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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◇ 二章一話 切望の春 * 元治二年 一月
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面倒な空模様

 愁介の行き先のあたりをつけ、ひとまず自室へ戻ってみれば、案の定、沖田と背中合わせにもたれかかって座っているその姿を見つけた。勢い込んだ様子がなかったため、副長室に行ったわけではないだろうと考えたのが的中していたようだ。


 斎藤が部屋に足を踏み入れると、顔を上げた沖田が少し困ったように眉尻を下げて微笑んだ。愁介は沖田に背を預けたまま顎を上げ、深く目を閉じていた。が、眉間には皺が寄せられ口の端は下がっており、あからさまにむすっ(ヽヽヽ)としている。


 相も変わらず、他人(ひと)のために怒る人だなと、つい小さな溜息がこぼれる。


「山南さん、土方さんに『行かない』って答えたんですってね」


 沖田がぽつりと言った。


 斎藤は微動だにしない愁介を一瞥し、沖田の傍らに腰を下ろして「ああ」と短く相槌を打つ。


 ――山南の()のことは、愁介自身が約束した通り、沖田にも話していないらしい。


「山南さんも難儀ですね。責任感が強すぎるのかなぁ」

「俺はむしろ、土方さんのほうが気になったが……随分と、必死だったように見えた」


 眉尻を下げた沖田にそう答えれば、沖田はひとつ、二つと目を瞬かせて視線を斜めに上げた。


「うーん……そうですね、必死……というか、辟易してるのかも」

「辟易?」

「ほら。思った以上に、相性(ヽヽ)が良くないでしょう?」


 沖田は誰とは明言しなかったが、斎藤の脳裏にはすぐさま伊東の顔が浮かんだ。


「今のところ、土方さんだと押し敗けちゃうんですよ、あの人に。ほら、土方さんって商売人としての口の上手さはありますけど、結構ごり押しなところがあるじゃないですか」


 あっけらかんと言う沖田に、斎藤は思わず片眉を上げた。が、沖田はただの事実だと強調するように笑って、まなじりを下げた。


「私たちは、土方さんの押しの強さを良くも悪くも知ってますし、長年の蓄積で信頼を置いてますからいいですけど……『あの人』は反対に、すごく説得力(ヽヽヽ)のある話し方をされるみたいなんですよね」

「それは……」


 今のところ伊東と正面切って話したことがないために、斎藤は何とも言えず言葉を濁した。


 ――藤堂が戻ってくれば。


 そう遠くないはずの時を待って、下手に動かずにいたのが、むしろあだ(ヽヽ)になっているのだろうか……と、今さらながらに焦りが芽生えた。


 ただ、立場上、非常に動きづらいのだ。


 現状、放っておいて会津の足を引っ張らないのであれば、斎藤は『これまで通り』幹部として試衛館一味に紛れているのが、もっとも動きやすい。試衛館一味が伊東と一定の距離を保っている以上、斎藤自身から踏み込むことは、つまり『これまで通り』から外れることとなる。それが吉と出るか凶と出るかが、今はまだ判別できないのだ。だからこそ、良くも悪くも、きっと伊東と斎藤との距離を自然と(ヽヽヽ)縮めようとしてくれるであろう藤堂の帰還が、望まれるのだが……。


 しかしそんな思考が、結果として悠長すぎたがゆえの、山南の()だとするなら。


「……土方さんは、山南さんに本気で盾になって欲しい、ということなのか」


 斎藤は、ぽつりと抑揚なく呟いた。が、腹の内では「今は困る」という想いが渦巻いていた。


 少々勢いが過ぎることのある土方の『道理』を対外的にやわらげられるのは、それこそ、土方の意図を丸めて『正論』に変換できる山南だけだ。会津と新選組の間を繋ぎ、均衡を保つためにも、山南の存在は必要だと感じるからこそ、今は負担をかけるべきではないと感じる。しかし、そんな斎藤の思惑に反して、土方が山南に望むのは、まぎれもない、生半可ではない負担だ。


 どうしたものかと、額を軽く指先で押さえる。


 今からでも伊東という人物を測るため、斎藤自身が正面切って動くべきなのだろうか。


 ――しかし、斎藤がそんな思考を働かせていたところで、沖田は「うーん?」と少し困ったように首をかしげて、ぼんぼり髪を揺らした。


「盾、とは少し違うのかなあ……」

「違う?」

「だってほら、別に今って、何か悪いことが起こっているわけでもないじゃないですか。ただ、土方さんはそうなるかもしれないことを見据えていて、そんないざ(ヽヽ)という時に、唯一あの人に対抗できるであろう山南さんが傍らにいない、っていうことが怖いんだと思うんですよね」


 怖い。そんな言い方をすると、途端に今もつれている状況が、ただの子供の我儘の押し付け合いみたいに聞こえるのだから不思議だ。


 つい気が抜けて口元を歪めると、それに気付いた沖田に、ふふ、と笑われる。


「……雪空って面倒くさいねえ」


 不意に、それまで目を閉じて黙ったままだった愁介が、ぽつりと呟いた。


 見れば、愁介はまぶたを開き、ぼんやりと薄く開いたままの障子の奥に見える空を見上げていた。


 先ほど降り始めていた雪はいつの間にかまた止んで、ただ、やはりいつでも降り出しそうな鈍色の空が重く垂れ込めている。


「……山南さんが江戸へ行けないなら、藤堂さんが早く帰ってくればいいのですが」


 斎藤が呟き返すと、愁介が目を丸くして斎藤に視線を移し、それからふっとやわらかく瞳を和ませた。


「そっか。そうだね。春先には帰れるって、文に書いてたっけ?」


 愁介が噛み締めるように言い、先までの不機嫌な表情を切り替えて沖田の背からゆっくり身を起こす。


 沖田は逆にどこか名残惜しそうに息をつきながら、「ですね」と答えて愁介を振り返った。


「春なんて、すぐだよね」

「ええ。すぐですよ」


 微笑み合う二人を一瞥した後、改めて斎藤は空に目を向けた。


 するとまた、ちらほらと雪がちらつき始めていることに気づく。


 ――なるほど、面倒くさい。


 感心か呆れか、あるいは両方か。先の愁介の物言いに一種の共感を覚えてしまい、斎藤は人知れずふっと苦く口元をゆるめた。

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