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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◇ 二章一話 切望の春 * 元治二年 一月
138/203

意味と意図

「……ひとまず、これで大丈夫かと」


 ようやくひと息つき、斎藤が呟いたところで、山南がゆるゆると着崩れた自身の着物を整えた。


 衣擦れの音がかすかに響く中、改めて重苦しい沈黙が落ちる。


 愁介は深く吐息して、肩から力を抜いていた。それでも、気付けば山南と同じくらい顔から血の気を失していた。いつもは快活で明瞭なその口からも、今は何の言葉も出て来ない。ただ視線を、何かに惑うように泳がせていた。


 斎藤は治療具をしまいながら、改めてちらと山南の顔を窺った。


 山南は視線を落としたまま、まるで刑の執行を待つ罪人のような顔で静かに口を閉ざしていた。


 その顔を見て、斎藤も、開きかけた口を改めて閉じてしまう。


 ――訊きたいことが山ほどある。言いたいことも、ある。


 いつからなのか。何のためなのか。……藤堂は承知していることなのか。


 けれど、今それらを口にすれば、それこそ山南を責めるような言葉にしか聞こえない気がして、言い澱む。


 責めたいのではない。ただ、頼りにしたいだけなのだ。


 新選組と会津のため、頼りにして良い人なのだと、思っていたのだ。


 ……本当に?


 仮に頼っていた結果がこれだったのならば、自分は今まで山南の何を見ていたのだろうか。何を見るべきだったのだろうか。何を取りこぼしていたのだろうか。いつから。


 失望ではない、しかし戸惑う想いが、斎藤の中でぐるぐると渦を巻く。


「……山南さん……」


 そうして、かなりの間を置いた後、ようよう言葉を絞り出しかけた時。


 どすどすどす、と遠慮のない足音が部屋に近付いてくるのが聞こえ、斎藤はとっさに手に持ったままだった治療具を傍らの押し入れに押し込んだ。


 直後、「邪魔するぜ」と、遠慮なく勢いづけて部屋の襖が開かれる。


 振り返れば、土方が不機嫌な半眼で室内を見下ろしていた。


「……土方くん、どうかしたのかい?」


 まるで何でもないような、いつも通り(ヽヽヽヽヽ)の穏やかな声で山南が問う。


「今、永倉達から、あんたを江戸で療養させちゃどうかってぇ話が来たんだが」


 すっかり当人に伝え損ねていた話題に、しかし山南は特段驚いた様子もなく苦笑いに眉尻を下げた。


「そうか……」

「そうか、じゃねぇよ。まさか、あんた自身は江戸に戻りたいなんて言い出さねぇよなあ、山南さん」


 淡々とした高圧的なその言葉は、ありのまま「行かせない」という土方の感情がむき出しになっていた。


「……ねえ、ちょっと。そんな言い方――」

「愁介殿」


 有無を言わさない土方の様子に抗議のてい(ヽヽ)を見せた愁介を、斎藤が静かに制する。何故止めるのか、という視線を鋭く返されたが、斎藤はゆるく首を横に振った。


 土方に賛同したから、ではない。ただ、今は山南の対応を、考えを、見たかった。


 土方はちらと面倒そうな視線をこちらに寄越したが、愁介が斎藤の制止を受け入れたのを見て、改めて山南に視線を定めた。


 斎藤も、その視線をなぞるように山南を窺う。


「……組の大事は、承知しているよ」


 山南は、応とも否とも言わなかった。ただ、やわらかく微笑んで、土方の想いは汲んでいるとだけ伝えるように、そう答えた。


「結構だ」


 土方は短く言って頷くと、現れた時よりも静かに襖を閉め、早々に去っていく。

 土方の足音が遠く聞こえ亡くなった後、再び愁介がぽつりと口を開いた。


「……言わないんですか」


 土方の去った方角を睨みながらの、静かな問いかけだった。


 その言葉に、山南はまるで自身が責められなかったことに驚いたかのように目を瞬かせて、困ったように眉尻を下げた。


「土方くんのあの言葉は、裏を返せば、私を必要としてくれているということですから」


 愁介は、ぱっと童心に返ったように目を丸くして、改まって山南に目を向けた。それがどういった感情の表情だったのか斎藤には知れなかったが、愁介はひとつ、二つと目を瞬かせた後、ただ短く「ご自身を大事にしてください。誰にも言いません」と告げた。そうして深く頭を下げ、そのまま斎藤を残して山南の部屋から出て行ってしまう。


「……斎藤くん」


 己がどうすべきか迷っていると、今度は山南自身から声をかけられた。


 正面から向き直れば、山南は変わらずの困ったような微笑みを浮かべていて、それでも先とは違い、真っ直ぐに斎藤を見据えていた。


「君にも……黙っていてもらえると、ありがたいのだけれど」

「……訊きたいことが、山のようにあります」

「うん」

「……でも、何を訊けば良いのかも、わからないのです」


 矛盾した斎藤の返しに、山南はかすかに目を見開いた。


 けれどすぐ、まるで子供を甘やかす大人のような表情でまなじりを下げて、ふふ、と小さく吐息を震わせる。


「私も、何から話せばいいのか、今はわからないんだ」


 そんなことを言うのに、山南は何故か少しだけ吹っ切れたように言葉を弾ませていた。


「でも、潮時だということは、間違いないだろうから……これ(ヽヽ)は、止めるよ」


 山南の手が、そっと脇腹に添えられる。


「…………」


 斎藤は、山南の言葉をどう受け止めたものか、図りかねてしまった。


 答えられずにいると、山南はそれすら察したようにぽつりと、


「……自分をないがしろにしているつもりは、なかったんだけれどね」

「はい……?」

「ただ、何のために必要なのか、それだけがわからなかったんだよ」

「山南さん、それはどういう――」

「ところで私の江戸行きは、平助の発案かな」


 問い返すことを許されず、斎藤は無意識に眉根を寄せながら「……そうです」と答えるしかできなかった。


 山南は朗らかに目元を和ませると、愁介に取り上げられ離れた場所に放置されていた小柄に、その手を伸ばし、取り上げた。


「預かっていてくれるかな」

「は……私が、ですか?」


 斎藤が面食らっていると、山南は「平助が帰ってくるまでの間は、君に」とゆるく顎を引く。


「……わかりました。藤堂さんが、戻って来られるまでなら」


 断る理由が思いつかず、斎藤はそう言って差し出された小柄を受け取った。手拭いに巻いて懐にしまうと、それを見ていた山南はまるで肩の荷をひとつ下ろしたように深い息を吐く。


「ありがとう」


 何に対しての、礼なのか。


 結局、それ以上の会話を重ねることはできず、斎藤も山南の部屋を辞するしかなかった。

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