌いなら、新選組なんてやってられっかよ」
ぼそりと、かすかに、しかし確かに。
土方の独り言つような呟きが、部屋の外にまでかろうじて届いた。
斎藤は目を瞬かせ、沖田を見た。沖田も目を丸くして、斎藤を見返してくる。
そうして何故か、沖田のほうが照れたようにやわらかく破顔した。
「……そっか。じゃあ敢えて言うけど。土方さん、山南さんに甘えすぎじゃないんですかね~ってオレは思う」
愁介が、先とは違った落ち着いた声で話す。
直後、土方の言葉が返される前に、とたとたと静かな足音が斎藤らのほうへ近づいてきて、すとん、と障子が開かれた。
愁介の開けた障子越しに、わずかに身を乗り出してしまっていた斎藤と沖田は揃って、今になってようやくこちらに気付いた様子の土方と視線を交わす。
斎藤はばつ悪く会釈し、沖田はにへらと微笑んだ。が、土方は虚を衝かれたような顔をした後、すぐさま苦虫をまとめて数匹噛み潰したような酷い顔をした。
「……心配したほどには、今の雪空は面倒でもないかもね」
顔を上げると、愁介が悪戯っぽく目を細めて笑っていた。
ぴょこっと弾むように立ち上がった沖田も満面の笑みを返して「そうかもしれませんね」と顎を引き、ぼんぼり髪を揺らす。
斎藤も息を吐いて立ち上がると、そこでようやく我に返ったらしい土方が「お前ら……」と低い声を絞り出した。
「それも、ほら。八つ当たり」
愁介が遠慮なく指差して言えば、ますます土方は般若のような顔になる。
「っ、オイ、島田ァ!」
土方が声を荒らげると、実は部屋の隅にまだ残っていたらしい島田がビクッと肩を跳ねて「はいっ!」と歯切れよく返事した。
愁介が、またも「ほらぁ、八つ当たり」と唇を尖らせる。
「うっせぇ!」
土方は愁介に視線も返さず一蹴すると、まさに八つ当たり以外の何物でもない勢いで島田を睨みつけ、吐き捨てるように言った。
「山南さんに伝えて来い! 移転の件はもう少し考える!」
言うだけ言って、土方は荒々しく立ち上がると、だしだしと足音を響かせながら部屋を出て行った。しかし島田はそんな土方の八つ当たりに憤るどころか、むしろほっとした様子で口元をほころばせ「はいっ」とすぐさま山南の部屋のほうへ小走りに向かって行く。
「素直じゃないね」
「まったくですね」
愁介と沖田は軽く互いの手を叩き合わせながら、そんな二人を笑顔で見送っていた。
斎藤もようやく肩の力が抜けたような心地を味わう。
――なるほど、『甘え』。
先の愁介の言葉が引っかかりなく喉元を下りていく。同時に、今更ながら、沖田自身も先に土方に突きつけていた言葉だな、とようやく意味合いを理解する。土方の、山南に対する甘え。今回の一件がそれだったというなら、度はあろうが土方も自覚した上でのこと、同じ轍を踏むことはもうないだろう。
また、斎藤自身、もっと落ち着きを持って周りを見なければと、先とは別の意味で苦い思いを味わった。
どうもまだ、長年、周囲に興味を持てずに生きた名残が強く残っている。他者の機微に対する疎さを、改めて自覚せざるを得なかった。
今となっては、己の鈍さをどうしようもないなどと言い訳してはいられない。己のやるべきことをやると決めた以上、言い訳など、それこそ斎藤の甘えだ。
沖田と笑みを交わす愁介を横目で眺め、再び静かに息を吐く。
「ん? 何?」
ふと、視線に気付いた愁介が、小首をかしげて斎藤を見やる。
「いえ……」
斎藤は誤魔化すようにゆるく首を横に振って、庭に溶け残っている雪をついと指差した。
「……早く、溶ければ良いな、と思いまして」
「ああ。ほんとにね!」
早く春が来ればいい。
それは先日も、山南を思えばとそれぞれ口にした言葉ではあったけれど。
先日よりも切実で、しかし先日よりも心軽く、春さえ来ればどうにでもなると、疑わなかった。